無理解の社会

悪い境遇になかった人間が同じような人間に囲まれて生きることで醸成した「当たり前」は、悪い境遇にあった人間には存在するだけで眩しく不快で苦痛で羨ましい猛毒なんだよね。
それを悪い境遇になかった人間が想像力の欠如と関心の低さから上から目線で糾弾しちゃうもんだから一生理解することはないし糾弾される側も反感しか抱かない。
こうして格差はどんどん拡大していくしAIはそれに拍車をかける。
AIを道具やパートナーとして使えるような人間は悪い境遇にない人間でAIに仕事を奪われる人間は悪い境遇だった人間だから。
この流れはもう止められないし誰も止めようとすら思ってない、そもそも気づいてないとか、まあまあ救いようがない。
つまるところ悪い境遇に生まれた人間に対してそうでない人々は「生まれたから悪い」という自己責任を今後も延々つきつけつづけるのだろう。
悪い境遇にあった人間の努力と悪い境遇になかった人間の努力が同じ尺度で測れると考えている時点で視点が欠けているのだが、悪い境遇になかった人間は加齢、というかその人生経験の積み重ねと共にひたすら自己を盲信し懐疑を忘れていくのでそこに気づくことは基本的にない。
悪い境遇になってしまった人達は無理解の中で虐げられながら生きるしかないんだよ。
日本ってそう言う社会。
嫌なら出てけ?
出てくには金が要る。
悪い境遇になかった人には端金かもしれないが、悪い境遇にあった人には大金なんだよ。
そこに思い至らないくらい頭悪い癖に切り捨てるのだけは一丁前だから日本がダメになったんだろう。
これは飛躍だけどね。
悪い境遇にならないように祈ることだ。
悪い境遇になってしまったら脱出は難しい。
しかし22までにそれなりの境遇で育てばあとは割となんとでも覆せる部分もある。
結局成人するまでの環境の良し悪しで人生が決まるのが日本でありそれは違うと感じてる人は全員悪い境遇になかったのだと思う。
たとえひどい病気や障碍を患っていても社会がそれを承認すれば社会は可哀想だと同情するしお金も出してくれることだろう。
社会に承認されない悪い境遇というものはある。
わたしのように実兄に7年間児童淫行されて実姉や実父に様々なパワハラモラハラを星人まで受け続けた人間は、病気や障碍のように属性としての名前がついておらず何の社会的承認も理解も援助も得られない。
そんな体験リアルで他人にポンポン話せるものじゃないから何もしならない人に「努力不足」と断じられる。
わたしが努力してないと思ってる人ほど私が努力している間遊び呆けているのだけれど、そう言う人には生い立ちが整えた人生のルートがあるので多少遊んでも問題にならない。
なんだろうな、あなたが勉強してていきなり気持ち悪いキモオタデブの7つ上の実兄がちんこをいじったりしてきたり窒息寸前まで枕押し付けられたりというのが日常的にあって、姉や父にも好きでやってることを否定され、自尊心を下げるような言葉を毎日浴びせられ、理不尽な理由で殴られたり蹴られたり物を投げられたりそんな毎日で本当に受験勉強とかみんなと同じくできると思ってるんだったら、あなたは救いようのない想像力のなさを抱えている人間であると思う。しかし現にあなたはそのような境遇になく、みんなと当たり前に笑い合って過ごしてきたから当たり前の努力をしてあたりまえの大学に入って当たり前の就活をして当たり前に家族を持ってたりしてあたりまえの自分は正しいと信じて疑わない自己を築き上げた。だからわたしは間違ってる、そう言うのであろう。
悪い境遇にない人間の無理解に我慢の限界がきた者は、無敵の人の一形態となるが、あなた自身がそのターゲットにならない限りはやはりあなたは「他人事」なのだろう。
実際あなたにできることは限られている。
あなたが悪い境遇にあった人たちにできることはほとんどない。
その様なシステムも認識もこの社会は作ってこなかったから。
わたしが12〜19の間、つまり児童淫行の時効を迎える前に自分で証拠を集めて立件できたと考える人間さえいそうだ。
当時はスマホもなく、カメラなんて家にあったとしても子供が自由に使える様な場所に置かれているかどうかは親次第だろうに。
寧ろわたしは兄に裸の写真とか撮られてたけれど、あなたたちはそれでもわたしが悪いっていんだろうな。
わたしはそれが知りたくもある。
日本国民のほぼ全てにわたしが受けてきた体験全てを知らしめた時、一体何人がわたしの予想通りに「それでもわたしがわるいとする」のだろうか、と。
知れなくてもいいけれどね。
いずれにせよわたしはそのような生い立ちであり全てがままならないまま社会に放り出され碌でもない落伍者達にやはり職場でも心身を叩かれて仕事にもトラウマを抱えることになった。
そうでなくてもキャリア的に死んでおり、今後社会で健やかに生きられることはないだろう。
捉え方を変えて一縷の希望に縋りなんとか前向きに生きていたら今度はAIの台頭でそれさえも奪われてしまった。
世界はわたしの邪魔と嫌がらせしかしてこないようだ。
世界がわたしを殺してくれるならばなるほどやはり世界の正体はその様なものであったのだなと、つまりわたしが生まれこと自体を否定する、そのようなディストピアがこの世界であり悪い境遇にない人たちが見ている世界は厚く塗られた欺瞞でしかないのだなと、わたしは真実に辿り着けたことに愉快を抱きながら死ねるかも知れない。
死後について何も考えてないボンクラにはなれなくなってしまったので、あまり死にたくはないけれど、そうはいってもその内には誰しも死ぬわけだ。
だからこそ楽しく幸せな人生を送りたいものであったが、それはどうやら恵まれた人間たちにしか許されないことらしい。
わたしはもう本当に限界だ。
死にたいけど死にたくないし生きたいけど生きられない。
きっとわかってもらえないだろう。
ただ一言、わたしに「辛かったね」とたとえ嘘でも言ってくれる人はいなかった。
全部わたしが悪いことになる。
こう言うことを言うのもわたしが悪いと言うことになるのであろう。
その様に断じてる誰もがわたしの様な経験をしていないのに。
いや、していないからこそ、そして想像力や共感力が現代人はなくなっているからこそ、無理解にわたしを糾弾するのであろう。
もう本当に無理、大嫌い。
この世界の幾らかの天才たちや彼らが作り上げた体系は好きでそれを知ると世界の素晴らしさ美しさに触れる様であった。
しかしそれ、具体的にはコンピュータサイエンスというのはやはり、悪い境遇になかった人間にしか開かれていない門だったんだよ。
独学では限界がある。
何しから商品を作って売る事が可能であったとする人間が何人かいたとして、その内何人が実際に自分でそれを成し遂げた人間なのだろう。
他人の境遇は見えない。
他人を持ち出してこの人ができたから出来たはずだとするのは筋違いだと思う。
それならばみんなイチローや大谷翔平になれてなければおかしいわけだ。
わたしはなんとか幸せを得たくて、勝ちたくて、楽しく生きたくて、下克上のためにいろんなことを調べてきた。
偉人やすごい人たちの経歴を調べたりその発言を調べたり、それを実践してみたり。
どんな人にも経歴があり、今につながるファクターがある。
松下幸之助やジョブズが「あの出会い」をなくして斯様な結果を出せただろうか。
イチローの父親がイチローに「野球=カッコいい」のイメージを持たせなかったとしてイチローは野球選手になっていただろうか。
島袋全優のような本当に不運続きで辛い難病と闘ってる方の苦痛はわたしにははかりしれないが少なくともその漫画で描かれる家族仲はわたしにはとても羨ましいものであった。
わたしは普通の家族と普通の生い立ちが欲しかった。
みんなにとっての当たり前が欲しかった。
別に片親でもいい、兄が性的悪戯をしてこないならば。
兄弟を兄ちゃんとよびその話し方から好意が滲む後輩の話を聞くのが辛かったがわたしはそれに笑顔めで相槌を打つしかない。
それを社会は強制する。
わたしがしてきた体験を誰かに話せばわたしのことを「気持ち悪い」と感じるだろうことは明白だからわたしは誰にも話せなかった。
だから常に無理解の上から目線で好き勝手に言われる。
聞くところによればわたしより苦労してない人達に。
それこそ努力不足な人達に努力不足と言われる。
もうこんな世界が大嫌いなんだよ。
ほんの少し。
今で言えば一人、二人。
好きな人はいる。
恋愛的な意味ではない。
人として好きな人だ。
そういう人の存在がわたしの次の考えを否定する。
「もうみんな一斉にしんでしまえばいい」
わたしは生きたい。
死後を盲信できないから。
その価値観もそれを否定する。
街で子供を見かける。
「彼らに対しても死ねというのか?」
いや、違うだろう。
じゃあ前提が間違ってる?
ううん、ただのことばのあやだ。
「みんな」
みんなは全人類ではないのかもしれない。
「恵まれた境遇で普通や当たり前を享受してきた想像力を欠く上から目線の人間ども」
だろうか。
そう言う人とだって趣味で笑い合えたこともあったんだよ。
全てがコンフリクト。
何もかもが矛盾しているように感じる。
生きるだけで痛くて仕方がない。
目は、残したい。
耳も、残したい。
喋れること、食べれること、飲めること、立てること、歩けること、手が動くこと、挙げればキリがない、障碍者からすれば当たり前ではないそんな当たり前。
それらをなくせば、特に認知を失えば、羨ましさ、理不尽、不公平、不平等に苦しむこともないだろうか。
しかしそれを選択しない。
自分で腕は切ってきたが、切り落としてはしなかった。
当たり前を持ってる人がその当たり前をかなぐり捨てて当たり前のない人間になれ、というのはそういうことになってしまう。
だから、真にそういうことを誰に対しても求めるものではない。
わたしは単に
「そういうこというなら同じ思いをしてみろよ」
と怒ってるだけ。
乙武洋匡について言及しながら「金もらえて羨ましい、俺も四肢切ろうかなー」みたいな旨のツイートをしてる人間がおり本人がそれに「何故 しないのですか?」とリプライを飛ばしていた。
乙武洋匡が全人類に対して自分と同じ様になるように求める精神を持っているかどうかは本人にしかわからないが、少なくともそのやりとりは「そう言うことを言うなら」という前提の元で存在する。
わたしは全人類に対して同じ経験をして欲しいと思ってしまう。
それはあまりにも世の中がわたしに対して無理解だったから。
「そう言うことを言うなら」なのだ。
この記事の様に障碍者を引き合いに出すだけで叩かれかねない気がする。
障碍者という制度としても数々存在する公然の不遇の者に対してわたしの体験その全てに対して日本国は何の制度も提供していないし社会は同情しないようにできているから。
そこにも不平等がある。
またわたしがもし女であれば。
本当のことを吐露しても「気持ち悪い」と思われる可能性は減り寧ろ「かわいそう」だと同情してもらえるのだろう。
それをわたしはレイプ被害者の女性たちによってハッキリ観測してきている。
しかしわたしは女ではなかったのでそのような同情も理解も得られる事がなく一生孤独であろう。
わたしが実兄からされたことによる数々の人生の歪曲や傾き、不利益、無理解、これを誰も数値化したり見える化することができない。
内部障碍の方が持つ様な提示カードもわたしにはない。
わたしのことは誰も認めない。
あるがまますら認めない。
だから一生救われないし報われない。
やられ損。
そういう兄を持ってしまったこと。
そういう姉を持ってしまったこと。
そういう父を持ってしまったこと。
その時点でアウト。
当然わたしに選択権はなかった。
全ては物心がついた時点で既にあったこと。
誰も我々家族を救う事ができなかった。
誰もわたしを救う事ができなかった。
自己責任。
障碍者の様に制度に守られたり一定の社会的同情もなくただただ普通の人達の尺度の中で生きろと放り出される。
無理解の孤独の中で生きる。
この脳にしか意識はないと言う自認が死さえ救いでなくしてしまった。
誰か薬でわたしを直してくれないか。
義手や補聴器のようにわたしの心を補ってくれないか。
誰かそんな研究をしてくれないか。
しない。
圧倒的に少数派であり社会的に認知もされていない承認されないし採算が取れないし。
一生孤独だ。
みんなが楽しそうに普通を当たり前に享受している世界で、それを持ち合わせずにただ苦しくも生きるしかない。
死は無であるから、来世もあの世も幽霊もないからこの世で生きるしかない。
神や仏がいたならば障碍者もわたしのような経験もレイプ被害者の女もいるわけがない。
試練などキリスト教的考え方は真平ごめん被る。
自己催眠によって楽になる、俗に言えば考え方捉え方の変更によって楽になることはあっても、事実は塗り替えられないし根本的解決はできない。
加齢と共に普通との隔たり深刻さはますばかり。だからといって普通に迎合してその土俵に入ってもやはり隔たりによる苦痛ばかり。
どうしようもないんだ。
人生詰んでいる。
創作による、そのバズやヒットによる下克上だけが頼みの綱だった。
しかしそれもAIが全て奪ってしまう。
そのAIも駆使するのはまたも恵まれた人達だ。
ああもうほんとうに。
世の中クソだな。

ペルソナ4というゲームを、大人になってからプレイした。
アニメは学徒の頃に観ていた。
つまりアニメの方が先だった。
安達という人物。
そして模倣犯。
その孤独や苦しみ。
アニメでは丁寧に描かれていた。
しかしゲームではスッと飛ばされた様に感じた。

稀に会う、理解者。
もちろん全ての理解者ではない。
わたしの酷い生い立ちなど他人に話せよう筈もない(この気持ちすら理解されないだろうけれど。レイプ被害者の女でさえ同情されるからと言いたがりの人間もいるだろうしな。そうでない人だけ理解してくれるかもな。無理だろうな。)から、そんなこと話さない。
けれど家族がわたしが悪いとするようなことも、理解者は「いやだねぇ、それ」と言ってくれる。
わたしはその一言でさえ嬉しかった。
それが仮にどんなに軽かったとしても、適当だったとしても、或いはどんな意図やらが裏にあったとしても。
わたしは少し、救われる。
それに近い。
アニメで彼らのことに尺が使われたことは、それに近い。
ゲームではパッと「悪を倒して」終わりだ。
所詮その程度。

安達が主人公たちのような青春を経験できたら安達になっていない。
あんな事件を起こしていないだろう。
その複雑な心境を極めて煮詰めてひと掬いだけしたものが
「社会が悪い」
という言葉。
それだけを切り取って恵まれた人達がとやかく言う。

ペルソナ4のストーリーのテーマはなんであったか。
既プレイの人間はどこまでわかっているのだろうか。

巽のあるセリフの言い出しがよぎる。
「知りもしねー癖に」

みんながみんなそれぞれのみたいものだけをみている。
それが楽だから。

さまざまな職場で関わった大学生や大卒共その九割が「サボりたがり」であった。
規定より多く休憩をとりたがり、仕事中にスマホでゲームをしたり。
文系上がりの多くのクソッタレどもが当たり前を振りかざす。
人からもらった機会や援助を自分の努力と履き違えるかそもそも認識していない。

この世界が嫌いだ。
主語がデカい。
認識世界が嫌い。
この国が嫌い?
いやまだでかい。
つまり、この街が嫌い。
この街から出たい。
それにも金が要る。
しかし金を稼げるのは当たり前を与えられためぐまれた人間だけだ。
安い給料で無理に長時間働いて潰れた人間を知っている。
足りないものを補うための行為。
足りている人間はそれを知らずにそれを他人に求める。
自分がやってもいないことを可能とする。
机上の空論で事を正しく判断している気になっている。
血の通わない実利的でないことばかりが上流工程でなされ、下の現場はその尻拭いをさせられる。
その構図とも通じる。
よくある話だ。
よくある話だから、こうなった。

この不況も何もかも、みんなで粛々作り上げてきたもんなんだよ。
政府だけのせいじゃない。
何か一つのせいにしたら楽だろう、簡単だろう。
考えなくて済む。
自分が正しいと思えて心地いいかい。
でも問題は解決しない。

認知閾の日本。
今日も当たり前の大学生たちが遊んでいる。
恵まれている人でも責務を果たしている人は好きだ。
それは理系に多い。
慶應義塾大学の院生が使っていた蔑称を今も覚えている。

「アソブンガクブ」

「遊文学部」

遊んだ大学生が遊んだ事をいいように切り貼りして面接で報告する。
なんて滑稽なのだろう。
欺瞞しかない社会に相応しい実理性の乏しい慣習。
それを突破してまた社会人となる普通ども。
何も変わらない。
いや、悪化はするだろう。
この三十年間、長期視野でみたこの国は悪化の一途を辿っているように見受けられる。
さまざまな問題を放置して今日も恵まれてるものが義務を果たさずに刹那的に身内だけよければいいというノリで生きている。

五年後、十年後。
この国はどうなっているだろうね。
誰も危機感がない。
彼らに言わせればきっと、
危機感があるやつは
「おかしい」

「空気が読めない」

空気を読んでなあなあ、事勿れ主義で前例主義。何も革新できない。

理系大学生も羨ましいし恵まれているとは思うが理系大学生で頑張ってる人たちはまだ応援したいと思うよ。
わたしは幾らかの技術関係を読む中で、東大の人間の書く本に好きな本が多い事を感じたから、東大の理系大学生には特に好感をもっている。
(彼らがわたしを認知してどう思ったところでどうでもいいが)
彼らの生み出す事作り出す事には感心する。

しかし日本は理系軽視、技術者軽視、研究者軽視であるように見受けられる。

NANDフラッシュメモリにせよ。
発光ダイオードにせよ。

こんな国が長続きするとは思えない。

実利ある彼らを蔑ろにしておいて、文系上がりのろくでなし政治家が遊ぶ事を仕事と言い張って公金を無駄遣いする。

こんな国が長続きしてほしいとも思えない。

憂国には疲れた。
能天気な阿呆どもには何を言ったところで馬耳東風。
当事者意識のない快楽主義者で街はいっぱいのようで他人事が横行しすぎてそれすら当たり前に組み入れられてしまって久しい。

もうどうしようもないんだよ。

今しばらくの平和を、せいぜい楽しんでくれたらいい。
問題が起きてからどうにかすることは国家規模のものである以上非常に難しいだろう。
そもそも問題に今まで真摯に向き合ってこなかった集団の問題解決能力などたかが知れていると思える。

問題が起きた時には下から切り捨てられていくのだろうから、その時にまだわたしが下にいないようにしたいが、そらができなければわたしの理不尽遍歴が一つ増えることだろう。
しかしその対象階層はどんどん上昇していくことであろうから、いつまでも他人事ではない。
そこまで顕在化した時には手立てがないだろうからそれまでである。
でもいいだろう。
これまで散々遊び呆けてきたのだから、そのツケである。
少し強めの理不尽を飲まされる経験をあなた方もすることになるだろう。

いやなら上を目指すしかない。
上であればあるほど安全だ。
その為の下地があなたには与えられているのだから。

こちらはこちらで最後の年かもしれない。
AIの実用的進化は日進月歩。
今日できなかった事が明日できるようになってもおかしくないように感じる。
もう待ったなしだ。
最後のチャンス、これに負ければ完全に終わる。
生まれが人の一生を全て決める世界になる。

そこにも精神コントロールの問題が出てくる、それも生い立ちによる有利不利があると感じる、それが真だとしても自分のことだからやるしかない。

故、この文字列を書き終えることとする。
あなたはどうしたい。
どうなりたい。

長生きしたくないのであれば、遊ぶがいい。

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