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「世界漂浪の記」 羽生隆 101選

101
50年遅れの同じ日付で毎日投稿されていた羽生隆さんの旅行記「世界世界漂浪の記」の中から、何度も読み返したい特に印象深い投稿を集めました。
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記事一覧

❨1❩世界漂浪の記 ―世界35ヶ国 2年半 一人旅の記録―

❨1❩世界漂浪の記 ―世界35ヶ国 2年半 一人旅の記録―



世界漂浪の記
ー世界35ヶ国 2年半 一人旅の記録ー
自分との闘いの中で

羽生 隆

※SNSはおろかインターネットもない時代、外国の自転車一人旅の話を聞きたいと訪ねて来る人も多くいました。
そういう方に読んでもらえる様にとの思いから、羽生は旅の間毎日つけていた日記を、この一冊にまとめました。

※2022.1.13追記
一冊にまとめられた日記に無い日付の日記は、原本から書き足しています。

❨2❩旅行経路

❨2❩旅行経路



生受けて
身に刻みはむ
一編の詩
何れの道より
死に至るとも

桑原氏 贈
ブラジル丸にて.

❨9❩1971.9.10 金 晴 ぶらじる丸9日目:移民船

❨9❩1971.9.10 金 晴 ぶらじる丸9日目:移民船

船中の人達を見ると、全て楽しそうに見える。
しかしこの船を降り立った時、恐らくきびしい表情に変わるのではないだろうか?

船は、南米移住に向かう人達や、観光客やその他色々の目的を持った人達全部、平等に乗せて進んでいる。

❨11❩1971.9.12 日 晴 ぶらじる丸11日目:ハワイ到着

❨11❩1971.9.12 日 晴 ぶらじる丸11日目:ハワイ到着

午前、アメリカの青年と甲板でしばらく話をした。
といっても、ごく身近な簡単な話でしかない。
言葉は100%通じなくても、ジェスチャーやその表情で多少の気持ちがわかる。

人間の触れ合いの中で大切なのは、先ず自分の気持ちを相手に分からせるより、相手の考えを感じ取ることだと思う。
相手が単なる愛嬌だけで笑顔を作っているのか、それとも本当に親愛の意味で微笑んでいるのか?
それを見分け、自分の態度もその変

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❨15❩1971.9.16 木 晴 ぶらじる丸15日目:仮装パーティ

❨15❩1971.9.16 木 晴 ぶらじる丸15日目:仮装パーティ

 風が波をなで、海は砂漠の様な滑らかな面を見せてなぎっていた。
素晴らしい景色だと思った。
低い波間を一羽の鳥が隠れるように飛んでいた。

 今日まで武蔵の本を読んできた。面白い。
ちょうど同年の頃の話なので余計興味をさそう。

 夜、仮装ゴーゴー・パーティがあり、四人グループを作り、インディアンの姿で出た。
一組ずつの紹介にはテレくさかったが、今夜の特別賞をもらった。
ウレシカッタネ!
ダンスも

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❨17❩1971.9.18 土 曇 ぶらじる丸17日目:夜霧よ今夜も有難う

❨17❩1971.9.18 土 曇 ぶらじる丸17日目:夜霧よ今夜も有難う

今日も、海も空もけむっていた。

あゝもう一日でこの楽しい船の旅とおさらばか。
気楽でのんびりして楽しかった。
今までの日々、この後の俺の生活の糧となってくれるだろう。
今まで味わったことのない、知らない世界での経験、良い経験、、、、、
というよりは、贅沢といった方が妥当かもしれない。

わずかではあったが、知り合った人達は心の中までも打ちとけて話しも出来、自分の貧しい心に灯を更に与えてくれたよう

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❨18❩1971.9.19 日 曇 ぶらじる丸18日目:『呑米』誕生

❨18❩1971.9.19 日 曇 ぶらじる丸18日目:『呑米』誕生

16日間の船旅が終わろうとしている。
楽しかった。俺にはあまりにも豪華な生活だったと思う。
友達になったばかりの人達と別れるのも惜しい。

荷物の整理やら何やらで、一日落ちつかない有様。
夜は十人程集まり、ウイスキーとビールを飲む。
ちゃんぽんしたせいか最後にもどしてしまった。…それ程量は多くもなかったのに。
沖縄の子どもたちと、遅くまで話をしたり歌を唄ったりして明方まで過ごす。

同部屋の友人か

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❨19❩1971.9.20 月 晴 ぶらじる丸19日目:カリフォルニア到着〜ロサンゼルスへ

❨19❩1971.9.20 月 晴 ぶらじる丸19日目:カリフォルニア到着〜ロサンゼルスへ

カリフォルニア州 ロング・ビーチに船は着いた。
少しその景色を見ただけで横になった。寝たのは二時間半。

船友達と港で別れ、荷をすべてつけ、正午走り出す。
まだ港に残っていた人達が見送ってくれた。
桑原さん、上田さん等と後で会う約束をした。

今夜の泊まりをリトル・トーキョー(ロサンゼルスの日本人町)という事だけを皆んなと約束して、夢中で走る。

車右側通行、全ての文字が英語という事が、 “外国へ

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❨31❩1971.10.2 土 晴 ラスベガスツアー

❨31❩1971.10.2 土 晴 ラスベガスツアー

6:30PM、ホテルのバーさん達とラスベガスへ行く。
グレーハウンドのバスで、月の光で明るい砂漠を100kmのスピードで突っ走った。

5時間バスで荒野を走ると、いきなり宝石みたいな街が現れた。
11:30PM頃、ラスベガスに着いた。

スバラシイ夜景。
初めて見る、世界で指折りの賭博場。あのネオンサインの美れいな事。
想像通りの所だった。
オウ!ワンダフル、ワンダフル と叫ばずにはおられなかった

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❨39❩1971.10.10 日 晴  子供達との休養日

❨39❩1971.10.10 日 晴 子供達との休養日

今日一日を休養日とする。
楽しい一日。彼女等と別れるのが辛くさえ感じられる。
いい娘、いい少年達だったと思う。

こんな事かあるからこそ、この長旅に耐えられるのだ。
やはり人間一人なんて、生きられっこない。
もし生きられたとしても、それは何と味けない人生となろう。

午前・午後、二回プールに行った。
落としたり、落とされたり、童心にかえって騒いだ。

子供と一緒にいる時はなんと、自分の醜さを感じ

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❨40❩1971.10.11 月 晴  カリフォルニア州シーリィ(Seeley, California)

❨40❩1971.10.11 月 晴 カリフォルニア州シーリィ(Seeley, California)

3000ftの山を かけ下りると、いきなり眼下に、目もかすむような広い砂漠が 現われた。感動の瞬間。
広い。ものすごく広い。
走った。疲れも忘れてただ走った。

スバラシイ ダウンヒル。
15分あった。

8号線をシーリィまで走る。
シーリィ(Seeley)のキャンププレイスでダウン。

スーパーでビールとチリーを買ったが、いずれもまずく捨てる。
あとでクラブまでビールを飲みに行く。

テーブルの

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❨42❩1971.10.13 水 晴  サン・ルイス~ユマの砂漠(San Luis~Yuma Desert)

❨42❩1971.10.13 水 晴 サン・ルイス~ユマの砂漠(San Luis~Yuma Desert)

サン・ルイスから、ユマの砂漠を走る。
流石、広い。
半日タップリかけても、まだ出なかった。

走っても走っても、広野と空と道が見えるだけ。
秋というだけあって、くそ暑くはないが、長く走っていると体はひからびて、水がたまらなく恋しくなる。

時折俺の前を、白いワニのような小さな動物が走って、すぐ草の中へ 消えて行く。

道脇に花も咲いている。黄色い小さな花だ。
こんな所に、またよく。

町の手前15

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❨43❩1971.10.14 木 晴  ユマ砂漠:苦しい1日(Yuma Desert)

❨43❩1971.10.14 木 晴 ユマ砂漠:苦しい1日(Yuma Desert)

なんとか無事夜が明け、ホっと一息。
車の音がちょっとうるさかったかナ。

ノンビリかまえて、踏み出した。
昨日16kmと聞いたので、1時間もこいで朝食にありつけると思ったからだ。

ところが、行っても行っても何にもなく、砂漠だけ・・・

よ~~~く考えてみれば、あれは16kmじゃなく、60kmだった。

あゝ、なんたる事。
陽は高くなり、腹は減り、水もない。
昼近くまで朝めし抜きで走り、11:30

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❨52❩1971.10.23 土 晴  セルバンドとマリア·テレサ:ロスモチス(Los Mochis)

❨52❩1971.10.23 土 晴 セルバンドとマリア·テレサ:ロスモチス(Los Mochis)

昼に出発の予定が、取消し。
皆んなから、もっといろ、いろ、と云われ、戸惑う。
別に慌てる旅でもなし、金を使う訳でもないので、とどまる事にした。

昼、あちこちセルバンドの連れの所へ行き、紹介された。

夕方、町から30km程の所(海)へ泳ぎに出る。
日が落ち、少し寒かったが、久しぶりの泳ぎで今までの疲れが取れた気がした。

夜も、マリア・テレサの所で0:00amまで話しをした。
彼女は、まだ17歳

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