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独身と子持ちの間にある国境についての見解

久しぶりに会った、インカレの女友だち2人は、無事に子どもが小学校に進学し、一息ついた感じになっていて、自分の老後に活かせそうな自分の趣味の模索に励んでいた。4年前に会ったときは、自分はまだ独身で、自分の子どもになんの習い事をさせるかで盛り上がる女友だちを前に、自分の頭の中には自分の趣味の話しかなく、全く会話がかみ合わなかったのだが、その時間が遠い昔に感じられる。なんなら懐かしさすら覚える。自分はその後結婚して子どもがうまれて、身分上は彼女たちと同じ”側”に立ったのだけれど、相変わらず自分が何をしたいか、ということを常に考えている。人生スタイルの変化は起こったが、何とか自分の時間の使い方を守ろうと、あれやこれや試行錯誤している状態である。特異なケースかもしれないが。

とはいえ、子どもの話ではなく、また彼女たち自身の話が聞ける、私も自分の話ができる、と思えたことが嬉しかった。趣味の話に関しては、一時期独身の私と子持ちの女友だちの間には、渡るには流れの早すぎる川があったのだけれど、時間をかけてその幅は縮まり、また寄り添うように穏やかな流れを保っている。

自分が独身のときには、独身と結婚して子持ちの人間の間には越えられない壁のようなものがあると思っていたが、実際は壁というより、子どもを出産すると同時に違う島国の国籍を取得して、そこに引っ越したような距離を感じる。しかもそこに行こうとすると、特殊なビザつきのパスポートが必要で、島国ゆえに中身は他の国にはあまり知らされていない。実際にその国の内情を聞いたところで、なんのこっちゃと思うことばかりで、魅力が伝わってこなかった。自分で出産しておきながら、3年たった今でもよくわからないでいる、結婚して子持ちの人たちの国の繁栄の証が。とりあえず、まあこんなもんか、明日もぼちぼち、みたいなゆるさが長寿の秘けつのような気はしている。
ぜひ、我こそはこの国の良い所がアピールできる!という皆さんは、現世の総理の公募に立候補して、魅力をインフルエンスしてあげてほしい。まだ募集されていないっぽいけれど。

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