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「備忘録」ユダの娘 細川ガラシャ

散りぬべき 時知りてこそ
世の中の
花も花なれ 人も人なれ


これが細川ガラシャの辞世の句だと言う事は、知識深いnoterの皆さんは既にご存知だと思う。
「花は散り際を心得ています。だからこそ美しいのでしょう。花には花の美しさがあり、人には人の価値があります」
まぁ、簡単に解釈するとこんな感じでしょうか。

何故、今日「細川ガラシャ」の辞世の句を持ち出してきたのかと言うと先日、S県知事が辞職のインタビューでこの句を読んだからです。
私は彼が散り際を考えて辞職願いを提出したとは到底思えませんが…。それはそれとして置いておいて。

さて、あまりにも魅力的だったので細川ガラシャの生涯を少しだけ紐解いてみたいと思いました。

彼女は「明智光秀」の三女として此の世に生を受けけました。そう、あの織田信長に謀反をはたらいた日本の歴史の中でも悪名高い武将のです。
この時、既に細川ガラシャは父 明智光秀の主君 織田信長の薦めで細川忠興の元へ嫁いでいました。
ガラシャ十六歳の事です。その二年後には一男一女をもうけています。
今の時代では随分と早いと思いますが、人生五十年と言われる時代では普通だったのでしょうか。そんな幸せな中、父 明智光秀が主君 織田信長を討つのです。あの有名な「本能寺の変」です。ガラシャが嫁いで四年目の出来事でした。
この時のガラシャの心中を思うと堪らない気持ちになります。それからの彼女の人生は波乱に満ちてしまいます。それはそうでしょう。あの明智光秀の娘なのですから…。晩年、彼女が信仰したキリスト教で言うところの「ユダ」の娘となってしまった訳です。

普通なら細川家は、主君を討った憎き武将の娘と離縁を考えるでしょうが、細川忠興はそうはしませんでした。お互いに深く愛しあっていたのでしょうね。因みに忠興とガラシャは美男美女で、実にお似合いの夫婦だと織田信長が語っています。

その後、父 明智光秀は豊臣秀吉との「山崎の戦」に敗れ、ガラシャの母や姉達は坂本城で自害してしまいます。ガラシャは一人、帰る場所を失ってしまった訳です。

現代でもそうですが「犯罪者の家族」への世間の風当たりは冷たいものです。
細川忠興はガラシャを守るために京都の山奥へ隠棲させます。二年間の隠棲生活を経た後に豊臣秀吉に許されてガラシャは細川家へ戻ります。
しかし、それでも「逆臣の娘」へ対する風当たりは厳しく、常に監視され行動を制限される生活が続きます。
そんな中で、ガラシャが救いを求めたのが「キリスト教」の信仰でした。当時の日本ではキリスト教の布教は禁じられていました。それでもガラシャは、夫 細川忠興には秘密裡にキリシタンになってしまいます。

今までさんざんガラシャ、ガラシャと書いてきましたが、細川ガラシャは実の名は細川玉と言ったそうです(あんまり、かっこよくない 苦笑)洗礼を受けた後に「ガラシャ」と言う洗礼名を授かります。ガラシャとはラテン語で「神の恵み」と言う意味だそうです。

ガラシャがあれだけ庇ってくれた細川家の人々を裏切り、キリスト教に傾倒していったのは、やはり彼女が負った心の傷を癒やすためだったのでしょうか。
やがて夫 忠興にキリシタンになった事がバレると忠興は大いに憤慨して、洗礼を受けたガラシャの周りの侍女達の鼻や耳を削ぎ落とし屋敷から追い出したと伝えられています。
それでもガラシャの身体を傷付けなかったのは、忠興に残された彼女への愛情だったのでしょうか。
周りの者は、たまったもんじゃありませんよね。改宗の為にガラシャに従った為に鼻や耳を削ぎ落とされたら(泣)

ガラシャはガラシャで辛くあたる忠興との離縁を考えます。しかし原則として、

キリスト教では離縁は許されていません。


こうした中、「豊臣秀吉」が世を去ります。時代はまた不安定な空気に包まれます。豊臣派の石田三成と徳川家康が天下を取る為に戦いを勃発させます。1600年に起きた「関ヶ原の戦い」です。
細川忠興は徳川派に付いて戦に臨みます。

石田三成は徳川家に付いた武将の妻や家族を人質として豊臣派に付かせようと策略します。その一番の矛先に当たったのが細川ガラシャでした。
石田三成の軍が細川家の周りを囲みます。

キリスト教では自らの命を断つことは大罪にあたります。

ガラシャは家老 小笠原秀清に自らの胸を槍で付くように命じます。

その最期の時に詠んだのが冒頭の

散りぬべき 時知りてこそ
世の中の
花も花なれ 人も人なれ


です。細川ガラシャは37歳でした。

ガラシャの遺体は小笠原秀清が屋敷に火を放ち、分からないようにしますが、彼女の死を知ったグネッキ・ソルディ・オルガンティノ神父が屋敷へ赴き骨を拾ってキリシタン墓地へと葬ったと言われています。その事を知った細川忠興は、グネッキ・ソルディ・オルガンティノ神父へ教会葬を依頼します。
ガラシャは死して初めて、夫 忠興にキリシタンとして認められた訳です。


いつの日か、彼女を主人公とした短編を書いてみたいと思い、備忘録として簡単にまとめてみました。

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