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ハートにブラウンシュガー 1

低い重低音のサウンドが車内に響き渡る。
山に囲まれた国道をひたすら北上した。
真夜中過ぎにライヴハウスを後にして、走り続けて、あと数時間もすれば夜が明ける。
助手席のティナも、ウトウトと居眠りしている。
ソバージュのブロンドの髪を時々、左の掌で撫でてみた。
長いまつ毛とふっくらとした赤い唇見てたら、今すぐにでもkissしたくなる。

昨夜のライヴの興奮が未だ俺の胸を熱くさせてる。
俺はレスポールかき鳴らし、ティナのヴォーカルはいつもながら客席を総立ちにさせた。
強く、時に甘く、スタンドマイクに絡み付き腰をくねらせ、曲に声を乗せる。
そしてその眼差しが、人の心を狂わせる。
俺はいつもライヴのその瞬間に狂気を感じる。
スモークと熱気と歓声に包まれたライヴハウスは、切り取られた人生の一瞬、魂が交錯し合う場所だと俺は感じていた。

いつもならホテルに向かうはずが、遠くの海に連れてってというティナの一言で、走り出したのが、2時間半前。
この先、どこまで行くのか、俺にも分からない。
道がある限り走り続ける。
それは俺達の生き方そのものの様に感じて、俺はスピードを緩めなかった。

ハードロックの世界に飛び込んで早3年。
こんな世界でも案外縦社会がまかり通る。
楽屋入りする度に先輩バンドのメンバーに挨拶は欠かせない。嫌な奴にも頭を下げる。でないと最悪、出禁になる。
だけど、対バンする奴らには負けていられない。
少しでも上手い奴が現れると、妬み、引き抜きが横行した。
トラブルも数え上げたらキリが無い。強くなければ生きて行けない世界だ。
いくつかの嫌がらせも受けた。演奏中にアンプを倒されシールドがブチ切れた事件もあった。

本当に仲の良い奴なんて一人もいない。バンドのメンバーでさえ、練習中は意見のぶつかり合いで一触即発な事はしょっちゅうだ。それでもメンバーは仲間だ。どこかで繋がり、同じ夢を見ている。ベースのサブもドラムのクマも、ライヴが始まれば一心同体となる。
けれど、俺達はなかなかブレイク出来なかった。

そんな時、俺はティナと出会った。
俺はその歌声と瞳に一目で虜になった。
当時ティナは女性バンドで大人しい曲を演奏していた。
だが、俺は直ぐに見抜いた。ティナに合うのはこんなユルイ曲じゃない。
俺はティナをバンドのヴォーカルに誘った。
悪いけど引き抜きだ。
当時の女性バンドではティナの魅力が引き出せないと、俺は話し合って了解を得た。筋は通したつもりだ。ティナも俺と同じ思いだった。

そして、俺とティナは同時に恋に堕ちた。
俺達のバンドはティナのヴォーカルによって、大ブレイクを果たした。
今はそのライヴハウス一の人気バンドにのし上がった。
このまま行けば、インディーズはおろか、メジャーデビューの声がいつ掛かってもおかしくない。
だが、そんな事より、一回一回のライヴで味わう興奮。それが麻薬の様に俺の心と身体を惹きつけた。
ライヴをするのもセックスするのも同じ感覚だった。
俺はレスポール鳴らしながらいつでも背後からティナをファックしていた。

もちろんライヴがハネたら、ライヴの興奮そのままにホテルのベッドでヤリまくるのだが。
とにかく、俺は満足していた。
バンドもセックスもティナのおかげで理想を極めた。
このまま行き着くとこまで走り続けたい。
俺はそんな思いでハンドルを操り車を走らせた。


夜のしじまを走り続けて、気が付けばもう知らない土地だった。右側の暗い広がりから波の音が聞こえる。どうやら海のある場所まで来たようだ。
暫く行った先に海に面したパーキング広場があったので、そこに車を乗り入れる。
駐車スペースの海側に面した箇所に停車する。
今は暗くて何も見えないが目の前には広大な海が広がっているはずだ。

目を凝らして見てみると、所々に波の白さがラインを引いて浮かんでは消える。
遠く左の方の海岸線に沿って所々に灯りが瞬く。この先は海辺の街らしい。
今車を停めてる方向は東向きだから、このまま海の方向から陽が昇って来るだろう。
暫くここで夜明かしをするかと、シートを少し倒してもたれかかる。

車の走る感覚が止まったのに気付いたのか、ティナは身体を捩らせ、「どこなの?ここ」と訊いた。
「場所は分からないが、目の前は海だぜ」
俺はタバコに火を着けながらそう呟く。
「そうなんだ。今何時頃?」
「もうすぐ4時になる。夜明けまでにはもう少し時間がある。眠りたけりゃ眠ってていいぜ。夜明け前になったら起こしてやる」
「そう」
ティナは素っ気なく返事をすると、俺の胸ポケットからタバコを一本取り出し、口に咥える。
俺はライターでそれに火を着けてやる。

ティナは深呼吸する様に大きく吸い込むとゆっくりと煙を吐き出した。
車内がたちまちタバコの煙で充満する。
俺が窓を開けようとすると、
「いいの」とティナは手で制した。
まだら模様の煙が空気中で渦を巻いて不思議な空間を作り出す。全てのものはゆっくり動いて、そこに留まりはしない。静かに形を変えていつのまにか消えて行く。

「あのね、レイ、ちょっと聞いて欲しいの」
「うん?」
ティナの声はいつになく真剣味を帯びていた、
「昨日、ライヴの後に須藤さんから声を掛けられたの」
「須藤さん?」
須藤というのはそのライヴハウスのオーナーで、かつてはプロのミュージシャンをしていた。今はライヴハウスの経営をしながらプロデューサーとして音楽制作に携わっている。
「……それで?」
俺は話の先を促した。
ティナの話の持ち出し方からすると、俺にとってはあまりいい話では無さそうな気がする。

「プロのシンガーにならないかと誘われたの」
俺はその言葉を何度か頭の中で繰り返し、その意味について暫く考えた。
「それは、バンドとしてじゃなくてティナひとりでって事か?」
ティナはまたタバコの煙をゆっくり吐き出し、
「そうみたい」と返した。
「それで、どう返事したんだ?」
俺はちょっと喉の奥に溜まってた唾液をゴクリと飲み込んだ。

「断ったわ」
ティナの返事に俺は少し安堵したが、同時に口の中に苦いものを感じた。
俺達、ミュージシャンは誰でもプロになりたくて努力してるんじゃなかったのか?
ティナにとっても、こんなチャンスはそうそうあるものではない。
いや、ティナなら、そうでもないのか?
いろんな気持ちが頭の中で一気に交錯する。

「ティナはそれでいいのか?」
俺の質問に、ティナはふっと口元を緩めて笑う。
「だって私は今が一番楽しくって、それをやめられないわ」
「だけど、プロのシンガーとしてデビュー出来……」
と言いかけた俺の口を突然ティナの唇が塞いだ。
長いkissだった。
俺は指に挟んだままのタバコの火が気になった。

暫くしてティナはゆっくりと身体を離した。
そしてまたタバコを一口吸う。
俺も気持ちを落ち着かせるため、一口吸った。いつのまにか随分短くなってた。
酒でも呑みたい気分だったが、車ではそれも出来ない。
せめてどこかで、苦くて熱い珈琲でも飲みたい。

どれくらい時間が経ったか、俺達は黙って遠くの暗い海を見ていた。
すると暫くした頃、水平線の辺りが白く、所々赤く色を射す様に雲間を照らし始めた。
「あ、見て明るくなって来たわよ」
ティナはそれを見て目を輝かせた。
「外に出てみるか」
俺が言うとティナも頷いて、ドアを開けて外に出た。

外に出ると一斉に波の音が聴こえた。
俺達はパーキングの柵に腰掛けて遠く水平線から輝き出した光を見つめた。
空の上にはまだ明るく輝く星がひとつ見えている。
「あれは金星だろう。明けの明星だな」
「綺麗」
ティナはうっとりした目でそれを見つめた。

瞬く間に、光は大きくなり、夜明けの瞬間が近付いた。
暗かった空は紫色から藍色にそして徐々に水色に変化した。
暗い海もやがてその雄大な姿を現し、深いブルーの海洋が目の前に迫った。
水平線から陽射しが差し込み、やがてこの世界を明るく照らし始めた。
風が吹いて来た。
鳥の鳴き声が聴こえる。
遠く漁船が一艘、沖に向かって進んで行く。
地球は周り続けてるのだ。

それらを見ながらティナは草の上に立ち上がった。
朝の風が吹いて、ブロンドの髪を揺らす。
「私は、ブラウンシュガーのティナよ。これからも、それは変えられない」
ティナはしっかりと決意を込め、力強い声でそう言い切った。
まるで夜明けの海に向かって宣言する、そんな立ち姿だった。
それはそのままステージに立つティナそのものだった。
ブラウンシュガー、俺達のバンドの名前。

俺はここにレスポールとアンプがあれば、思い切りぶっ飛ぶ様な音をかき鳴らしていただろう。
その代わりに背後からティナを抱き締め、振り向かせ激しくその唇を吸った。
左手でティナの首筋を支え、右手で腰の辺りをまさぐる。
そして舌を絡ませ、快楽に身を委ねる。
それはまるでステージ上のプレイと同じだった。
ティナは激しく俺に反応する。
俺も激しくティナに反応する。

明け方の海辺で、俺とティナのハートは激しくロックしていた。

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