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クリスマスに、例のアレを食べた話。

時はクリスマスイブ。
雪は降らずに晴れた1日
キッチンでは水炊き用のスープが煮えている。

今晩のおかずは水炊きとフライドチキン。


食べるか食べないか。

短期移住先の北海道、広い庭付きの家で、ニワトリを飼っている。

食べるところまで体験しよう、
と言って卵からヒヨコをかえし育てたものの
朝にとんで出てくる鳥たちにだんだん情もわいてきて
本当に食べるのか、食べないのか、踏ん切りがつかずにいた。

…と、思っていたのはわたしだけらしい。

クリスマスに鳥をしめる、という予定はしっかり生きていて、準備は着々と進んでいた。

クリスマスイブ、日曜の9時。
予定もきっかり決まって
ついにその時は訪れた。

中札内村は、中札内どりという鶏肉でも有名。
鶏肉をさばける人、生きた鳥をしめた経験のある方がたくさんいる。

鳥をしめる、と言った時
自然にうけとめてくれ、アドバイスもしてくれる。

わたしは未経験、夫は昔一度経験があるらしいが、1人でやるのは初めて。
ということで、経験のある村の方2人が立会ってくださることになった。

そのときのこと

前日の土曜日から準備は始まり、鳥のごはんを抜く。これは、えさが内臓に詰まりさばく時に処理が大変になるかららしい。

明日には食べる、と思いながら鳥を眺めると少し切ない。

何も知らない鳥

どうやってやる、という手筈を前夜に夫と話していると、ふと頭によぎるものがある。

昔話の3枚のお札の話に出てくる、深夜に包丁を研ぐ山んば。
ヘンゼルとグレーテルの、ヘンゼルを太らせて食べようとするお菓子の家の魔女。
鳥をしめる相談をしてる自分の姿が、このあたりとどうも重なる。
山んば側への感情移入なんてしたことがなかったが、「生きているものをどうやってうまく食べるか」、それを考えるのは結構大変なことだなあと今回初めて知った。
念入りに包丁を研ぐ行為には、食べようとするものへのリスペクトと思いやりを感じる。

今回は、近所の方にマサカリを借り、
お湯を沸かす鍋、
血抜き用のバケツ
ロープは夫が用意している。

朝、小屋の扉を開けると飛び出してくるニワトリたち。選ばれた「一番トサカの大きい鳥」以外を小屋に戻す。名前をつけてないのはやっぱり正解だ。
淡々とした空気の中で、あっという間に命をいただく手順は進む。

庭の木にくくりつけたロープに鳥の足と首をつなぎ、マサカリで首を切り落とす。
わたしが鳥を抱え、夫がロープを結ぶ。
鳥はずっしり重かった。

ストン
切れ味よく切り落とされた頭はだんだんと生気を失うが、胴体と足はしばらくもがき続けた。

ニワトリは首切った後も走り回るという話を聞いていたが、首を落とした後もバタバタと羽ばたく鳥の胴体は本当に初めて見る光景だ。

うちの庭には、まるでそのために存在しているような、「ちょうどいい」庭木がある。
動かなくなった鳥をそこに吊るして、したたる血をバケツに受ける。

何かを吊るすのに
ぴったりの木

ここまで一部始終をじっと見守っていた子供たちだが、ふと見ると、上の子の姿が消えている。

あれ、どこに行ったのだろう。
さすがにショックを受けて陰で泣いてるのか。
みなで心配していたら
ガチャリ、玄関からヤカンを持った娘が出てきた。

次の手順は、「お湯をかけて羽をむしる」。
どうやらそれ用のお湯を自ら取りに行ってくれたらしい。
冷静に着々とした対応に一同が感心。


羽をむしり鳥肌の見えたニワトリはもはやお肉だ。場所を室内のキッチンに移し、お尻から穴を開けて内臓を引き出し、骨に沿って開いていく。

村のプロフェッショナルな方の手さばきは素敵だ。
みるみるうちに食べられる部位と骨とに分けられていく。これが手羽。これがハツ。ハツは一つしかとれないんだよ、などと鳥のからだからひとつひとつ部位がキレイに切り出される。
レクチャーを受けながら娘も挑戦。丸々としたニワトリに真剣にナイフを入れていく。
小学5年にして、しめた鳥をさばくという濃い体験をするりとこなす娘。この経験が彼女の糧になりますように。


鳴いたのはだれ

首がないにわとりが鳴く。
と言っても、鶏のユーレイなんかじゃない。

まな板にのる鳥の胴体。手を入れて内臓を押しあげられたとたん、コケッという音が喉から漏れ、一同顔を見合わせた。

コケッコケッと、まるで生きているように鳴く胴体。空気が喉を通ると、物理的に鳴るようになっているんだねと、みんなで感心。
首がなくても羽ばたき、首がなくても鳴く。ニワトリの首から先って、ほんとにちょこんと乗っているだけなのかも。

声という、姿のないものの正体ってなんなんだろうかなと改めて考えさせられる。

スーパーのお肉

綺麗に切り分けられたお肉はフライドチキン、
ガラはスープをとって、水炊きにして豪華な晩ご飯となった。
レバーやハツも、翌日のご飯に。

ひと通りさばいて、切り分け、バットに入れてラップをしておいたお肉。
さあ揚げようと冷蔵庫から取り出すと、その見かけはスーパーで買ってきた鶏肉となんら変わらず、つい、さっきまでの出来事がなかったかのような錯覚に見舞われる。

鶏小屋に行けばまたあのトサカの大きな鳥が飛び出してきそうな気もするが、いないんだったよなぁ。

そういえば、スーパーのお肉の鳥たちにだって、パックになってやってくるその前に、命をもらう工程がある。
鳥をしめて食べるという体験は、特別に残酷なものではなくて、ただパックの手前の事実を紐解いて知らしめてくれただけ。なかったことにされがちな鳥たちの最後を、想像して受け止めることができるようになった。

ニワトリをしめるのを見て以来鶏肉が食べられなくなったという人の話を聞いたことがある。
自分はどうなるかなと不安に思っていたが、全然大丈夫だった。

最初に水炊きのスープをいただく前にはちょっと緊張した。が、恐る恐るいただくと、ものすごく深い味わいが広がり、驚くほどおいしい。
からりと上がったフライドチキンも大人気だ。子供たちもおいしいおいしいとパクパク食べる。

みんなで盛大に食べる。
食べながらトサカの大きい鳥の姿を思い出すけれど、悲しさなどはない。生まれて育って、今日お肉になってくれたことへの感謝をして、おいしいお肉を食べている。

ひとくちもひとすくいも無駄にしまい。
大事に大事に夕飯を食べた、
思い出深い2023年のクリスマスイブ。

トサカの1番大きい鳥。
おいしいお肉をありがとう


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