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act:19-昭和の大多喜オレのそば。そば新 くらや 天そば自販機にカップそば

 なにを隠そうオレは蕎麦が好きだ、大好きだ。
今日はそんなオレが、この大多喜町の旨い蕎麦についてお伝えしたいと思う。何より今年1977年、昭和52年の、この大多喜町の最新グルメ情報だ!都会から勝浦や御宿に海水浴に行く際には、ぜひ寄ってみてほしい。

(たぬきそばにウットリする在りし日の私の図)

 ラーメンやうどん、そうめんもいいけど、麺の中でどれか一つだけ選べと言われたら、断然オレは日本蕎麦、やはり蕎麦しかない!
蕎麦はいいぞぉ~!蕎麦は日本の悠久の歴史が生みだした、食べ物の最高傑作なんじゃないだろうか。盛りそば、かけそば、タヌキそばに天ぷらそば、思い出しただけでヨダレが止まらなくなる、どれも最高だ!
そんなオレにはありがたいことに、この大多喜の町ナカには旨い蕎麦屋が二軒もあるんだ。ひとつは久保くぼ地区の「くらや」(※1)。ここの汁は甘みが深く、蕎麦も柔らかくって、ホンワカ優しい一杯を出す名店なんだ。

(「くらや」の盛りそば 撮影時の2013年は400円 そば新の写真は残念ながらありません)

だがしかしオレはもう一軒の蕎麦屋、桜台さくらだい地区の「そば新」(※2)が大のお気に入り。
そば新の蕎麦はいい、蕎麦がしっかりとしててコシがあるんだ。そして特筆ものはあの汁だ、あれは間違いなく芸術品だな!キリッとした辛みに奥深いコクもある!いつも感心するんだけど、どうやったらあんな旨い汁が作れるんだろう、何か魔法植物でも入れてるんじゃないだろうか?それぐらいとりこになる味なんだ。オレは、そば新の蕎麦汁だけでご飯三杯は喰えるだろう。
なによりここの蕎麦は、汁もひっくるめて、まるで生きているようにキラキラとして見えるんだよなぁ。勝浦で上がったばかりのカツオの刺身を食べるときのような、そんな新鮮さがあって大好きなんだ。
うちで蕎麦の出前を頼むときは、オレならもちろんいつでも「そば新」一択なんだけど、現実はそううまくはいかない。父さん母さんのご近所付き合いもあるので、「くらや」と「そば新」を交互に頼むことになるんだ。なにより母さんと弟のクニオは「くらや」派、敵は身近にいたのだ。
それでもオレはそば新の蕎麦を食べたい、食べたくって食べたくって仕方がない!あの中毒になる蕎麦汁が何とも愛おしい‥。
ある日そんな想いが爆発するほど募って一念発起!オレはお小遣いを握って、一人でそば新の暖簾のれんをくぐったのだった。いつも家族で来るのが当たり前のお店にオレ一人で突撃だ。我ながら勇気がいることだけど、そんな勇気を奮い立たせてくれるのは、あのそば新の旨い蕎麦と癖になる蕎麦汁なのだ。
‥ここまでオレを異様に虜にするそば新、やはりここの蕎麦と汁には、何か知ってはいけない薬でもこっそり入っているのかもしれない。
そうしてオレが初めて一人で訪れたとき、そば新のオバチャンは最初は随分驚いたみたいだったが、それでもいつもと同じに、あの最高の盛りそばを出してくれた。
まぁ初めは、小学生のオレが一人でお店に来たので何ごとかと思ったようだけど、オバチャンに「ここの蕎麦が旨いので、どうしても食べたくなって一人で来た」と説明したらかえって喜んでくれた。
以来オレは何度かそうして一人でそば新を訪れるようになったのだ。
旨い蕎麦屋で一人で盛りそばを手繰たぐるオレ、
‥フフフどうだオレってオトナだろう、シブいだろう(ニヤリ)。

 大多喜の蕎麦、お次は自動販売機の天ぷらそば(※3)を紹介したい。これもオレのお気に入りなんだ。
天ぷらそば自販機は三口橋の向こう、柳原やなばら地区に入ってすぐの豆腐屋前の広場にある。そう、去年ハンバーガー自販機を発見した自動販売機だけのオートパーラーと呼ばれるスポットだ(※4)。

(富士電機めん類自動調理販売機の天ぷらそばは、昭和の私のご馳走でした。)

この自販機はすごい!何がすごいって、一台の機械で天ぷらそばだけでなく、天ぷらうどんまで出せるのだ!オレはいつもその高機能ぶりに感心しながら150円を入れ、天ぷらそばのボタンを押すのだ。
すかさず出来上がるまでの秒数がニキシー管に表示され、間髪入れずに自販機の中で調理が始まる。ブーーン!ゴーーー!と激しい音がして、途中でジャバジャバジャバッ!と水をまき散らす音までするんだ。かなり激しい音がするんで、そのうち爆発でもするんじゃないかと怖くなる時があるけれど、、きっとこの中には小型の調理ロボットがいて、あくせくと天ぷらそばを作っているのかもしれないぞ。でもまぁオレがこの自販機の仕組みをどんなに予想しようとも、全ては独りよがりな想像でしかない、時間の無駄でナンセンスこの上ないけど、まぁ天ぷらそばが出来上がるまでの、ちょうどよい時間潰しにはなる。そして30秒ほど経つと「チーン!」と澄んだ音が辺りに響きわたり、待ちに待ったアツアツの天ぷらそばが、クリーム色のプラスチックのどんぶりに盛られて出てくるんだ。
この自販機の天ぷらそばは、そば新の蕎麦とはだいぶおもむきが違って駄菓子っぽいというか安っぽいというか、‥でも、チープだけど癖になる味なんだ。そして早いし安いし手間いらず、それ以上に、こういうところでシブい顔して天ぷらそばを食べるってのがちょっとカッコいい気がするんだ。
そういや都会では、立ち食いそば屋というものがあるらしいが、きっとこんな感じなんだろうな。立ち食いそば屋では、トラック野郎の一番星桃次郎や寅さんのような犯罪者みたいなオッチャンたちだけでなく(※5)、太陽にほえろ!や特捜最前線の刑事さんたちも、皆が皆そろって立ち食いそば屋でシブい顔して蕎麦を食べていたのを記憶している。
わかるなみんな、オレも「そんな一人」ということなのだよフフフ、フフフフフ、
言わせるなはずかしい。

 そして大多喜の蕎麦、最後はカップそばだ。「え?そんなのどこでも買えるぞ食べれるぞ!」という声が聞こえてきそうだが、いいかよく聞け黙るんだ!オレが大多喜で食べる蕎麦は全て「大多喜の蕎麦」だ!‥異論は認めよう、だが反論は許さない!
そんなわけで大多喜の蕎麦、最後はカップそばなのだ。これもオレが大好きな蕎麦のひとつなんだ。これは去年、つまり昭和51年ぐらいからTVコマーシャルで見かけるようになって、程なくして駅前のディスカウントショップのポピンズや、スーパーデンベーにも並ぶようになった。
その商品名は「どん兵衛天ぷらそば」という(※6)。

(日清どん兵衛 天ぷらそば 発売当時の1976年 / 昭和51年のパッケージ)

いままでお湯を入れるだけで出来るカップの即席麺というと、うどんやラーメンが精々で、そんな中でカップそばはひときわ新鮮だった、そしてもちろんオレはハマった。
それまで三口橋の天ぷらそば自販機で食べてたあのチープな味にも通じるものが、このカップそばにはあったんだ。オレが惚れないわけがない。
味は当然そば新の足元にも及ばないし、天ぷらそば自販機に比べてもさらに安っぽく駄菓子っぽい。もっというと毒でも混入されてるんじゃないかといった、やたら濃くて粉っぽさが際立つ汁の味なんだけど、でもこれがとっても癖になるんだ。なにより安い!ポピンズやデンベーなら100円以下で売っているので、ヘタなスナック菓子を買うよりずっとお得だ。お菓子より断然お腹にたまるし、蕎麦だから健康に良さげな感じすらするぞ!
そんなカップそばの作り方は簡単だ。カッチカチの蕎麦の上に、袋に入った顆粒スープをぶっかけて熱湯を注いだら出来上がりだ。味のないクッキーみたいな天ぷらも、3分経ったら汁を吸って良い感じにフニャフニャになる。これがまた旨いんだよなぁ~。
オレはこの「どん兵衛天ぷらそば」をちょいちょい買い込んできては、家でよく一人で喰ってる。もちろんこれは誰にもやらん、クニオにだってやらない。ケチといわれたってやるわけがない当たり前だろう!どん兵衛天ぷらそばは、オレ一人のご馳走なのだ。
ただ、どん兵衛天ぷらそばを食べるようになってからは、天ぷらそば自販機には全く行かなくなり、そば新に一人で行くことも減ったなぁ‥。

まぁここまで、オレの蕎麦への並々ならぬ熱い思いと共に、大多喜の蕎麦を紹介させてもらった。
カップそばの「どん兵衛天ぷらそば」はともかく、そば新、くらや、そして天ぷらそば自販機まで大多喜にはあるんだぞ、どうだちょっとうらやましいだろう!
みんなも大多喜に来ることがあったら、ぜひ寄ってみてほしい。

1977年(昭和52年)、
あの頃から大の蕎麦好きだった小学5年生の私の想い出である。

【注意】登場人物名及び組織・団体名称などは全てフィクションであり画像は全てイメージです…というご理解でお願いします。

【解説】
(※1)「くらや」は、今も続く大多喜町の老舗のお蕎麦屋さん。
(※2)「そば新」は、今から30年ほど前に店を閉じたお蕎麦屋さん。汁はカエシの効いたもので昔ながらの房総南部の味。蕎麦もコシがあり、個人的には好みのお店。君津市の畔蒜(あびる)、そして5年程前までの南房総市の南総庵と通じる汁の味だ。
(※3)富士電機株式会社製のめん類自動調理販売機。蕎麦やうどんだけではなく、ラーメンやきしめんも提供することができたようだ。昨今では「昭和の懐かし自販機」などと云われるもののひとつだ。
(※4)前にハンバーガー自販機のお話で登場したスポット。詳しくは【act:2-グーテンバーガー 大多喜にもあったハンバーガー自販機】を参照。
(※5)念のために説明しておくが、トラック野郎の一番星桃次郎や寅さんは犯罪者ではない。暴れん坊の長距離トラック運転手と、ちょっとお調子者の江戸っ子のテキヤだ。令和の子供たちに分かりやすくいうと「ヤンチャで元気でちょっとメンドくさい昭和らしく暑苦しいオッチャンたち」という認識で問題ない。
(※6)日清どん兵衛天ぷらそばは1976年/昭和51年に販売開始、きつねどん兵衛に続き、3か月後に発売された。

【挿絵の服装について解説】
小学生の私が着ているオレンジ色のTシャツと緑色の半ズボンは大多喜小学校の体操着(夏用?)、この時代は放課後でも休みの日でも、皆この格好で元気に外で遊び回っていました。昭和当時の大多喜小学校では、この服装が推奨だったようで、私服で登校する生徒はいませんでした。

大多喜町MAP 昭和50年代(1970年代)

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