見出し画像

摂り入れと客観視

 毎年この時期は、きっと誰もが、身体を意識して温めていなくては、心も冷えてくる。
 寒いことは心にも身体にも良くない。
 また厳しい季節がやってきた。日照時間が短くなると、明るい気分もそう長くは続かないようで、それが毎年厄介だ。

 アルコールは、飲み方を気を付けなければ、身体を急激に温めることが出来るが、急激に冷やしもする。
 養命酒には10年以上前からお世話になっているが、眠りに入りやすくするものではなかったので、就寝前にキュッとやるのを止め、昼間に甘酒で割って飲むようにしている。それに炭酸を足すこともある。まだベストな割合が掴めていなくて、薄くなり過ぎたりと難しい。

 もう閉店してしまったのだが、数年前「黒ウサギ」という名の赤い照明の妖しげなバーで養命酒のトニック割(カクテルのメニューとしてあったので)を飲んだ記憶がある。そこにはSMグッズがいくつか置いてあり、店主は白衣を着ていたという記憶はある。
 元々酒に弱く自分からすすんで飲むことはないのだが、飲むときは出来る限り身体にダメージの少なそうなものを選ぶよう心がけている。そこには他に惹かれるドリンクがなかったので、消去法でそれを選ぶに至っただけだ。
 しかし美味しかった、とはお世辞にも言えない。

 1ヶ月の区切りの時期が来ると、何となく、来月はどんなひと月になりそうか予想がつく。今月は、正直少しだけ辛かったが、来月は今月よりはマシな兆しがある。
 浮き沈みする自分の身体と心の調子を、毎日何とかやり過ごせるよう、あらゆる手段をとってきた。
 最低限必要なことは、頭と身体を動かし続けるために、必要な栄養を摂ることだ。プロテインとゆで卵だけでは限界がある。身体の底から欲するものを食べるという行為が必要なのだ。「食べたい」と思ってからその人のために作られたあたたかい料理を口にすること。栄養を摂る以外にも、脳と心に必要な最低限の行為であると、近頃身に染みて感じている。
 「食べたい」と思い「美味しい」と感じる。人生を彩る日々の大切な体験の積み重ねなのだ。この体験をすることを疎かにしていた私の身体と心に、わかりやすく症状として現れていたのだった。

 それに加えて必要だったのは、とにかく安心して自分を曝け出せる場で語ること。今回5人には、わざわざ時間を割いてもらってそれぞれ自分の話を聞いてもらった。私がその5人に対して、自分の一番恥ずかしい部分を曝け出しても偏見をもったり一方的な考えを押し付けてくるような人ではないという確信があったので話せた。
 そして5回も自分について語っていれば、客観性も増してきて冷静さも取り戻せてくる。大事なのは、自分のことであっても、ひたすら他人事のように語ることだ。それは逃避するという意味合いではなく、湧き起こる感情のままに想いをぶつけるのでもなく、一度自分の頭の中で整理し相手が事態を理解しやすいように伝えるということだ。
 そうすることで、今自分の中で何が起こっているのか、自分自身も明確に掴めるようになる。そういう機会を多く持つことは、少しでも早く自分を理解し苦しい状況から脱するための近道にもなる。
 実際そうであった。冷静に私の語りを受け入れてくれ、決して甘やかすことなく、欲しい言葉をかけてくれた5人には、心から感謝している。

 ようやくいろいろなことが立て直せる兆しが見えてきて、次の月を迎えるところである。苦しみの原因だったちっぽけなこだわりが、どうでも良いとさえ思えるように、一つ階段を上がった気がする。

 自分のことで精一杯な近頃であった。来月は、精一杯な誰かのために役立つ自分でありたい、と願う。


 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?