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死体写真館 後編

【ここまでのお話】
『あなたの死体写真を撮影致します』
この様な広告を出したのは、乙骨写真館の店主乙骨鱗詩郎おつこつりんしろうだった。
コスプレとしての擬似死体写真は好評を得て、多くの若い人達がインスタやSNSに自分の死体画像を投稿して楽しんだ。
ところがある日、その死体写真と全く同じシチュエーションで本物の殺人事件が連続して2件発生し、若い女性が変死体となって発見された。
事件を追う小泥木警部は万画一探偵に応援を求め、乙骨写真館に聴き込み捜査に出向く予定を決める。その矢先、第3の事件が発生した。

前編はこちら


 ここはお馴染み、万画一道寸まんがいちどうすんの住まい、大森の山の手にある『料亭・潮月』の離れ。
 万画一がまだ布団の中で微睡んでいると、突然ホームスがギャーと鳴き声を発し、顔の辺りをぽんぽんと叩いた。
「なんだよ、ホームス、まだもう少し寝かせてくれよ」
 昨夜は遅くまで警察から借りて来た事件調書を読み耽っていたので、まだ眠り足りない。
 それでも、ホームスは容赦なく万画一の顔を叩き続ける。
 すると、部屋の外から、「万さん、万さん、起きてくださいな。小泥木警部さんがお越しですよ」
と友恵女将の声が聞こえる。
「え、もうそんな時間?」
 万画一は寝過ごしたかと思って目覚まし時計を確認してみたが、時刻はまだ六時を過ぎた所だ。
 えー、何で? と思いながら起き上がって万画一が戸を開けると、友恵女将の隣りで神妙な顔をして小泥木警部が立っていた。
「えっ? 警部さん、今日のお迎えは九時の筈じゃ……」
 万画一がゴシゴシ頭を掻き毟って目をしょぼしょぼさせながら訊くと、
「万画一さん、朝早く申し訳ありません。事情が変わりました。第三の殺人が行われました」
 小泥木警部はそう言った。

 第三の殺人現場に万画一探偵とホームス、そして小泥木警部が駆け付けたのは午前七時頃であった。
 場所は青梅街道沿いにある川のほとり。
 川の本流を外れて水の流れが緩やかなせせらぎの箇所に、半分水に浸けられ白い布を纏った半裸状態の若い女性が死体となって横たわっている。
 口から赤い血が溢れ出し、毒物による中毒死だと推側出来る。それだけではない、女性の下腹部は鋭利なナイフで切り裂かれ、腸の大部分と子宮が川の流れに晒されて、体外へと漏れ出していた。その贓物は緋色に揺らめき、犯行の鬼畜さを物語っていた。
 小泥木警部はその凄惨な状況に息を呑み言葉を無くし、万画一はやたらに頭の上の雀の巣を掻き毟った。
 死体の傍ら、川岸にはやはり一台の脚立が置かれ、その無機質な佇まいが一種異様なムードを醸し出していた。
 警察の鑑識が慌ただしく動き回り、写真班は様々な角度からカメラのシャッターを押した。
 万画一はふと思い付いて、写真班の一人をつかまえて、脚立の上から撮影してみてくれないかと頼んだ。これまでの二度の現場では脚立には触れない様にとの指示だったので、その係員は警部に許可を求め、小泥木はそれを許可した。
 一番腕の立つ写真班の者が脚立に上り、角度や高さを変え、何枚かの写真を撮影した。
 それら一連の作業が一通り終わると死体は水の中から河原の草むらの上に敷かれたシートの上に引き上げられた。次は検視官がかがみ込んで死体を隈なく調べる。
 小泥木も万画一も傍に立ち尽くしてその様子をしっかり見守った。
 ホームスは冷静に死体の周りを仔細に匂いを嗅いで回る。ふと、女性の左手側に立ち止まると、その指先をじっと見詰めた。
 女性は、薄いピンクの模様の描かれた綺麗なネイルを施している。万画一も側に立ち寄り、その指先を念入りに調査して、その状態を確認した。
 それにしても、綺麗な躰だった。惨たらしい殺され方をしているものの、その肌は滑らかで色は白くスタイルの良い、一流モデルの様な躰つきをしていた。
 一行は現場を荒らされ無いよう、周囲にKEEP OUTと書かれたテープを張り巡らせ、数人の鑑識係を残し、本庁に戻った。女性の死体は正式に司法解剖に回され、死亡推定時刻を割り出すのを待つ事になった。
「万画一さん、解剖の結果や身元が判明するまで、もう少し時間を要します。その間に例の乙骨写真館を訪ねてみますか?」
 小泥木警部の元にはすでに現場写真がプリントされ届けられていた。それはネットに上がっている乙骨写真館の擬似死体写真とほぼ同一であった。
「そうですね。是非、そうしましょう」と万画一は返答し、小泥木警部、万画一探偵、白猫ホームス達は部下を数人引き連れて乙骨写真館へと向かった。

「またですか? 警部さん、何度来られても、私の答えはいつも同じですよ」
 乙骨鱗詩郎は冷笑を浮かべて姿を現した。
「第三の事件が発見されました」
「ほう」
 小泥木の言葉に乙骨は驚きもせず、口先だけを動かした。
「先ずはこの現場写真をご覧ください」
 今朝ほど撮った写真の一枚を警部はカウンターの上に置いて見せた。
 乙骨はそれをチラッと見ると、またフンと鼻先で小馬鹿にした様に唇の端を持ち上げた。
「また誰かの悪戯ですな。こちらはいい迷惑ですよ。お話する事は御座いません。お引き取り下さい」
 乙骨の最後の方の言葉は若干ヒステリックに響いた。
「こちらをご覧下さい」
 すると万画一が別の現場写真をカウンターに並べる。
「あなたは?」
「はぁ、探偵の万画一と申します」
「へぇ、探偵さん、ですか」
 乙骨はジロジロと物珍しそうに万画一の風態を眺め回した。
 その時、ホームスが懐から飛び出してフロアに降り立った。乙骨は驚いて、
「猫ですか?」と、白いオッドアイの猫の行方を目で追った。
「ああ、気にしないで下さい。僕の飼い猫です。それよりどうですか? こちらの写真は」
「ふ〜ん」乙骨はフロアを歩き回る白猫を気に掛ける様子でいたが、そちらの写真に目を落とした。
 暫く無言で、その写真を見ていた乙骨は、やがてそのプリントを手に持つと、
「これは……、あなたが撮影されたのですか?」
と質問した。
「いえ、撮影は警察の写真班の者です。彼はカメラの腕前も一流ですよ」
「でしょうね……」
 乙骨の視線がその写真に釘付けされている間に、ホームスは小さく開いたドアの隙間から隣の撮影スタジオへと入り込んだ。
「どうですか?」
 万画一はニコニコ微笑んで乙骨の様子を眺めた。
「いや、今までで一番よく撮れてる」
「そうでしょう」
「脚立を使ったのですか?」
「よくお分かりで」
「あ、いえ、アングル的にそうなのかなと……、前に事件現場に脚立が残されているとのお話を伺ってましたので」
 乙骨は少し喋り過ぎたかと、急に言葉を遮り、取り澄ました顔をした。
「いずれにしましても、私には何の関わりはありません」
「この女性に見覚えは?」
「有りませんよ」
「なるほど、とりあえず、ここ数週間のお客様名簿と言いますか、伝票を拝見させてください」
「それは前にもやりましたね。ま、それから日も経ってる事だし、やりたければどうぞ、構いませんよ。カメラのフィルムやSDカードもメモリーも篤とご覧ください。ただし、何も出ませんよ」
 乙骨がそれらのデータを取り出し、カウンターの上に並べた。
 警部が指図し、部下達がそれを念入りに控え始めた。
 万画一の足元を何かが突っつく、見るとホームスであった。隣の撮影スタジオからまた戻って来たらしい。万画一が腰を屈めて見てみると口の端に何かの欠片を咥えている。

 それから数時間後、第三の被害者の身元が判明した。
 南青山のタワーマンションに住む社長令嬢であるという。名前は城之内沙夜じょうのうちさや、21歳。T大学生と発表された。
 彼女の身辺、交友関係の捜査へとまた何人かの刑事達が駆り出されて飛び出して行った。
 乙骨写真館で提出された資料からは、やはり何も得られず、一行は一先ず署に戻った。万画一探偵は小泥木警部にあるものを手渡し、鑑識で調査して貰うように依頼した。
 その後、本庁会議室において、連続殺人事件として捜査会議が開かれた。
 ホワイトボードには事件の被害者の三人の名前と年齢が書き連ねてあった。

 櫻沢桃香さくらさわももか 23歳  
 来宮杏奈きのみやあんな 22歳 
 城之内沙夜じょうのうちさや 21歳

 そして、それぞれの者の横には死体現場写真が貼り付けられ、さらにその下に、死因・毒物(青酸カリ等)による毒殺、その後現場に移動され、写真の様な形状で放置される。と綴られている。
 そして、共通の交友関連なし。乙骨写真館の擬似死体写真の模倣と但し書きが続く。
 第三の殺人現場周辺ではたくさんの刑事を動員して目撃者情報の聞き込みを開始した。遺留品の捜索や脚立の購入経路等の調査も継続して広範囲で行われている。
 そして、検視官からの死亡推定時刻が報告された。それによると、死体発見の前夜、午後八時から十二時までの間で、それは前の二件の事件と共に一致していた。
「青酸カリ等毒物の入手経路はそう簡単には出ないだろう」小泥木警部は薬物組織摘発の専門家でもあるニコラス刑事からそう聞いていた。
「脚立が置かれている謎についてですが……」万画一が質問した。
「はあ、脚立の問題、これもなかなか購入経路を特定出来ずにいます。どこのホームセンターでも取り扱っているものですし、最近はネットでも取り寄せられますから」
「はあ、そうでしょうね。でも何故犯人はそこに脚立を置いて行く必要があるのでしょうかね?」
「う〜む、そこがどうにも分からない点でありまして……」
「警部さんは、犯人はその脚立を使って写真を撮られたとお思いですか?」
「え? 写真を撮っていないとお考えですか?」
「僕にはおそらく、そうじゃないかと思えるんですよ」
「では、何のために脚立をわざわざ?」
「それなんですよ。犯人自身が写真を撮ったのならば、カメラも脚立も一緒に持って帰ると思うんですよね。それを脚立だけ置いて行くというのは、何か変じゃないでしょうか?」
「確かに、そうですな。重いからなんて理由はないですね。来る時には死体さえも運んでるんですから」
「そうです。そうです。だから、あれはわざと置いて行ったと見るべきです」
「わざと……? それこそ何のためにだろう?」
「警部さん、僕はね、犯人は誰かにあの現場の死体写真を撮影して貰いたかったのじゃないかと睨んでるんですよ」
「誰か? 自分じゃない別の誰か、ですか?」
「ええ、例えば……、警察の写真班とか……、またはマスコミとか……」
「えっ! なんですと!」
「ええ、だから……」
と、言い掛けた時、ニコラス刑事が、血相を変えて会議室に駆け込んで来た。
「警部! 分かりました。被害者三人の共通点!」
「何! 本当か!」


 ここへ来て、ようやく事件は新たな展開を見せ始めた。
 小泥木警部と万画一探偵、そしてホームス(捜査会議の間中はずっと丸まって眠っていた)は、ニコラス刑事が入手したネット画像を注意深く見守った。
 画面には次々と若い女性がセクシーな衣装を身に纏い笑顔を振り撒いている。顔のアップもあれぼ、全身像もある。
「これは、別件で追っていた売春組織グループが作成した宣伝用の過去画像です。次のこの娘を見て下さい」
 画面に映し出されたのは、同じ様なメイクの同じ様な年頃の若い娘の写真。その笑顔、身体つき、目元、口元に注目して見詰める。
「あっ」万画一が声を発した。
「おお、そうだ」小泥木も気が付く。
 女の子の名前は、桃井桜子となっている。
「こ、これは、櫻沢桃香だ」
「ですね。では次にこちら」
 画面にはまた別の若い女性が映る。若いと言うより幼い感じ。
「あっ」「あっ」二人同時に叫ぶ。
 名前が杏里奈都と表示されているが、来宮杏奈である事は間違いない。
「分かりましたね。ではもう一人」
 画面が切り替わる。
 「!」もう言うまでも無かった。
 三人目に登場した女性の名前は城ヶ崎美沙、つまり城之内沙夜だ。
「これは、一体、どういう組織だ」
「いわゆる、財界とか、有名人、金持ち相手に闇で行っている高級売春組織です。今はもうありませんがね。これは一年前に出回った画像です」
「なるほと、それで、その三人の共通点が見つかった訳だが、犯人に繋がる動機だとか、あるいは乙骨写真館との繋がりは何かあるのかね?」
「それは、まだ何とも」
「そこが不明か……、しかし、これが何かの手掛かりになりそうだ。よく見つけたね、ニコラス君。それでこの組織を仕切っているのはどこの奴らだね?」
「ええ、そこは少し複雑で、雇われて手配をしたり、この画像をアップした人物には辿り着きました。しかし、その男は半年前に死んでいます」
「何だと! 死んでいる?」
「はい、一応心臓発作という病名が伝わりましたが、噂によると……」
「ん? 噂?」
「影で支配しているのが、クロマス会という組織らしくて……」
「えっ!」「ニャッ!」
 今度は万画一とホームスが同時に声を挙げた。

『クロマス会』というのは前回の事件、藤原公生の失踪自死事件の時に浮上した名前で、黒淵鱒之介くろふちますのすけを首謀者とする闇の組織だ。窃盗、詐欺、金融、麻薬、売春斡旋などを中心として、あらゆる犯罪を手掛けるが、決して表舞台に出る事は無く、影で事件を操るだけの知的犯罪のプロである。多くの出資や関連企業があるらしく、クロマス会に関わる個人、企業は円に鱒のイラストが書かれたバッジやロゴ表示版を装着している。しかし、黒淵鱒之介は先代の死後、二代目に引き継がれており、その実体は、謎のベールに包まれている。

「そ、その繋がりを、しょ、証拠立てるものとか、クロマス会の所在か何か、掴めるものは有りませんか?」
 万画一が勢い込んで尋ねた。
「それが、まったく、雲を掴む様な話でして……」
 ニコラス刑事は肩を竦めて、首を振った。
「ま、そちらの件はともかくとしまして、何かのトラブルが元でこの三人が殺害された訳ですな。実行犯に繋がる証拠を探さなくてはいけないので、ニコラス君、この売春グループに関して、他に情報はないかね?」
「そうですね。当時、Pというホテルが怪しいと言われていて、何本かの監視カメラ映像を入手しました。それを隈なく洗ってみて彼女達の映像を探してみますかね」
「そうか、では、何人かで手分けしてそれを進めてくれんか?」
「分かりました。当たってみます」
「うむ、よろしく頼む」
 と、言っていた所に、入れ替わって鑑識課の署員が部屋に入って来た。
「警部、先程お預かりしましたものの検査結果報告書が出来ました」
「お、そうか、すまないな。ありがとう」
 報告書を手にした小泥木警部は両の眉を大きく上げてその場で硬直した。
 万画一もそれを横から覗き込んだ。
「警部さん、直ぐに乙骨写真館へ向かいましょう」


 そんな訳で、小泥木警部、万画一探偵、そしてホームス一行はもう一度乙骨写真館へと急行した。

「乙骨さん、あなた、私達に隠し事をしてましたね」
 到着そうそう小泥木警部はそう切り込んだ。
「これはまた警部さん、いきなり何を仰る」
 乙骨は相変わらず飄々とした余裕のある態度。
「これをご覧ください」と警部はカウンターの上に畳んだ紙を置いて、それを広げて見せた。中にはピンク色に模様が入ったプラスチックか何かの細長い小さな欠片が入っていた。
「何ですかな? これは」
「今朝、死体で発見された城之内沙夜が指先に装着していたネイルチップのひとつです。実は左手の薬指のネイルが剥がれていたのです」
 乙骨は少し目を見開いてそれを覗き込んだ。
「これを、どこで?」
「そちらの撮影スタジオの中です」小泥木警部は右手奥に見えるドアを指差した。
「あ、あなた方、勝手に私のスタジオに忍び込んだのですか?」
 乙骨は驚きを隠せず激昂した。
「入り込んだのは申し訳ありません。人間ではなく、この猫です」万画一がペコリと頭を下げて微笑む。
 ホームスは至って我関せずと澄ました顔でソッポを向いている。
「その猫がスタジオに入り込んだと?」
「はい、その時にこれを拾って来ました」
「そんな事、信用できるか! でっち上げだろ」
 乙骨は憤慨した。
「実は、このネイルチップの裏側、接着剤が塗り込められていまして、小さなゴミとかホコリが付着してまして……」
「それが、スタジオのものだとでも言うのか?」
「ええ、でも、その中にごく短い人間の体毛が一本付着していまして」
「体毛?」
「はい、すでにDNA鑑定に回してあります。そこで、乙骨さんの体毛と照合させて頂きたいのですが」
「あ? そんな事応じられないね」
「では、容疑者という事で、署まで一緒に来て頂きましょう。ね、警部さん」
「もちろんです」小泥木警部はそこでギロッと大きな目で相手を睨み付けた。
 乙骨は黙り込んだ。
「乙骨さん、城之内沙夜は昨夜、このスタジオに居ましたね」万画一が詰め寄る。

 乙骨は暫く無表情で宙を見詰めたままでいた。
 と、突然、小さく肩を揺すりながらクククッと忍び笑いの声を漏らした。
 しかし、その目は狡猾に釣り上がっていた。
 その異様な形相に万画一も小泥木警部も怯んだ様に一歩腰を引いた。
「……そうかい、あの娘はそんな名前だったのかい。俺は何にも知らなかったよ。けれど、俺が殺した訳じゃないぜ」
「訳を聞かせて貰おうじゃありませんか」
 乙骨はカウンターを出て、打ち合わせ用のイスに腰掛けた。テーブルを挟んで探偵と警部が並んで向かい合う形で腰を掛ける。
「ひと月程前の事だ。手紙が届いた。死体を届けるから、それで本物の死体写真現場を作成してくれとな、撮影はこちらでするから現場の舞台設定だけ整えてくれればそれで良いと、そんな内容だった」
「その手紙は誰から?」
「知らないよ。名前が書いて無いんだ。俺はどうせ悪戯だろうと思って直ぐに捨てちまったから。そしたら……」
「そしたら?」
「ある日、電話が掛かって来たよ。今晩死体を届けるとな」
「相手の名前は?」
「言わなかったよ」
「それで死体は届けられたのですか?」
「ああ、本当に来るとは思ってなかったから、随分驚いたけどな」
「どうやって届いたのですか?」
「宅配便の格好をした若い奴が台車に箱を乗せて運んで来たよ」
「そいつはどんな男でしたか?」
「……いや、男か女かさえも判らない。深めの帽子を被って、黒いマスクをしてたからな。小柄な体格ながら不気味なオーラに包まれた奴で、不必要な事は何一つ喋らなかったし、こちらから話し掛ける隙さえ無かったよ」
 万画一と小泥木は目を見交わした。
「それで?」
「死体です。と言うから、そっちのスタジオに置いて貰った」
「何も訊かないで、受け入れたのですか⁉︎」
「ああ、本物の死体なんて、そうざらに扱えるものじゃない。俺はもう全身がワクワクして興奮が止められなかったよ」
 乙骨は再び薄笑いにも似た異様な表情を浮かべ、その時の事を思い出して小刻みに身を震わせた。
 小泥木にはこの男が正気なのか、それとも狂人なのかの判断がつかなかった。
 異様だ。何もかも異様だ。
「としますと、それからあなたは、三回共、犯人の指示通り、死体写真現場を作ったという事ですか?」
「指示というか、アイデアは俺に任せてくれた。どんな風な処理を施してくれても構わないとな……」
「報酬も受け取りましたか?」
「封筒に札束が入ってたよ」
「その封筒は?」
「捨てた」
 小泥木警部はがっくり肩を落とした。
「脚立を残して行ったのも相手側の指示ですか?」
 これは万画一からの質問。
「いや、仮に相手が写真を撮影したとしても、どこの誰とも不明となれば、写真の出来映えを俺には見せて貰えそうもない。それで、脚立さえ残しておけば、警察が写真を撮って見せてくれるだろうなと思ったからさ」
「やはりそうか、それで、アングルが悪いとか、ダメだなんて呟いてたんだな」
 警部は嘆いた。

 とりあえず、乙骨鱗詩郎は死体損壊遺棄罪で身柄を警察署に送還された。
 その後の取り調べで乙骨は、次の様に供述した。
 一人目の死体、櫻沢桃香の場合は、届けられた形(全裸)のままメイクだけを施し、布にくるんで現場に運んで躰だけ草叢の上に放置したという。
 二人目の死体、来宮杏奈の躰に傷跡や打撲痕を付けたのは乙骨本人の手によるものだった。もちろん指紋を残さぬ様、手には薄いゴム手袋を嵌めていた。乙骨は「まだ死にたての新鮮な死体で、白い肌にスーッと剃刀を入れるとそこからじわじわと血が流れ出て、それはそれは最高の味わいだった」と述懐し、薄気味悪く笑ったという。
 三人目の死体城之内沙夜については、川に沈めるため出来れば姿勢を真っ直ぐに伸ばしたかった。箱に入れられて届く死体は浅く座った状態でいる。死後硬直が始まって、無理に腕を伸ばそうとした時、左手を地面に打ち付けてしまった。おそらくその時にネイルチップが弾け飛んだのだろうと。
 また、黒淵鱒之介やクロマス会の存在については耳にした事も目にした事も無いと証言した。ロゴマークを見せてもキョトンとした顔をしているので、それはまず、間違いないだろう。
 そして、もうひとつ、乙骨は警察が撮影した城之内沙夜の写真を欲しがった。脚立を使って撮影したモノ……。
 勿論、そんなこと、許される筈がない。

 それから、乙骨写真館の内部は、捜査員達によって、徹底的に捜索されたが、殺人実行犯に繋がる一切のものは判明しなかった。
 小泥木警部はもう少し早くから乙骨写真館に刑事を張り込ませておくべきだったと悔やんだが、どちらにせよ、それで尻尾が掴まれる様な相手ではないと万画一は思った。

 数日後、本庁にて、小泥木警部とニコラス刑事、そして万画一探偵の三人は再び顔を合わせた。
「ニャオ!」
 おっと、もちろんホームスも一緒である。失礼。
「こちらをご覧下さい」
 ニコラス刑事がパソコンのモニターを見せる。
 夜の道路が映し出されて何台かの車が走り去って行く。
「これは乙骨写真館から一番近くにある監視カメラの映像です。まずは第一の事件、櫻沢桃香の死体が発見された前日の映像です」
「ふむふむ」三人と一匹は食い入る様に画面を覗き込む。
「よく見ててください。もう直ぐです。……あ、来ました。これです」
 小さなライトバンのような宅配車を模った車が前方からやって来て通り過ぎて行く。
「このライトバンが、それぞれ第二、第三の事件前日、おそらく乙骨写真館に死体が届けられたであろう時間帯の直前にここを通り過ぎています」
「なるほど、そうすると、これが犯人の車であるという可能性が大きい訳ですな」
「そういう事です。画面をストップして拡大してみましょう」
 画面が拡大されて運転席でハンドルを握る人物がぼやけながら少し大きくなる。それをPC解析し、映像をクリアにする。
「う〜む、顔はよく判らんが、乙骨の言ってた通りの様だな」
 画面に映し出された人物は割りと小柄で深い帽子を被り、黒いマスクをしている。くっきりとした目元だけが少し分かる程度で、男か女かさえも区別が付かない。
「ニコラスさん、ライトバンの車体の横側と後ろを見せて貰えませんか?」万画一が言う。
 ニコラス刑事がキーボードを操作する。
 車が通り過ぎる瞬間は画像が流れて見えにくい。
「ニャッ!」
 突然ホームスが声をあげる。
「ん? どうしたホームス、何か見えたかい?」
 ニコラス刑事がもう一度画像を巻き戻し、再生する。
 再び車が通り過ぎる瞬間にホームスがニャッと声を出す。
「そこっ!」万画一も声をあげる。ニコラス刑事は素早く画像を一時停止させる。
「ここになんか黒いものが見えます。もう少し大きく鮮明になりませんか?」
「分かりました。やってみます」
 ニコラス刑事の額に汗が滲む。
「画面が車の側面、黒く流れる部分で止まる。引き伸ばされる。解析処理を行う。それが画面に映し出される。
「こ、これは……」
「やっぱり、そうだ」
「ニャーオ」
 それぞれが感嘆の声を上げた。
 パソコンの画面に黒丸の中に鱒のイラストのマーク。クロマス会を表すロゴマークが映し出されていたのだ。



万画一探偵シリーズ6
死体写真館
終わり

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