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Essay day9. 芽が出るまでの間

私はいつも新しいことを始めるとき、最初に芽を出すまでのスピードが遅い。

向いてるか向いてないかもまだよく分からない第一歩目、大体のこのこと歩いてしまう。そうやって何年か地道に芽が出るのを待ってる間に、あとから始めた人たちにバンバン追い越されていく。

そんなとき、私は自分のことを不器用だなぁと思って観察していた。上手く出来ないのは、頭が悪いのか、手先が不器用なのか、向いてないのか、そのどれかなんだろうな、と思ってた。

そうやって地道にマイペースに続けていくと、今度は猛スピードで抜かして行ったひとたちが、色んな理由でいなくなっていく。彼らは皆それに飽きて、新しい別の何かのところへ同じくらいのスピードでビュンと走り去っていってしまったのだ。

だけど、一方私はその頃ようやくソレが楽しくなってきたところだから、その場を立ち去りたくない。ただひたすらマイペースにのこのこ歩き続ける。こんなにゆっくり歩いていると、もはや向いているのかいないのかも分からなくなってくる。

いっぱい歩いたなぁ、と思える頃には10年近くが経っていた。

それでようやく、自分のことをデザイナーって名乗れるようになった。私がデザインを始めてからの10年間は、ざっとそんな体感だった。

何かひとつのことを習得しようと思った時、資本主義社会の考え方に基づくならば「いかに短い期間で効率的に正しく習得するか」が正解になる。

だけど、みんながみんな効率的に習得できなくったっていいと思う。「習得」だけが学びじゃない。

デザイナーになろうと思って、フォトショップの機能を隅々まで全部覚えて、ルール本を読んで、はいもうプロ!ってなるかというとそういうわけじゃなくて、目や手を鍛えたり、においを嗅ぎ分けたり、自分の考え方の癖を理解したり、色んなことが合わさってはじめて自分の頭の中にデザインを生み出すブラックボックス的な装置が組み立てられ、日々改良されてゆく。

だからデザインへの理解という山において、登頂することは一生ないと思ってる。

そう考えると、芽が出るまでの期間が1年だろうが3年だろうがどっちだっていい気がしてくる。向いてるか向いてないかじゃなくて、やりたいかどうか、やり続けたいかどうか。

やりたいという気持ちと続けたい気持ちさえあれば、大抵のことはなんだって出来る。


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