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風合いというか、風愛というか。

コンビニの「サーモンとアボカド風おにぎり」が「やばいな。」と思ったことが発端なのだけど、「〜風」ってなんなのか。

「アボカド風」は絶妙にイヤなのだけど、既製品とは違う「関係性」とか、「場」であるなら、「〜風」は、発展が望める良さであるように思う。

強い断定が連続するギチギチの関係性は、
なんというか、エコノミー症候群みたいな居心地の悪さがある。

けれども、「僕」もいて、「あなた」もいる。そう実感できるコミュニティは、良い余白、
手足を自由に伸ばせられるような余白があるのだ。

「〜風」は、なんともなるくて、ヌルい表現だけれども、存外、人が愛でたくなるようなコトは、そんな、手に取りやすい弱さのあるもんなんじゃないか。

「〜風」を「僕」と「あなた」の関係性で愛でる。

発展した「〜風」は、形を変えずに深化する。

醸す風合いは、強い断定がなくとも、自走するまるでどこか、中学の友達みたいな間柄になるんじゃないか。

「中学の友達風」。

関係性のエコノミー症候群を感じたら、
風通しを良くする余白が、私たちには必要なのかもしれない。

思えば、最近彼女と始めた「交換日記風」は、
2ヶ月に一回くらい発生するケンカのカタチを変えた様に思う。

一人でいる時、ノートを持っている人は、
不安と怒りを素直に書き表す。

次会う時まで書き貯められた素直なパートナーの感情が現れた文字を見て、なにかを感じ合う。

それは決して、「交換日記」ではなくて、
もはや、ほぼ手紙か愚痴かなのだけど、
「交換日記風」は、私たち2人の間を心地よく抜ける一陣の風なのだ。

「交換日記風」用に100均で買ったノートは、もうすでに1ヶ月ほどの交換を経て、シナシナしてきた。

私たち2人は、このなんとも言えない弱っちい
「交換日記風ノート」を愛でることで、
これから始まる遠距離恋愛を楽しむ。

本来なら目に見えないのが風なのだけど、
コミュニティにおける「〜風」は、
目に見えるカタチとなって、
わずかな心の余白を産み出す。

人と人とを繋ぐ輪の中で、自由に動き回れる、そんな関係が、私は好きだ。

断定とも、競争とも距離を置いた弱々しい私の在り方は、そんななるいような「〜風」を愛でることで、何とかなるはず、だ。

「私たち2人が醸す、風合いっていうか風愛?」

あるがままの自分は、自然の摂理に従って、
柔らかく淘汰されるくらいで、
ちょうどいいと思っている。

「それにしたって、アボカド風って何だ。」

#エッセイ #随筆 #コラム #コミュニティ #関係 #恋人 #愛 #余白 #暮らし方



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