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酒場の親父の半生(長文やでぇ💦)


【2020年6月17日現在の自己紹介】

・進行する薄毛に医学の力を借りて戦っている、38歳。

・餃子をメインとした酒場の親父をしてます。

・兵庫県尼崎市在住。同じ歳の妻と2歳の息子と同居。

・餃子をメインとした酒場4店舗、セントラルキッチン&通販部門の工場を営む小さな会社を経営。社員は12名。アルバイト含めて約30名の零細企業。
※2022年5月 障がい者雇用を目的としたB型就労継続支援施設「ワークスペース満太郎」を開設。

・ここでは飲食店経営にまつわること、経営者として意識していること、本やyoutubeでインプットしたことをアウトプットすること、家族との思い出、趣味のボクシングのことを、つらつらと記していきます。

・noteは勢いでスタート。フェイスブックほど、繋がりや、しがらみもないし、自分の好きなことをアウトプットするのにええ機会。365日連続で記載することを宣言します(大丈夫か?笑)

【0歳~18歳】

•1981年10月に兵庫県尼崎市にて生まれる。
尼崎市=ダウンタウンさんの出身地で有名ですね。

・小、中、高と自宅から徒歩10分以内のTHE地元で18歳まで過ごす。 

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・中学校までは野球、高校ではボクシングをかじりながら遊ぶ、どこにでもいる少年。
 「将来はボクシングの世界チャンピオンになるんや!」と公言していたが、高校3年になる前の春休み。
 友人から「じぶん、社長に向いてるで」と言われたことを真に受けて、急遽路線変更。

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・香川県から大阪に出てきて、中華料理の料理人一筋だった父親から、「社長になるなら大学に行ったほうがいい」とのアドバイス。これまた素直に真に受けて受験勉強を開始。

・父が外食企業の役員になっていて、外食産業の話をよく聞いていたことから、「将来は外食産業の社長になる」と公言するように。
 この時は、社長=仕事=飲食店しかイメージが出来ていなかった。

・18歳の春に人生で初めて受けた模擬試験では偏差値38。
 三者面談で担任から「勉強よりボクシングのほうが向いているで。進学諦めたら?」と言われたことは、今でも忘れない笑。
 ここから国語、英語、日本史のみに絞って猛勉強。冬には偏差値66へ。
 同志社大学商学部に合格。

・高校は自由な校風で大学進学希望者は20%ほど。
 ガラが悪かったとかではなく、選択肢が多い学校だった。
 僕の周りには音楽や美容師の専門学校への進学や、就職する人が多かった。
 この高校から、同志社大学に合格するのが「何年振りやねん!?」の快挙だったらしく、「ましてや、辻が!?」ということで、合格を報告しに職員室へ行ったら、その時いた先生方が全員起立で万歳三唱。
 卒業後2年連続母校に呼ばれ、進学組に受験勉強の体験談を披露した。
 大袈裟に聞こえるけど、そんな学校かつ高校生活でした笑

【大学時代】

・家から通える範囲だったにも関わらず、下宿生活に憧れ、京都市伏見区に大学3回生まで下宿。

・学業よりアルバイトに打ち込み、遊びまくる、どこにでもいる大学生。
 飲みにいっては「俺は社長になる」といいながら、勉強も何もしてへんかったなぁ・・・。

・19歳の冬。現在の妻と出会う。もう人生の半分は一緒におるなぁ。

・2000年4月。中華料理人かつ外食企業のNo2としてバリバリ仕事をしていた親父が独立。中華食材の製造卸売をメインとして、ラーメン屋や中華料理店を出店しては閉店していた。
ちなみに、この会社が、現在僕が経営する会社「有限会社桃源郷」やね。

・就職活動。
 将来経営者になることを見据えて、銀行、コンサルを回る。
 そのほか分野では、ワタミとサントリーのみ。当時「青年社長」を読んで憧れたワタミ。   
 会社説明会で渡邉美樹さんに質問して、やりとりしたのが懐かしい。
 あとサントリーが大好きだった。「やってみなはれ」の文化、今でも大好きやねん。
 プレミアムモルツしか飲まないと豪語する面倒くさい大学生だった(現在、経営する店ではアサヒスーパードライ。すいません、サントリーさん。またnoteで書いていくけど、色々あったんです)。

・最終的に縁があって、悩んだのは、政府系のベンチャーキャピタルである大阪中小企業投資育成株式会社とサントリー。
「一生働くならサントリー!」という気持ちだったが、経営者になる勉強のためなら、と前者に入社した。

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【サラリーマン時代から経営者へ】

・いい意味で自分の鼻を折られたサラリーマン生活。
 この期間がなかったら、今の自分は無い。
 この会社に入ってよかった。

・今振り返ってみて。
 会社に貢献した!という意識よりも、お金をもらいながら、勉強させてもらう日々だった。

・2006年3月 結婚。新婚旅行はグランドキャニオン&ラスベガス。リッチな旅行。

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・就職先は知名度は無いけど、超優良企業の会社。
 政府系金融機関と言っても税金で飯を食べている会社ではなかった。この会社のための特別法があり、自社でしっかりと利益を出していた。

・今は色々改革されているようだけど、当時の待遇はものすごく良かった。入社して2か月後の研修期間中に、賞与55万を頂いたのは、びっくりしたなぁ。
 社会保険も労使折半ではなく、会社負担が6割。
 結婚したら社宅制度があり、自分で選んだ好きなマンション家賃12万円のところに家賃1.5万で住めた。
 土日祝日休みはもちろんやね。妻との時間もよく取れた。
 退職する28歳時点で、実質年収は900万ほどやったかな。
 経済的にも時間的にも、余裕があったので、趣味でアマチュアボクシングの試合にも出まくった。

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・あるとき、親父の会社の決算書を見ると赤字で債務超過で倒産寸前。

 もう数か月であかんやん、という資金繰りの状態のときに「俺が立て直したるんや!」と押しかけ入社。

 親父は、息子である僕が、せっかく安定した生活を手に入れているんやから飲食の世界には来るな!と大反対。

 嫁さんは不安がって「お父さんから給与はもらえるの?」と質問され、「給与は自分で稼ぐねん!」と感情的に返答。

 その後、結局7年間は給与とれなかった。  
給与0円やから、健康保険証も自分名義で作れず、妻の扶養に入っていた。
自分の会社名義の僕の健康保険証をもったのは、3年前にやっと・・・。

 貯金と年金を取り崩してできた退職時の預金残高1,400万円は会社の運転資金と生活費で3年で消えたなぁ(笑)

【飲食店経営者として】

・ステージ毎に、今後、色々と振り返っていくので、ここは短めに。

・入社当時の事業は、他飲食店へ食材を製造卸、情熱ホルモン(焼き肉屋)のFCを1店舗、ラーメン屋1店舗、たい焼き屋1店舗。
このころ年商6000万。借入2000万円。

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・僕の入社後の初仕事はたい焼き屋2号店目オープン。夏で月商20万円。
1日中働いて、売上3,000円とかザラ。冬のピークで月商50万円。利益ちゃうで。売上やで。

・赤字拡大、借金拡大が続く中(前職のおかげで借金するのは得意(笑))、とんかつ弁当を宅配するFCに加盟。その後、釜めしのFCも。

 自社でうどんを宅配する業態など、1店舗でとんかつ、釜めし、うどんを宅配していた。

 営業終了後の深夜にチラシをポスティングする日々。

 このころ、元旦に妻の実家がある香川県に日帰りで年始の挨拶に伺う以外、364日間1日15~18時間は働いていたなぁ。
もちろん役員報酬なんてないで笑 
自分の給与よりも会社の資金繰りのことしか考えていなかったわ。

 この頃で年商8,000万円、借入6,000万。

・経済的にも時間的にも余裕などは全くなくて、自分の結婚式に来てくれた友人の結婚式にも全く出席できなかった。
 祝儀を工面して、嫁さんが僕の代わりに、すべて一人で出席してくれていた。情けなかった。頑張っていたけど、結果は出なかった。今思えば、勉強と努力する方向が間違っていたな~。

・背水の陣で、串カツとワインの店「カツ男爵」をオープン。
 初月、税込みで300万円売れなければ、会社は倒産していた(オープンした月の売上は450万)。これがなんとか成立した。

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※カツ男爵OPENの話は3話に分けて後日記事にしています。
 飲食店開業に興味がある人はどうぞ。リアルに描いています。

・カツ男爵を営業していくなかで、飲食人としての経験を積んできて、、、「飲食店とは?」を自分なりに掴めてきた頃、、、。

・今から3年半前やね。僕が一番美味しいものを作る人と考える親父の味で勝負をしたいと決めて、十三に餃子酒場満太郎をオープン。親父は乗り気ではなかったけど、親父の味で繁盛店を作りたかってん。親父の味が旨いねん!って証明したかってんなぁ。

・このお店に手ごたえを感じて、餃子1本でいくと決め、他事業はすべてやめ、現在に至る。

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・事業も軌道に乗り出してきた頃、嫁さんが「子供が欲しい」と言ってきた。この頃には経済的にも時間的にもゆとりができていた。
 少し前までは、生活が不安定だったから、彼女の気持ちを聞くこともできひんかった。結果が出るまでの間は、、、「子供が欲しい」と言わせられる環境でもなかった。
 今では・・・今年2歳になる息子「信太郎」に恵まれ、3人家族で幸せな日々を過ごす。

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・3月決算の弊社。前期は年商2億円。設立以来、初めて債務超過を解消。利益もしっかり出て、消費税以外の法人所得税も初めて、しっかりと納税。

銀行借入も1年間で3,000万を繰り上げて返済。
もうすぐ無借金という状態に。

コロナでまた借金は増えたけど(今は残高1億円超)、、、心配や不安は無し。自分の人生の理念があり、仲間がいて、戦い方が分かったから。
 日々悩むことはあっても、生き方にブレることは無いから。これからの人生が楽しみで仕方がない。

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【嫁さん以外のパートナー】

・お気づきですか?今回。嫁さん以外とのツーショットはすべて彼とです。

僕の幼馴染で、弊社のマネージャー近藤孝司。8歳からの付き合いです。

彼がいたから、僕は頑張れた。

そんな話も、おいおいしていきます。

【餃子酒場 満太郎についての記事も書いてるで~】

2021年11月 餃子酒場 満太郎のHP作ったで~】


【2022年5月 B型就労継続支援施設 ワークスペース満太郎開設】


【ワークスペース満太郎 ホームページ】




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