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エッセイ「今日、生きることが苦しいこどもたちへ」あの時、死ななかった私の話

私が高校生の頃の話をしよう。
辛すぎてエッセイにしよう、などとは
これまで思わなかったけれど…
私がもし辛い経験を活かせるとしたら、
同じように苦しむこどもたちへの応援賛歌だ。
いま死にたい、と思っているこどもたちへ。
「こども」というのは何歳でも構わない。
40歳の子供もいるだろう。
暗闇の中、ヒカリが見えないひとたちへ。

私は16才だった。
地味で多感で、ありふれた高校生。
でも、ようやく少しおしゃれも覚えて
これから楽しい学校生活が待ってるかも!と期待に胸を膨らませていた高校2年生の夏休みだった。
「お化粧、してみる?」
母の何気ない一言がキッカケだった。
父と母と私、家族3人での北海道旅行。
思春期に突入していたわたしだけれど、
北海道!という誘いは魅力的でついて行った。
その行きの飛行場のお手洗いの鏡の前。
母からすれば、まだ垢抜けない娘に
旅行中おしゃれさせてあげようかという
ほんの軽い気持ちだったと思う。
初めて塗ったファンデーション。
まるで魔法のように気になる所が消えて
肌が綺麗になることに、素直に感動した。
そして意気揚々と北海道へ旅立った。

旅行は素敵だった。
知床の海を船で周り、霧の摩周湖を見たり、
カニやじゃがバターを堪能して帰宅した。

問題が起きたのはその数日後。
顔中がニキビだらけになった。
なぜなら、私は北海道に行った日にファンデーションを塗ったまま、メイク落としをしなかった。
朝晩に顔は軽く洗っていたと思うが、
綺麗なファンデーションを落としたくなかったし
そもそも、メイク落としの存在を知らなかった。

気がついた時には、
1週間前の顔が思い出せぬほどに
顔中ニキビに覆われていたのだ。
そしてさらにそれを気にしていじったり
ニキビを潰してしまったから、
本当にどうしようもなく酷いことになった。

「まるで化け物」「モンスター」
この後一年以上、このニキビとニキビ跡に
苦しむのだが、私が書いた日記では
自分のことをそう、表現していた。

街を歩けば人が驚いて振り返る。
肩を叩かれて振り返ったら、友達が二歩下がる。
それぐらいの「酷さ」だった。
1週間前まで、普通だったのに。
決して美人とは言えなかったが
それなりに恋心を抱いたり、人を好きになり始めていた。
まさにそんな青春の入口で、それは起きた。

それでも、毎日学校に行かなければならない。
私はとても真面目な子供だったし、
何より、「逃げ出したら負け」と思っていた。
一度休んだら、もう学校には戻れないという
強迫観念にかられて、毎日なんとか登校する。

優しかった男の子は明らかに冷たくなり、
はっきりと「気持ち悪い」という人もいた。
なぜ、私はこんな目に??
なぜ、私だけこんなことに??
はじめは「神様」に祈っていた。
でも、苦しみが限界を超えて怒りに変わると
神様の存在さえ信じなくなった。
当時の日記にはこう書いてある。
「神様はいなかった。だって、それならば
神を恨まずに済むではないか」と。

とにかく毎日学校に行くこと。
そして帰ってきて玄関を閉めて
玄関にある大きな鏡を見ながら
「よく今日も生き抜いた」と胸を撫で下ろす。
そして平気な顔をして家族とご飯を食べて、
部屋に入った途端、大粒の涙が溢れ出た。
それが、毎日。毎日。
16歳の夏の終わりから1年続いた狂気の日々。

今なら、きっと心持ちも違っただろう。
良い病院を探して、誰かに頼るだろう。
でも、私は16歳だった。
何も知らないこどもだった。

みんなは恋をしたり、おしゃれをしたり、
そうでなくても学校生活を楽しんでいた。
私は、ただ、生きていた。
私を支えたのは「日記」だった。
毎日書き綴ったポエムのような日記。
誰にも言えない苦しみを吐き出した。
悪夢のような毎日を書き殴って、
涙で滲んでいるページも沢山ある。
薄い紙に想いを受け止めてもらう。
それだけが、私を生に繋ぎ止めていた。
本当に今日死のう、と思った日もある。
でも書くことで気がついたんだ。
こう、書いてあった。

「ここで死んでしまったら、
昨日までの自分になんて言うんだ」

それと家族と愛犬も私をこの世に引き留めた。
私が死んだら、姉はお嫁に行けなくなってしまうのではないか?7歳離れた美人の姉が気になった。
母と父は周りにどんな目で見られるだろう?
自分の人生は諦めても、家族の人生は捨てられなかった。
例えば交通事故とか愛犬が危ない目にあったら、
その時には、喜んで私の命を差し出そう。
…本気でそう思っていた。

死にたいと思った時、
ブレーキを踏まずにアクセルをふんでしまう人は
きっと当時の私より苦しかったのだろう。
そして、周りのことを考えられぬほどに
追い詰められてしまったのだろうと思う。

私は、なんとか、周りを見ることができた。
それだけが「幸運だった」と、今はわかる。

その後私がどうなったか??
実は元凶となったファンデーションが
私を少しの間、支えてくれることになる。
とうとう食事が喉を通らなくなってきた私を
心配して、母が通販で女優用という
ものすごいカバー力の化粧品を買ってくれたのだ。そして父も、傷やニキビ跡が消えるという
謎の機械を買ってくれた。
今思えば怪しい商品だが、10万円以上するであろうそのヘンテコな機械を買ってくれた両親の「愛」に私は感謝した。生きる希望を見た。

ファンデーションは驚くほど効果的だったが
それは同時に傷跡を治りにくくしていた。
一年たってもニキビ跡がなかなか消えない。
新しいニキビもお化粧する事で出てきてしまう。
わかっていても、お化粧を辞めるのは辛かった。

明日からファンデーションをやめよう!
素顔で学校に行こう!
そう決意した前夜の日記は、字が震えていた。

本当に怖かったし、悪口を言う男子もいた。
面白いものを見るような目で見る人もいた。
でも、私は逃げなかった。

すると、どうだろう。
若さの力ってのはすごいなと思う。
私の肌は驚異的な回復をしたのだ。

その後も、ピカピカの肌になったわけではない。
長いこと、肌荒れは私の青春を苦しめた。
今でも肌が弱く、疲れるとすぐニキビが出る。

でも、私は死ななかった。
ノーメークの私でも好きだと言ってくれる
男の子たちと恋をして、結婚して、母となった。

それとね。
どんな時にも同じように優しく接してくれる
本当に大切にすべき友人の見分け方も知った。 

自分の娘にもこの話をしたけれど
まだ青春にも届かない娘には伝わらないらしい。

でも、いま、苦しんでいるこどもたちへ。
ニキビだけじゃない。
あなたの苦しみはなんですか??
あなたの悩みはなんですか??

なんだ、ニキビなんて、と思ったかもしれない。
自分の苦しみは、もっと重いものだと思うよね?
乗り越えられないかもしれないと思っているね。

でも、死んじゃダメ。
人には驚くほどの力がある。
年月の力は、偉大なんだよ。

1年後じゃなくて
10年後のあなたを見て。

終わりのないトンネルはないとか
朝の来ない夜はないとか
聞き飽きたかもしれないけど
それ、実は、本当なんだよ。

先人の声を聞いて。
私を信じてほしい。

あなたには、幸せになる権利がある。
それは自覚した時に、義務に変わる。

どうか諦めないで。
ふと気がついた時、
昨日とは違う自分がいる。

眩しいほどの太陽の下、
全力で笑える日が来る。
信じられなくても来る。
その景色を見ずに、逝っちゃだめだ。

「もったいない」
生きたくても生きられない人もいる。
私はその人には何かを言う権利はない。
でも、あなたは生きられるでしょう?
明日を待ち侘びて死んでいった人もいる。
あと1日だけ生きたい!と願った人もいる。

どうか、今だけじゃなく未来を見て。
どうか、自分だけじゃなく周りを見て。

「もったいない」






























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