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翻訳者が知っておきたい編集者の仕事②

 さて、いよいよ今回から具体的な編集業務を見ていきますが、その前に少し時間をいただいて、わたしが神保町勤務時代に見つけた、ちょっと変わった料理店を紹介したいと思います。
 それはこんな料理店です。

■料理店プロデューサーとしての編集者

 東京は神保町、古書店がひしめく落ち着いた区画に、喫茶店と中華料理屋(注1)にはさまれて一軒の料理店がある。この店、見たところ何のへんてつもない定食屋に思えるが、実はメニューがちょっと変わっている。海外(特にアメリカ)のレストランからレシピを購入し、それを忠実に再現した料理を提供しているのだ。その店には、街の料理店には珍しくプロデューサーなる者がいて、レシピの買い付けから、料理の盛り付けやメニュー名の考案までを一手に引き受けている。また、味が日本人の舌に合わないと思えば、レシピにちょっとした変更を加えることもある。ただし、プロデューサー自身は料理ができない。なので、腕利きの料理人に依頼して、レシピに準じた料理を作ってもらっている。実はこうした形態の店は全国にいくつかあって、日本ではなかなかお目にかかれない料理が味わえたり、海外の最新の流行が体験できることもあり、一部の好事家たちに根強い人気を誇っている。それに加えて、数年に一度、大ヒットのレシピが生まれたときなどは、日頃その手の店に関心が薄い人たちも、流行に乗せられて店の前に長い行列を作るのだった……。

 薄々お気づきかと思いますが、この一風変わった料理店は、翻訳出版業務のアナロジーとしてわたしが創作した架空のものです(注2)。
 翻訳書とは、海外で刊行された原書の翻訳出版権(以下、慣習に従い「版権」と呼びます)を取得し、それを翻訳して、日本人読者にも楽しめる形にした書籍のことを言います。先のアナロジーに当てはめるなら、料理のレシピが原書、料理店のプロデューサーが編集者、料理人が翻訳者となるでしょう。言い換えれば、編集者の仕事とは、旨い料理の存在を嗅ぎつけてレシピを買い付け、日本人が好むような盛り付けで提供することに似ており、翻訳者の仕事は、レシピと首っぴきになって料理を作ることに喩えられる、ということです。
 こうしたアナロジーによって、本づくりにおける編集者と翻訳者の役割が、いつもとは違った経路を通じて、場合によってはより明確に見えてくる、という寸法です(注3)。

■編集ラクダは2つの大きなコブをもつ

 今の話を頭の片隅に置いていただいて、いざ先に進むことにしましょう。
 翻訳書の編集者の仕事は、大きく2つに分けることができます。企画を立ててから翻訳を依頼するまでの「企画段階」と、提出された翻訳原稿を整理してから本が完成するまでの「制作段階」です。この2つの段階は、業務の性質も、取り組む時期も異なるものです。
 今回の記事では、時期的に先行する「企画段階」について説明します。

 企画段階は主に、
①企画を立てる
②版権を取得する
③翻訳を依頼する
という3つの要素から成り立っています。以下、ひとつずつ駆け足で見ていきましょう。

■企画を立てる

 上述のアナロジーで言えば、原書とは料理のレシピでした。料理人がどれほど上手にレシピを再現しても、プロデューサーがどれだけきれいに盛り付けても、元のレシピがひどければ、その料理をすばらしいと思う人は現れません。よって、どんな企画を立てるのかは、当たり前の話ですが、本づくりの出発点であると同時に、編集者にとってもっとも重要な業務と言えます。

 企画を見つける道筋は複数あります(注4)。
 わたしがいた職場では、パブリッシャーズ・ウィークリーとニューヨーク・タイムズのブックレビューを購読していたので(海外から定期的に送られてくる)、はじめのうちは週に1度それらをチェックして企画をさがしていました。しかし、さすがに21世紀ともなると、紙の媒体では情報のキャッチアップが遅れがちです。そのため、やがてインターネットを使った情報収集に切り替えました。具体的には、海外の主要出版社のサイト、科学雑誌のレビュー欄、パブリッシャーズ・ウィークリーカーカスなどの書評サイト、そしてアマゾンなどです。
 企画を立てるときは、まずはこうした情報源から、少しでも興味を引くタイトル(本のこと)を手当たりしだいにピックアップしていきます。そして50点くらい集まったら、いったん情報収集の手を止めて、テーマのバランスやページ数などを見て(注5)、企画として現実味があるかどうかを検討し、そこから5点くらいまで絞り込みます。

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 こうして選抜したタイトルをすべてそのまま刊行できれば、売れ行きも大いに上がるような気もするのですが、海外で刊行された書籍を日本語で出版するためには、原著作者から版権を取得しなければいけません。そこで、まずそれらのタイトルの版権が残っているか確認するために、「エージェント」と呼ばれる著作権仲介業の方々にお伺いを立てることになります(注6)。
 他社がすでに取得していたり、エージェントでも調べがつかないこともしばしばありますが、だいたい確認したうちの1~2点は版権が残っているものです。版権が空いている場合は、その返信と一緒に原書の原稿やシノプシスが送られてきますので、それを読み、改めてこれはいけそうだと思えば企画書を書きはじめ、反対に難しそうだなと思えば、スタートに戻っていまひとたび情報収集に励むことになります。

 こうして企画書をなんとか書き上げ、社内会議を経てゴーサインが出れば、次は版権取得の交渉です。

■版権を取得する

 すでに述べたように、海外で刊行された本を日本語に翻訳して日本国内で販売するためには、原著作者から版権を取得しなければなりません。そしてこれも先述したとおり、版権の取得は、エージェントを通じて行われるのが一般的です。

 版権というのは知的財産権の一つですから、くださいと言って無料でもらえるものではありません。翻訳書の場合は、「アドバンス」と呼ばれる印税の先払いを通じて、その権利を取得することになります(注7)。
 自然科学書のアドバンスが、他の分野と比べて高いのか安いのかはわかりませんが、ドルで言えば、下は3000ドルくらいから上は数万ドルまで、企画の期待度によってさまざまです。とはいえ、アドバンスが万単位のビッグタイトルはさほど多くなく、最頻値は5000ドル前後と考えていいのではないかと思います。

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 アドバンスの額は、エージェントに版権を取得したい旨を伝えるときに、他の条件とともに知らせます(この申し出を「オファー」と呼びます)。エージェントはそのオファーを原著作者(多くはその代理人)に伝え、諸条件が折り合えば、版権を取得できることになります。
 がしかし、世の中それほど都合よくはできていません。自然科学系の本というのは、そもそも刊行数がさほど多くなく、そのうえ日本で受け入れられそうなタイトルとなると、さらに数は限られてきます。つまり、自分がイケると思った企画は、他社の編集者も目をつけているケースが多いのです。
 実のところエージェントは、一つの出版社からオファーが入ると、それを原著作者側に伝える前に、そのタイトルを検討している他の出版社にまず周知します。それに対して誰も手を挙げなければ、めでたく原著作者との交渉をはじめられるのですが、そこは生き馬の目を抜く出版界、けっこうな確率で他社もオファーを出してきます。その場合は、提示した条件の良い方、ひらたく言えば、アドバンスを多く払った方に交渉の権利が与えられることになります(注8)。
 再び先のアナロジーに照らすなら、多人数がおいしいと思う料理のレシピを手に入れようと思えば、当然ながら競争率も高くなり、ひいてはそれに見合う投資額が必要になる、というわけです。

 このように、版権の取得には、タイトルの価値を見抜く目はもちろんのこと、所属する組織の資金力も少なからず関係しています。その二つの要素がうまく噛み合い、版権が無事取得できたなら一安心。帰りに一杯やっていくのもいいでしょう。しかし、いつまでも喜んでばかりはいられません。
 翻訳者の選定という、企画さがしに勝るとも劣らない重要な仕事が待っているからです。

■翻訳を依頼する

 少し前に、料理人の腕がどれほど優れていても、元のレシピがひどければ、出来上がる料理に期待することはできない、ということを書きました。レシピを忠実に再現するのが料理人の仕事である以上、これは動かしようのない事実です。では、この反対の状況、すなわち料理人の腕がひどく、レシピが優れている場合はどうでしょうか? このケースもまた、出された料理をすばらしいと思う人はいないはずです。ちゃんと作れば旨いのだろうが、肉がこう生煮えじゃあ、食べられたもんじゃない、というわけです。
 同じことは翻訳者の腕にも言えます。いくら原書が面白くても、その面白さを再現できていない翻訳が上がってくれば、翻訳書としては失敗です。そういう意味で、翻訳者の選定は、企画選びと同じくらい注意を要する仕事だと言えるでしょう。

 では、編集者はどうやって翻訳者をさがしているのでしょうか?(注9)
 これも実際にはさまざまなパターンがあるのですが、基本的には、①過去に翻訳を依頼したことがある気心の知れた翻訳者、②その翻訳者とは縁遠い分野の企画であれば、他社で同分野の訳書をすでに出している翻訳者、という順番でさがすケースが多いように思います。
 これ以外には、知己の翻訳者から紹介された方、自ら売り込みをしてきた方、以前からの知り合い、翻訳会社に登録している方、翻訳者忘年会などで名刺交換をした方、などのパターンが実際にありました。ここからわかるのは、まだ訳書のない人が翻訳者になろうとすれば、何をおいてもまず編集者に自分の存在を知らしめる必要がある、ということです。

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 さて、こうして翻訳者の候補が決まったら、次は依頼です。
 翻訳依頼はふつうメールでおこないますが(注10)、その際は、企画の内容説明はもちろんのこと、初めての相手であれば翻訳を依頼する理由も伝えておきたいところです(注11)。
 また、これも当然のことながら、翻訳作業に関する各種条件も明記します。一般に、最初のメールで提示すべき条件には以下があります。
①翻訳期間と刊行予定時期(注12)
②印税率(あるいは原稿料)とおおよその定価と予定部数(注13)
③印税(あるいは原稿料)の支払時期
④仕事の範囲(翻訳箇所をはっきりと伝える、監修者の有無、訳者あとがきの有無など)
 こうした事項(特に①と②と③)は、仕事をするうえで最低限知っておくべきものです。編集者としては絶対に漏れのないようにすべきですし、翻訳者としては欠けていれば遠慮せず確認しておくようにしたいものです。

 翻訳依頼は何らかの理由で断られることもありますが(注14)、編集者にとって嬉しいことに、受けてもらえるケースが大多数です。
 契約に関しては、以前は口約束がほとんどでしたが、近年は書面を交わすことも増えてきています。伝え聞くところによると、翻訳出版のとある分野では、約束どおり翻訳をあげたにもかかわらず出版社の都合で刊行してもらえなかった等、口約束に伴うトラブルが生じがちである、とも言われているようです(注15)。
 その種の話を自然科学系の出版社で耳にしたことはありませんが、出版社社員の良識だけが頼りという属人的なシステムは、やはりどこか脆弱です。出版社は、翻訳者に求められたら応じるのはもちろんのこと、率先して書面を残す方向に舵を切るべきと思います。

■次回予告

 次回は「制作段階」について見ていく予定です。原稿整理で編集者は実際に何をしているのか、著者校の進め方、校了から本が出来上がるまでにどんな業務があるのか、などに触れたいと考えています。

■notes

注1 喫茶店と中華料理屋:本編とは何の関係もないのだが、わたしが神保町の喫茶店でいちばん好きだったのはミロンガである。前身のランボオ時代に『富士日記』の武田百合子が働いていたことはよく知られているが、建物は当時のままのようで、店に来るたびに「あそこが武田泰淳が借金取りに追われて飛び出した2階の窓か』などと文学史的感慨にふけったものだ。昼からビールが飲めるのもポイントが高い。一方中華料理店では、駅前からは少し遠ざかるが、水道橋寄りの大興という店によく顔を出していた。今では数十メートルほど離れた場所に移転して小綺麗な店になっているが、以前は雑然とした(が不潔ではない)店構えで、隠れた名店の雰囲気があった。少し遅めの昼に行き、大村崑似の店のおじさんとくだらない話をするのを毎度楽しみにしていたが、そのおじさんも3年ほど前に亡くなり(おじさんの魂に平安あれ)、わたしも会社を辞めたので、店にはしばらく足を踏み入れていない。ああ、アジア風焼きそばが恋しい。
注2 翻訳出版業務のアナロジー:ものごとを一段深いところで了解する際に、アナロジーは強力な武器となる。アナロジーの意義や重要性については、ダグラス・ホフスタッター『わたしは不思議の環』(白揚社 片桐恭弘、寺西のぶ子訳)の11章「アナロジーはいかにして意味を生み出すか」を参照のこと。わたしも同書の編集に携わっている。
注3 いつもとは違った経路を通じて:再び本編とは何の関係もないが、料理店のアナロジーは人生にも適用できる。具体的には、人生とは定食屋のようなものだと考えることで、いつもとは違った経路で人生を認識することができそうだ。長くなるが概要を示そう。
 一般に、定食屋に入って定食を複数頼む人はいない。ふつうは自分がもっとも食べたいと思うメニューをただひとつだけ注文する。そして、自分で注文したものは、隣客が食べている別の定食がどれほど旨く思えようと、最後までしっかり食べるものだ。その店の人気メニューは、仕事、結婚、子育てが三種盛りになっているAミックス定食で、昔からこの定食がいちばんおいしいと考える人が多い。ホモ・サピエンスが砂糖の魅力に引き寄せられやすいように、進化の過程で身についた何らかの力学が、この定食を旨いと思わせているのかもしれない。だが最近は、Bミックス定食(仕事、独身)やC丼(独身)など、一昔前なら小声で注文していたようなものも、大いに売れている。先述したように、定食屋で注文する定食の数はひとつだけである。だから、隣で食べているものを見て、俺、あっちの方が良かったなと思っても、いまさら変えることはできない。Bミックス定食(仕事、独身)を食べながら、ああ、もしAミックス定食(仕事、結婚、子育て)を頼んでいたらどんなふうだったかな、と考えても詮なきことなのである。もちろん逆もまた真であり、Aミックス定食を食べている人が、BやCに舌鼓を打つことはできない。2つの料理を同時に食べることなど誰もできやしないのである。だとすれば、客にとって最善の道とは、いま目の前にある、自分自身で注文した定食をとことん味わい尽くすことになるだろう。
 ここから見えてくる人生の教訓は、万年青年みたいな言で若干恥ずかしいのだが、いま目の前にある、背景はどうであれ結局のところは自分自身が選択した人生をとことん肯定しなさい、ということだ。あのとき結婚していれば、あるいは結婚していなければ、などと考えるのは、決して食べることのできない他人の定食を夢見るようなものだ。そんなことをすれば、目の前の定食を作ってくれた人や、それを選んだ過去の自分を愚弄することになってしまう。味覚というのはごく主観的なもので、世間がおいしいと言っているものが、必ずしも自分の舌に合うわけではない。そして料理を食べるのはいつでも自分自身の口と舌である。人生にもまったく同じことが言えるのではないだろうか。
注4 道筋は複数あります:インターネットの情報源にあたるのと同じくらい、場合によってはそれ以上に重要なのは、エージェント経由で送られてくる海外出版社のカタログである。まだ実際に執筆されていない企画段階のタイトルも掲載されているなど、とにかく情報が早いし、出版社がどのタイトルに力を入れているかも読み取れる。また、中堅の出版社(河出書房や早川書房など)以上になると、ロンドンやフランクフルトで毎年開かれているブックフェアに編集者が足を運び、さらに早期に情報を仕入れることができる。うらやましい限りである。
注5 テーマのバランス
:一般に、本のテーマはニッチすぎてもいけないし、ありふれていてもいけない。言い換えれば、テーマ選びの原則は、松尾芭蕉が言うところの「不易流行」である。形のうえでは最新の知見を扱っているのだが、そのベースには人間の本能的な部分に広く訴えかけるものがなくてはならない。
注6 「エージェント」と呼ばれる著作権仲介業:版権取得の大部分は、次の3つのエージェントのいずれかを通じて行われている。規模の大きい順から、タトル・モリエイジェンシー、日本ユニ・エージェンシー、イングリッシュ・エージェンシー・ジャパンである。またブロックマンなど、日本のエージェント経由ではなく、直接交渉しなければならない海外著作権者(代理人)も存在する。エージェントの具体的な業務風景については、田内万里夫氏のやたらと完成度の高い自伝的小説「SUB-RIGHTS」を参照のこと。
注7 「アドバンス」と呼ばれる印税の先払い
:アドバンスはあくまで印税なのだから、本をしっかり売って元を取ればいいだけではないか、と考える愛すべきオプティミストのために、現実的な数字を紹介しておこう。たとえば、出版社があるタイトルのために60万円(≒5000ドル)のアドバンスを支払ったとする。その本の本体価格が2000円、海外印税が6%だとすれば(海外印税については後述)、1冊売れば120円の印税が発生することになる。つまり、印税が60万円に達するためには5000部を売りきらなければならない計算だ。その価格帯の自然科学書の初版部数は、出版社の規模によって大いに異なるとはいえ、中央値はおそらく3000部といったところだろう。つまり、元を取るにはあと1~2回版を重ねる必要があるわけだ。そして、どれだけ信憑性のある数字かは不明であるにせよ、一般的に重版率は20%前後とされている。ここから導かれるのは、少なくとも80%の企画ではアドバンスが回収できていないという過酷な事実である。さて、愛すべきオプティミスト諸君はこの数字をどう思うだろうか。
注8 アドバンスを多く払った方
:複数の出版社からオファーが出た場合、アドバンス額の提示方法は2通りある。ひとつは、裁判所の不動産競売のように、金額を各社1回だけ提出して、そのなかから最高額を選ぶ方法。もうひとつは、美術品のオークションのように現時点での最高額を共有してから、それより高い額を出せる出版社が新しいアドバンス額を提示していく方法である。基本的に大所帯の出版社の方が出せる金額も高い。したがって、小さな出版社の翻訳書がヒットした場合、①よほど先に目をつけたか、②掘り出し物を見つけられる目利きだったか、③たまたま運が良かったか、のいずれかと考えてよい。どちらにせよ、誰も手を挙げなかった企画が売れるのは、編集者としてはたいへん気持ちの良いものである。
注9 どうやって翻訳者をさがしているのでしょうか?:やや古い話で、なおかつ真偽の程も保証できないのだが、某中堅出版社には、社内に翻訳者リストと呼ばれるものがあり、必ずそこから翻訳者を選ぶことになっている、という噂を耳にしたことがある。本当だとすれば、これもまた「とにかく編集者に存在を知られること」という原則を補強する事例になるだろう。
注10 翻訳依頼はふつうメールでおこなっている
:ここからわかるのは、アドレス等の連絡先がネット上に見つかれば依頼もしやすくなる、ということだ。なお、連絡先がわからない場合は、その翻訳者の訳書を出している出版社に問い合わせることになる。
注11 翻訳を依頼する理由も伝えておきたい
:面の皮が厚いことが職務要件である編集者も、さすがに「時間ありそうだし、なんとなくお願いしてみようかなと思いました」とは言えない(わたしに翻訳を依頼するときはそれで全然かまわないのだが)。翻訳者候補の他の訳書を読むことは、もちろんその人の力量をさぐるのが目的なのだが、「この本を訳された○○さんにぜひお願いしたく云々」と言えるようになることも、意図せざる特典と言えるかもしれない。
注12 翻訳期間
:出版社によってさまざまだろうが、わたし自身は半年から1年でお願いすることが多かった。ちなみに、原著作者側との契約書では「翻訳期限」というものも定められていて、おおむね18~24カ月に設定されている。これは「それまでに本を刊行しなさい」という期限のことで、この締切を過ぎても本ができていないと、追加でアドバンスを徴収されることもある(たいてい数万~10万円程度)。この種のことを編集者がわざわざ伝えてくるケースは少ないと思うが、追加アドバンスは本来なら不要な出費でありマイナス面しかない。翻訳者の方はくれぐれもご注意いただきたい。
注13 印税率:5~7%で、プロとして独り立ちしていれば7%が一般的。なお、印税は当然ながら原著作者にも発生しており、6~8%が普通である(6%からはじまって、5000部以降は7%など、売れるにつれ高くなっていくことが多い)。したがって、翻訳書の初版では合計で13%の印税を払っていることになる。
注14 何らかの理由で断られる:いちばん多いのは「スケジュールが埋まっているから」というもの。ひょっとすると翻訳者のなかには、「提案された企画に特に興味をもてないから」という本音の代わりにこの理由を持ち出したことのある方もいるかもしれないが、お互い大人である、誰も幸せにならない詮索はしないでおこう。なお、非常に難しい企画の翻訳を提案され、自分の能力では十分な品質の翻訳をあげられないと思ったとき、翻訳者はその依頼を断っていいものだろうか? あくまでわたし個人の意見だが、それは断ったほうがいい。「断ってしまったら編集者に悪い印象を与えるのではないか」という心配はよくわかる。だが、ちょっとの手直しでは出版できない翻訳を提出されたときのほうが、印象は何十倍も悪くなるものなのだ。自分に何ができて何ができないかを知っている人は、仕事相手として信頼できる。次に何かあったらもう一度お願いしたいと思うのは、断然、断ってくれた翻訳者のほうなのである。
注15 トラブルが生じがち
:翻訳出版にまつわるトラブルの数々については、ベストセラー翻訳者として活躍されていた宮崎伸治氏の『出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記』(フォレスト出版)に詳しい。深沢七郎『言わなければよかったのに日記』(中公文庫)に通じる軽快な筆致が描き出す衝撃的な出版残酷物語に、思わず「にゃに~!」と叫んでしまうこと請け合いである。お薦め。

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