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Essay day14. わたしが泣くときのこと

最近、自分の身の回りに居てくださる方々がとにかく素敵な人たちばかりということに気づくことが出来た。

それは何も人間関係がガラッと変わったわけではなくて(日本に帰国していく人たちを見送りながらゆったりと移り変わってはいる)、主には自分が今周りにいてくれる人たちを見る目線を変えたんだと思う。

そして、そんな風に私を変えてくれたのは日本にいた時から私の周りで私を長いこと信じてくれてる人たちなのだと思う。

この数年間、デザイナーとしても大人としても自分自身と向き合い続けてきた中で、何度も何度も悔しい思いをした。
もっと上手くやれたらいいのに、もっとできる自分だって信じてたのに、なぜこんな中途半端な結果しか出せないんだ、、など、悔しい悔しいって言いながら、私は泣いてばかりだった。

そして有難いことに、泣くほど悲しい理由は全部自分が自分の期待値に到達していないだけで、基本的に私の周りの人たちはいつもそんな私に寄り添ってくれていた。

何かに悲しむとき、それが自分のためだけの涙であるいまの私は幸福だと思う。ひとつひとつの行動が自分のために行われていることの証明みたいで、そこには誇らしい気持ちさえある。

先週久しぶりに、中学からの親友に電話をかけた。彼女はもう8年ロサンゼルスに住んでいる。こうと目標を決めたら絶対にコミットさせる強さを持つ人。彼女の昔からの振り切った一生懸命さはいつも私を勇気づけてくれたし、ご飯を食べている時のこの上ない幸せそうな顔は私の心の隙間を埋めてくれている。

今は彼女の大好きな音楽で第一段階の足場を整えてこの8年で自信をつけることができたから、今度は自分が心の底に一度沈めてしまった想いにもう一度光をあてて、次のステージに足を踏み出そうとしていると教えてくれた。

そして彼女もまた、素敵な人たちに恵まれて、囲まれて、LAという環境でどんどん彼女自身の心に素直になっていったら、家族や日本や日本を出る前に仲良くしていた友人たちと、まったく別の形で出会い直せた、それはすごく新鮮で楽しくて、自分さえ変わればどこの国にだって住むことができると気付けた、と嬉しそうに話してくれた。

長い付き合いの友人や家族になるほど、相手の魅力も凄さも当たり前のものになっていく。だけど、人は何回でも出会い直せるんだと思うし、近くにいても離れていても、何回も出会い直せている人たちと、長い付き合いが出来ているのかもしれない。

私が自分のために沢山泣いてでも自分にもっと負荷をかけて期待し続けたい願いの裏にあるのは、素敵な周りの人に囲まれていて、その人たちと胸を張って並べる自分でいたいからなんだと思った。

好きな人たちに好きだと言い続けるために、私は私に出来ることをひとつずつ頑張っていきたい。

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