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決行

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【最終話】決行⑻

【最終話】決行⑻

それからも彩香とは連絡を取り続けた。二人とも普段通り振舞おうとしているけれど、嘘くさいやりとりが続く。お互いがお互いに踏み込めず、うわべだけのメッセージだけが虚しくたまっていく。太一は、以前はどのように接していたのかもうわからなくなっていた。

次第にメッセージを送り合う頻度も減っていき、一ヶ月前には毎日送りあっていたメッセージも、二日に一回、三日に一回とどんどん間隔が広くなっていった。

それで

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決行⑺

決行⑺

二週間は信じられないほど早く過ぎた。自分が何をしていたのかも思い出せないほど、どうでもいい毎日だった気がする。それでも太一はしっかりと「決行」について調べてきたし、今日は集合時間の十分前にはオブジェの前についていた。

彩香は珍しく、集合時間ぴったりにきた。「珍しいね。どうしたの?」と聞くと、彩香は「何となくかな。」とだけ答えた。

二人はまたいつものカフェに入って窓際のテーブル席に座った。太一は

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決行⑹

決行⑹

次第に彩香も太一に色々プライベートな質問をしてくるようになった。そこで、太一がバンドをやっているということを話すと、そこから話が広がりお互いの好きなアーティストの話になった。

太一は「Emocional」という日本のロックバンドがひどく好きだった。彼らの作る曲は、想いが直接胸に響き、ノスタルジックな感傷がさわさわと呼び起こされて、いてもたってもいられなくなり、思わず夜道を駆け出したくなるような、

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決行⑸

決行⑸

待ち合わせ場所の、昂理駅西口前の奇妙な形をしたオブジェの前に着くと、白いワンピースにベージュのカーディガンを羽織って、麦わら帽子を被った女が空を見上げて佇んでいた。それから、はっとしたかのように周りをキョロキョロ見回し、こちらに気づくと女はぷくりと頬を膨らませた。

「今何時だと思う?」「十三時十五分だな。」

「今日の集合時間は何時?」「十三時だな。」

「何か、言うことは?」「自己ベスト更新だ

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決行⑷

決行⑷

太一の視線の先では、未だに漆黒が列をなしている。

さっきまで滝のように吹き出していた汗も、季節外れの冷気に当てられてすっかり乾いていた。

時計を見ると、もう十時を回っている。少し休み過ぎたようだ。冷えて硬直した筋肉をほぐしながらゆっくりと立ち上がり、空になったペットボトルを自販機の横のゴミ箱に投げ込む。

今時珍しいバケツタイプのゴミ箱に律儀に貼られた白いテープには大きく「ペットボトル」と書か

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決行⑶

決行⑶

「決行」。

彼らは一体何を「決行」したのか。その目的や彼らの主張はこの記事からは読み取れない。

太一はあの日のことを思い出していた。

彼らの顔に張り付いた嘘くさい笑み。とめどなく口から流れ出る、御経のように平坦でヒステリックな叫び声。そのどれもが人間的なエネルギーを持っていなかった。

一見何かとても意味のあることを愚民に教唆しているかのような口ぶりでも、それらは彼らの内部から生成されたもの

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決行⑵

決行⑵

当時大学生だった太一は、「決行」の前日、いつも通り友人たちと酒を飲んで一晩を明かし、翌日は一限をサボって、いつも通りダニだらけの床で雑魚寝をしていた。

太一が異常な寒さを感じて目を覚ましたのは、昼の二時のことですっかり三限も終わっていた。昨日の深酒がたたったのか、薄着で布団もかけずに寝たのが悪かったのか、全身に悪寒が走り、割れるほど頭が痛かった。

ぼさぼさの頭をかきむしりながら立ち上がり、シン

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決行⑴

決行⑴

むせかえるような湿気でべたついた皮膚がシャツに張り付いている。

少し走り過ぎてしまった。一度疲れを意識すると、途端身体が重くなったように感じる。前に進むのを拒もうとする脚にむち打ち、向かいの歩道のベンチまで歩を進める。

隣の自販機で炭酸を買って、ベンチに腰を下ろし、相模太一は決まった間隔で色を変え続ける信号機をただぼうっと見つめていた。

今日はランニングにはもってこいの気候だった。

季節は

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