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文学フリマへの道『各章の本文を書き終えた』

おはようございます。
こんにちは。
こんばんわ。

いったい何時に、この文章をアップするのだろう。
僕は、いま、真夜中の0時にこの文章を書き終えました。
それでは今回も「文学フリマへの道」張り切って、どうぞ。
※今回はちょっと長めです。ちゃんと書けた。


①各章の本文が書き終わった(散文詩をそれなりに)

どのページも大切にこだわって作っているけれど
もっともベースになる章立てごとの散文詩をすべて書き終えた。
章立てごと(テーマごと)に、瞬間的に1本ずつ書くのなら、すぐに書けるのだろうけれど、各章数本ずつ、前後の散文詩を受けた上で内容を考え、テーマに沿った内容、かつその散文詩だけを読んだとしても自分が納得できる文章を…と、あれこれ自分で制約をつけ続けたら、面白いことにかなり繊細に考えた上で書かなければ納得できない文章を書くことになった。
うん、ただただ、大変でした。こだわったということです。

当てもなく、好きに散文詩を書いて、それを好きなように並べるということもできたのだけれど、僕が表現したいことはそういうことではなかった、ということ。
自分でお題を出して、そこについて徹底的に掘り下げた上で、たくさんの文字量を書くのではなくて、100文字前後で表現する「何か」というのは、自分の中で生み出すには時間がかかったけれど、とてもいい経験をしたなぁという感覚がある。
これからさらに書き直す可能性もあるけれど
おそらく最初に書いたものを推敲したとしても微調整になる。

ただ、句読点の位置、改行の間合い、言い回し、文字間の余白
その微調整にバカみたいに時間をかけてこだわるのだけれど
永遠にやっていたらたぶん終わらないので
終わらせるためにも感覚的に「心地良い」ラインを見出しては
そのラインにすべてそろえることをする。と、思う。今までの経験上。

②全然書けなかったとしても

今週は書く時間を作ることができなかった。
いろいろなことを考え、アイデアも浮かび、箇条書きで書いていたこともあったけれど、文章に向き合う気持ちがまったく湧かなかったことにはしんどさを感じた。焦り、というか、こんな進捗で本当に本が作れるのか、という。
壁打ち相手もいないわけで、ひとりで本を作っていくことの難しさを感じる。
たくさんの表現者たちが、こういう瞬間と向き合いながらも本を作っているということのスゴさを感じたし、その中でも作り切るということは、ほんとうにすごいことだなと、心底思う。
これは、実際に本づくりをやってみて、ソコと向き合わなければ感じられないことだなと思ったし、今まで誰かと組んで本づくりをしたことは何度かあるけれど、その時の難しさとはまた別の何かが、ソコにはあって。
ため息をついたり、発狂して叫びたくなったり、何もしたくなくなったり、どうでもいいことに時間を使ってしまったりと、正直に書けばこうして情けないことがいろいろあるのだけれど、そういうこともすべて必要な過程なのだと思う。

表現するということは、自分自身のすべてと向き合うことだな、と。
ほんとうに、すごいことです。
いま、もしも何かを表現している人がこの文章を読んでいるのだとしたら、あなた自身を褒めてあげてほしい。とても頑張っている、と。
もちろん楽しいだけだよ、という人もいるのかもしれないけれど
そんなことはなくて、僕みたいにもがく人も、たまにはいるかもしれない。
そんなあなたは、ちゃんと自分と向き合って
言葉と、自分自身と向き合って、表現をしようとしていること。
ほんとうにすごい。心から尊敬します。
たった数行でも、数文字でも、それがXの140文字におさまる言葉だったとしても、表現しようと言葉を紡ぐあなたを、僕は肯定したい。
ありがとう、表現してくれて。
僕も、できる限り、自分の表現をしてみようと思います。

③写真でも表現したい

いま作っている本には、何枚か写真を入れている。
刷りが2色になるので、モノクロにはなるのだけれど。
でも僕はモノクロ写真(中でも白黒)はとても好きで、今回も白黒になるから
あえて情報を抑えた上で、どういう表現になるのかを考え、また前後に書いている散文詩の想いを汲み取りながら、直感的に写真を決めていった。
すべて、自分が撮影したものだ。
写真を撮るのは好きで、ほとんどが風景なのだけれど、月に1000枚くらい撮っていくから、その中から選ぶのは時間がかかった。
別に綺麗な写真じゃなくてもいい。
僕は綺麗に見せたいのではなくて、その写真にどういう感情が乗っているのかを視て、自分の物語に合うものをチョイスしていった。いつかフォトエッセイも作りたいと思い、すでにタイトル案のひとつとして候補にしている。



まだまだ残っている作業は多い。
・全体的なデザインとレイアウトの調整
・奥付の作成
・章扉の文章とデザイン
・まえがきとあとがき
・タイトル

タイトルが、このタイミングになっても浮かばないことには笑った。

ほとんどのタイトル案は、先にタイトルが出てきているけれど
この最初に取り掛かっている散文詩集だけ、タイトルがまったく見えてこない。
これはたぶん、ほんとうに、ほとんどの作業が大詰めを迎えるくらいになって
ようやくタイトルが降りてくるのかな、という感覚。
そのまま見えないのであれば、いっそ「無題」とつけようか。
それはたぶん無いけれど。

今週もやることを片付けた上で、自分の表現する時間を確保して
着実に本づくりをしていきたい。
なぜか、週一ペースでこのマガジンを更新する感じになっているので
引き続き進捗はここに書き残していこうと思う。

「こういう風に作ればいいですよ」「こういうスキルが」「こういうノウハウは」みたいなことは、残念ながら僕にはまったく書けそうにないので
他の人に任せようと思う。
僕には、僕にしか書けない文章しか、書けないので
自分が書き残せることだけを、変わらずに綴っていけたらと、思う。

では、また。
ボンボヤージュ。

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