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「サポート」に泣かされて、生かされてる

noteって、ご覧の通り広告がないので、普通に書いている分には一切お金にならないのだけど、お金を得る方法が二つあって。

一つは、有料noteといって、このnoteそのものを有料化してしまうもの。
もう一つは、noteを読んだ方が好意で払ってくださる「サポート」というもの。いわゆる、おひねりみたいなもの。

「私の文章でお金を取っていいのだろうか?」「有料にするには、何かしら有益な情報を書かなければならないのでは?」とどうしても思ってしまって、有料noteはまだ書いたことが無いのだけど、「サポート」はとってもありがたいことに何度かいただいたことがある。

この「サポート」というのは、いただくと想像以上に心が潤うものだ。

ベッドでゴロゴロしていても、「○○さんがサポートしました」という通知がきた瞬間、ベッドから飛び起きて、「え!?え!?だれ!?なんで!?嬉しすぎる・・・」と涙ぐむレベル。用事があって街を歩いていても、時間を忘れて、道の真ん中で立ち止まって確認してしまうレベル。

サポートって100円から出来るのだけど、そんなに大金をいただくことはないので(いただけるレベルではないと思っているので)、正直、お財布事情が格段に良くなる、というようなものでもない。もちろん、お金はいただけたらそれはとても嬉しいこと。でも、たとえ少額のサポートだろうと、こんなに飛び上がるほど嬉しくなるのは何故なのか。

たぶん、「お金をもらうこと」が嬉しいんじゃない。

私が、何の見返りも求めずに、そして予想せずに差し出したものが、どこかの誰かにとっては「(求められていないのに)お金を払いたくなるほどのもの」だ、ということを気づかせてくれるから、なのだと思う。

これは、私にとってはものすごく自信につながることだ。

いろんな意味のサポートがあると思う。noteそのものが面白かった・役立ったとか、noteを通じて見ず知らずの私のことをまるごと応援してくれているとか、TOEICを頑張ったという記事を書いたときなんかは「お疲れ様でした!」と、労いの意味を込めてサポートを下さった方もいた。

でもどれも、私にとっては「自信」に変わる。自分ひとりでは気付けなかった、自分の価値や魅力や意義みたいなものを、お金を通じて教えてくれているような感覚がある。

不思議なことに、サポートをいただけるタイミングっていつも、ちょうど私自身が凹んでいたりモヤモヤしているときで。落ち込みながら道を歩いている時にサポートの通知が来て、思わずポロリと涙が出て、ものすごく元気が出たこともある。それくらい、大きなこと。

それから、もうひとつサポートの素敵なところは、誰にも見られない1対1のコミュニケーションが取れるところ。noteってツイッターみたいにDM機能がないから、基本的にはコメント欄で、誰からでも見えるような形でのコミュニケーションしか取れないのだけど、サポートをいただくときだけは、誰にも見られない環境でメッセージを送りあえる。それが、何だか「秘密の会話」っぽくて、良い。いただいたメッセージに対して、私も、その人のためだけの言葉を返す。何だか、あたたかいやりとりだなぁと思う。コメント欄でのやりとりとは違う、特別な感覚がある。

そういういろんな意味で、サポートをくださる方々には感謝の気持ちでいっぱいだし、間違いなく私の活力になっている。私もこの気持ちを、文章や、(noteを書いている方であれば)サポートで返せたらなぁと思う。

改めて、素敵な仕組みだな。サポート。

Sae

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「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。