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CIA Vol.4

不器用な生き方...


毎朝恒例のアイスバスの用意という筋トレを1人で引きずる事なく5分ほどで終わらせる事が出来るようになるころ
与えられた仕事をやり直しも無く、自ら仕事をとりに行き、他の部門のシェフたちのアシストもできるようになっていた

その頃、キッチンのシェフたち、仲間たちに変化が訪れた。
名前で呼んでくれるようになったのだ。

それまでは、「garbage」「scum」と名前どころか相手にすらされていなかった

実を言うと、僕自身は彼らの名前を覚えるのが苦手で総料理長、料理長と副料理長の3人を除いて、他全員をただ「シェフ」と呼んでいた。
僕を名前で呼んでくれるようになった彼らと違い、約2年後の辞める直前にFace bookのアカウントを共有し合い名前を確認するまで、彼らの名前を知らなかった(笑

「ナオト」と、料理長のクリスと副料理長のオースティンからは「ナオトサーン」と呼ばれ始めたころ、どんなに遅くても仕事終わりに飲みに連れて行ってくれるようになった。

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New Years Partyにて


年齢も人種も関係ない。
レストランのために働く事ができ、周りに仕事を認められたとき、1人の人間として認められる。

毎日飲みに連れていってもらい、僕はアメリカのシェフたちを心から好きになった。
初めて飲みに連れて行って頂いた時、僕は料理長のクリスを「Chef Chris 〜!」と呼んだ、するとクリスから「I am just Chris! Not Chef wherever outside of the kitchen(オレはただのクリスだ!キッチンの外ではシェフじゃあない)」と。

シェフたちから教わった一言
I respect you, you respect me」
お互いに尊敬し合うことで生まれる最高の関係

日本の反面教師の方たちから感じたのは、一方的に尊敬しろという事だけで。
僕からしたら、身近な人達との尊敬はお互いにし合うことで生まれる感情だ

人間関係というのは、どこでどんな仕事をしてようが必ず問題はある。
僕の1つのポリシーとして、共に働いた事がある先輩やシェフは除いて、歳上歳下ほぼ関係なく全ての人達へ最低限の礼儀をわきまえた上で、プライベートで会う時はどんなに会社で偉かろうが、同業で活躍し、稼いでいようが、1人の人間として対等の立場として接すると決めている。

これは驕りでもなんでもない。
自分より下だと思っている人の話を素直に聞けるであろうか?
老若男女関係ない、1人の人間として
話をしたいから

クリスたちNoMadのシェフたちは、アメリカという国柄なのかは分からないが、それが自然で当然と育っているのだ。

「クリス」である時間と「シェフ」である時間の境界線も明確で、特に当時飲みに行く中で1番仲の良かった副料理長のジョシュ(現在EMPのExecutive Sous-chefにしてメニュー開発のディレクター)と朝まで飲んでは僕がジョシュを家まで肩を貸し送るという日々で、そのまま職場ではいつも通り厳しく接してくれる最高の上司の1人だった!
ジョシュは、当時僕と同じチームに後から入ったリアーナと付き合い、去年の夏頃、僕がシェフを勤めていた赤坂の店へ2人で食べにきてくれた!

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キッチン内で多少の不自由はあるものの英語もほぼ滞りなく受け答え(答えは「Oui Chef」一辺倒だが)できるようにもなり、仕事もほぼどの部署でも活躍出来るようになるのに、1ヶ月とかからなかった。

そしてNoMadでのインターンも1ヶ月が経とうとした頃、シェフからAMチームのガルドマンジェのリーダー、Chef de partie(部門シェフ)へと任命された。

部門シェフの仕事は、毎日横で見ていた。
スタッフの人数が多く365日定休日なく、シフトでまわすNoMadでは各部門シェフもローテションされている。
その中でもAMガルドマンジェで部門シェフの1人リーはモチベーション高く素晴らしかった。
彼は、常に他のどの部門や他の部門シェフが前菜を担当する時よりも1番のパフォーマンスをしようと気合を入れ、チームを奮い立たせ、リー自らもかなりの働き者であった。

それでも僕の部門シェフデビューの日は散々だった...
営業前までのチームの仕込みのチェック、持ち場のスタンバイまでは完璧かと思えたが、営業が始まり終盤の1番立て込む時に、アラカルトのオーダー票の管理と盛り付け、チェック、指示出しと追われ、チームの盛り付けの遅さや、やり直しでイラつき、自分で全部やろうとしてしない、頭の中がパニックになり、流れが止まり、果てには野菜が足りなくなってしまうという事態も起きた。
野菜が足りなくなるなど、大した事ではないのだが、当時余裕の無かった僕には大ごとであった。

副料理長のアシュリー(後にLAのThe NoMadで総料理長、現在はLAで独立)に助けに入ってもらい、なんとか通常のペースへ戻ることができた。

550名のアラカルトの中、全てを自分でやろうとするのではなく、チームを巧くまわし最高の状態で料理を提供できるようオペレーションのオーガナイズとマネージングが1番重要なことだった。

初日の反省を踏まえ2日目は、チームの仲間一人一人に的確に指示を出し、僕はフレキシブルに動きながら、料理の盛り付け時間などを考えた上でオーダーをさばくことで仲間からも部門シェフとして認められることとなった。

チームワークの素晴らしさと楽しさを実感していく中で、シェフにまかないを作ってくれと言われた。
NoMadのまかないは、その時のテーマに沿って各部門毎に一品ずつ作っていく。

ガルドマンジェ=サラダ
アントルメ=温野菜
ポワソン=炭水化物
ヴィアンド=タンパク質
パティシエ=デザートと決まっている

キッチン、パティシエチーム、サービス、マネージャー、洗い場など総勢約66〜80名分。

日本食まかないDayという事で全員が盛り上がっていた。
副料理長のオースティンから「Naoto-san! You’ll be chef and you gonna take care all of us! Make it nice in time! Chef!(ナオトサン、お前がシェフだ!シェフとしてメニューを作り指示を出し、時間までにやるんだぞ!)」

楽しみでテンションが上がりまくっていた

冬のニューヨークはかなり凍える。

オペレーションの問題もある、何より仕込みがある中やるのだ、美味しく時間内に仕上げること...

メインは水炊きにしよう。
サラダに叩きキュウリとほうれん草やケールの白和え、それと大好物の揚げ出し豆腐にキノコの炊き込みご飯にした。

僕は前日帰る前に仕込んだフォンドヴォライユ(鶏の出汁)にネギと生姜などを加え、仕込み始めていると、オースティンが「Chef! What can I do??」と勢いよく子供の様にワクワクしながら来た(笑)
オースティンに鶏のツミレをお願いした、そしたらものの数分でミンチを作り味付けし、軽く茹でて「Chef! Tasting please!」と持ってくる!!
仕事早すぎか!? さすが副料理長(笑)

僕もいい具合に調子にのり、5分前に全てセットし終え「Ready to Family Meal!」と大声で叫んだ!

みんなで食べている中、1人のパティシエとサービスの女性がやってきて、サービスの女性がうっすら泣きながら「OMG! There are so amazing. Love them all. Thank you」と言いにきて、いきなりハグされた

最初、何のことか理解するのに時間がかかっていると、横で一緒に食べていたシェフたちが「感動するほど美味しかったってよ」と伝えてくれた...
嬉しくて僕も泣きそうになってしまいそうだった...

より一層NoMadの仲間たちと仲良くなり、日に日に飲み行く仲間の数も増えていった。

僕のドジも相変わらず時折続いたりしながらもインターンも終わりに近づいていく中、AMチームの仕事が終われば、そのままPMチームのディナーも残り、魚や肉の部門シェフに混じってAM6:00〜AM1:00まで毎日通して仕事をしていった

賛否両論あるだろうが、料理人として生きていくと決めた時、死なない限り仕事を休まないと心に決めた。
体温計なんかも持ち合わせていない。
ある時、究極に体調がすぐれない日があった...
身体は重く、全身は痛み... 野菜の皮を剥くため、野菜を握る左手の節々は激痛が走る

それでも、まだ戦える、やれると営業が終わりに近づき、少し余裕ができた時、シェフが近づき僕はオフィスへ連れて行かれた...
朦朧とし何を言ってるか何も分からない中、熱を計られ...
40度を超えていた
自分の仕事をやり切ると伝え、持ち場へ戻ると、信頼できるチームの仲間たちがほぼ終わらしてくれていた。

家へ帰った瞬間ドッと汗をかき、自然と眠りに落ちていった
気づいたら翌朝の朝5時、すぐシャワーを浴びレストランへ走る
一晩で体調も良くなり、いつも以上に働き始めた僕は周りから「ソルジャー」と呼ばれることとなる

料理が楽しくて仕方がない時期だった

たまのオフの日にはEMPに働きに行ったりと、毎日ずっと働き吸収し続け、それがなによりの楽しさだと感じていたし、今も変わらず、そう感じている

そういえば、営業中厳格な中で毎回よく笑われることがあった、長い事何故か知らずシェフに聞いてみた。「Is anything funny, chef? What happened?」
リードヴォー(孔牛の胸腺)の料理がある。
リードヴォーを英語で「Sweetbreads」と呼ぶ。
その料理をフライヤーに入れる時「Sweetbreads Down」言って伝えるのだが、どうやら僕の言い方がまるでターミネーターのシュワルツェネッガーのようで(笑)
それがウケていたらしい(笑笑)

本当にNoMadのみんなにはよくしていただいた。
最高に楽しく、これほどチームワークを尊重し、高いスタンダード、モチベーションで続けていられ、料理人人生1番の環境だった。

時にはいじられ、厳しくも優しく、楽しく、純粋に料理と人が大好きだった。

インターンが終わった後も、毎週末マンハッタンまで通いNoMadで働き続け、シェフたちに卒業したら、ここNoMadかEMPで働かないかと誘われた。

彼らが大好きで一緒に働きたいと思ったが、インターン後の夏休みに僕の料理人人生のターニングポイントがおとずれた。
あまりの衝撃的な体験と感動から、僕はシェフたちの誘いを断った

そう当時、シカゴにあるWorld Restaurant 50 Bestで6位 ミシュラン3星のAlineaでの研修だ...


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