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「神去なあなあ日常」は2時間の映画じゃ表現しきれない だって「日常」だから

だから映画は「WOOD JOB!」というタイトルで、林業のリアルと主人公平野勇気君の恋と成長に絞ってある。2時間という制約の中で。

三浦しをん作「神去なあなあ日常」についてだ。
そしてこの小説が原作の映画「WOOD JOB!」をダメだと言っているわけではない。原作とは別のものとして十分楽しめた。林業の様子などは映画の方がリアルなのかもしれない。

しかし映画だけ見た方があれで原作を味わった気持ちになってしまうのは、すごくもったいないと思う。

もうタイトルに書いてしまったから記事を書く間でもないけれど、神去村の「日常」こそが、小説「神去なあなあ日常」の神髄だと思うからだ。

すごく起伏の激しいストーリーがあるわけではない。
主人公の勇気君にとっては激動の一年が描かれるのだけれど、それすら神去村のなあなあな日常と人々に取り込まれ、吸収され、結果として読む側にとっては滋味豊かな、優しい味のお出汁が体の隅々にまで染みこむような、味わい深い作品になっているのだ。

「無人島に持っていく本」の最有力候補の一つだ。

ストーリーを追うというより、そこに描かれる神去村の林業や、四季や、その中で生きるなあなあでとぼけた、そして静かに破壊的な(!)本性を持つ村の人々の暮らしぶりや、そんな日常生活自体を何度でも繰り返して読みたくなる本だからだ。

タイトルにもなっている「なあなあ」とは、コトをなあなあで終わらせるのようないい加減という意味ではなく、神去村の方言で「ゆっくり行こう」「まあ落ち着け」から「いいお天気ですね」「どうも―」まで表してしまう万能な言葉なのだそうだ。

神去の住人が「なあなあ」を大事にしているのは、百年単位でサイクルする林業をやっている人が多いこと (中略) あくせくしたって木は育たないし、よく寝てよく食べて、明日もなあなあで行こう、そう思っている人が多いみたいだ。

主人公は平野勇気君、18歳。横浜で育ち、高校を卒業したらまあ適当にフリーターで食っていこうと考えていたシティ派軟派男子だ。このままじゃまずいよなあと思わないでもないけれど、やりたいことが見つかるとも思えず高校卒業の翌日からも変わり映えのしないだらだらした毎日が過ぎていくんだろうと思っていた。しかし勇気君、母親と担任の策略(爆笑した)によって、卒業式当日に三重の山奥の神去村に「林業研修生」として放り込まれ、林業や村の人々と出会い一年を過ごしていく、といったお話だ。

物語はこの勇気君の語りで進む。勇気君の林業の先輩で兄貴分で下宿先の主でもあるヨキの、ネットにもつながっていない埃をかぶっていたパソコンに、こっそり、当てもない架空の読者たちに語りかける形で打ち込まれる。

だから語り口調はソフトで軽い。チャラいとまでは言えないけれど。
そして勇気君が読んでくれる当てもないと言った架空の読者が私たちだ。だから私たちは勇気君に語りかけられ、18歳男子の悶々とした胸の裡まで聞いてしまうのだ。

勇気君は、別に苦悩しているわけではない。
けれど18歳男子だから悶々とはしている。
「やりたい。直樹さんとやりたいぞ、うおー。」とか・・・

直樹君は村で出会った美女直樹さんに恋をしているのだ。


勇気君は、もちろん策略によっていきなり激変した境遇には反発するのだけれど、それは境遇にだけ。

本来シティ派、素直でソフトな今どきの若者は、(直樹さんという目先の目標のお陰もあって)出会う村の人々やその人たちが教えてくれる林業には、彼の性格のままに、反発反抗することもなく素直に接していく。流される、というのでもないけれど普通に素直に受け入れていくのだ。「村で林業をするという境遇」から脱走を試み、野生の動物なみの鋭さを持つヨキに阻まれこともあったけれど、まぁそれも直樹さんの登場までだw

この勇気君、このままじゃダメだとかやりたいことが見つかる気がしない、とかは思っているけれど、別にそんな自分に悩んでいるわけではない。
「まあ、そんなものかな」ぐらいに受け止めている感じだ。

自分探しの旅に出たいとか、居場所が見つからないとかいう苦悩があるわけでもない。村でのことも直樹さんの登場もあり、これまた素直にソフトに色々受け入れていく。

だから、「自然の厳しさと優しさに抱かれ、林業を通して青年が苦悩しながらも自己を確立し居場所を見つけ成長していく物語」とかまとめるとあんまり大げさすぎる。そんなアグレッシブにギラギラした話ではない。目先の目標は直樹さんだけれど。

もちろん勇気君にとって、直樹さんとの出会いとか村の祭りとか、様々な出来事はあるのだけれど、どこをとっても、村の人たちが「なあなあ」と、(一見)のんきに顔を出し、そのペースに巻き込まれているうちに勇気君も我々読者も村で一年が経っていくのだ。

流れで村に放り込まれ、流れで村の人に囲まれながら林業見習いをし、流れで村で生活しているうちに村になじみ林業に慣れ、ついでに勇気君は自分がそういう暮らしが好きなことにも気づく。

勇気君をそうさせてしまう懐の深さを神去村は持っている。
そんな神去村の魅力自体を描いたお話だと思う。

だからこの小説のポイントとか要約とかは、なかなかしづらい。
山場はあるにはあるけれど、ストーリーより読んだ人それぞれに好きなシーンができ、それが胸の奥に染みこんでくる。

それを噛めば噛むほど味が出る。

続編の「神去なあなあ夜話」と合わせてそんな物語だと思う。(続編でいよいよ勇気君は、村の一員として自分から村の人々に踏み込んでいく。)

私は嫁いだ先の義理の兄と趣味が似ているのだけれど、義兄とも「神去なあなあ」でどこが一番好きか、そんな話ができる。

そんなことができるところも、しみじみと「好きだなあ」と思ってしまうのだ。

ちなみに私が最も好きなのは、山火事で自信を失ったヨキの飼い犬ノコのために、大の大人たちが一芝居打つ場面だ。

ヨキは山仕事の天才、そしてその飼い犬ノコはペットではなく山仕事の大事な相棒である。ノコも山ではヨキや同じ班の人たちの役に立っているという自負を持っている。
けれど大事な山林が山火事になった時、訳が分からず炎の恐怖にも負けて何も活躍できなかったことを、犬のノコは情けなく思い元気をなくしてしまうのだ。犬なのに。

ノコの自信を取り戻すために、ヨキや同じ山仕事の班の仲間は知恵を絞る。なんだかしみじみおかしく、味わい深く、その味わいを噛みしめてしまうのだ。

具体的にどんなことをしたのかは実際に読んでみてほしい。

勇気君の直樹さんへの恋心はどうなったのか。
ノコは自信を取り戻せたのか。
獣並みの男、山仕事の天才、髪を金に染めたヨキとはどんな人物なのか。
「なあなあ」を大事に一見おっとりしているようで、静かに破壊的な言動を取る村人たちとは・・・?
神去村の最高峰の神域に住まう神オオヤマヅミさんとその娘たち、そしてその祭りとは・・・

四季折々の神去村の暮らしをぜひ読んでみてほしい。
ただし通勤電車など周囲に人がいるところで読むのはおススメしない。
何回読んでも思わず吹き出し、声を出して爆笑してしまうシーンが随所に出てくるからだ。

それなのにこの味わい深さ。
18歳男子の下半身の叫びが聞こえてくるのに漂う品の良さ。

やはりどんなことがあっても手元に置いておきたい一冊(続編も合わせて二冊)なのだ。たとえ無人島に流されても・・・。


ヘッダー画像の一番右は、文庫のカバーの上にさらにかぶせられていた、映画「WOOD JOB!」のキャンペーンカバー。
下は文庫の裏表紙。登場人が紹介されている。

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