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好きなnote、1つだけ紹介します

今年の1月末から、毎日、このnoteというプラットフォームにアクセスして、文章を書いたり読んだりした。

「書いたり読んだり」と言った通り、わたしは毎日書いているものだから、なかなか読むことに時間を割けなかったなぁと思ったりする。

もっとたくさん読みたかった、と思うけれど、時間も体力も脳内のキャパも限られていて、全部にこだわることはできない。わたしは「自分が毎日書く」ということを選んだのだから、ある程度取捨選択する必要はあって、今の自分のフェーズにおいては、これは仕方なかったのかなぁとも思う。

特にフォローしている人のnoteは、できる限り、全部じゃなくて本当にできる限りだけど、読んだつもりで。素晴らしく面白い小説や、胸を掴まれるエッセイ、美しい写真や絵。たくさんのものをみて触れて、たくさん感激してインスピレーションを得たけれど、わたしの中で強烈に残っているnoteをひとつだけ挙げるとしたらこれだ、と思うものを紹介する。

わたしは評論家でも誰かを評価できるような立場でもないから、最大限のリスペクトを込めた、紹介だと思って欲しい。

ますこすこさんの、このnote。

文章を書いている人ならば絶対にわかると思うけれど、これは本当に念入りに練られて、書いて書いて書き込まれた文章なのだなぁと強く感じたから、わたしがさらっと概要を書く、みたいなことはしない。一度、読んで欲しい。時間の無駄にだけは、絶対ならないから。

このnoteは、わたしの中に響いて、そして一過性の感動や感傷的なものではなく、ずしりと残り続けた。

まるで、一本の映画を観ているようだった。

描写は驚くほど生々しくて、人間の、社会の、いろんな側面を描いている。別に毒々しい表現をしているわけではないのに、読む人の頭の中でひとつの物語が、世界が、ありありと浮かんで、刺さる。

架空の話ではない(と理解している)のに、映画を観ているような感覚に陥るのは、どの立場からでも感情を入れることができるからだと思った。書き手のますこすこさんにも、弟さんにも、お父さんやお母さん、施設の方、そして「世間の目」のようなものにも。

わたしは、ますこすこさんとは、全くもって異なる境遇で生きてきたと思うけれど、深く共鳴するものがあった。

この社会には、「なかったことにされるひと」がいる。「見えない人にされるひと」がいる。「いないことにされるひと」がいる。それは、わたしが去年の今頃体調を崩し、働けなくなった時に強く感じたことだった。

街で動けなくなり、ベンチで休んでいる時。わたしの目には、全員が、元気いっぱいの人に見えた。どうしてわたしだけが病気なのだろうと思った。となりにいた母は「病気の人は、見えるところにまで、出てこないだけだよ」と言った。

元気な人にとっては、病気の人は「めずらしいひと」なのかもしれない。そんなひとと、会う機会も接するタイミングもないかもしれない。でも、確実に、いるのである。ここにも、そこにも、あそこにも。たっくさん。それはもう、本当にたくさんいるのだ。

わからないから、みえないから、「めずらしい」と思う。でも、それってほんとに「みえない」のか?とも思う。みようとしていないだけ、無関心なだけじゃないのか?とも思う。

いる、と思えばいるし、いない、と思えば、いないことになるのだ。そういう社会に、なっている。それはすごく孤独だとも思う。自分は関係ない、と思っている人ほど、孤独になっていく。それでいいの?とも思う。

そんな、ある種の問題提起に勝手に共鳴しながらも、ひとつの作品・文章として、ものすごく良かった。良いと思った。素人のわたしが思うだけだけれど、そう思った。もっと読みたいとも思った。必ず、続きがあるものだとおもうから。

ますこすこさん、大して絡んだこともないのに、勝手に紹介して、勝手に解釈して、すみません!ご容赦ください。

皆さん、もう一度リンク貼っておくから、このnoteにスキを押したあと(笑)、ぜひ、一読してみてくださいね。

Sae


「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。