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黒猫とカンパネルラ

ぼくは公園のベンチに座っていた。

公園はがらんどうだった。
人っ子一人いない。人気のない寂れた公園だ。

この間の日曜日まではとても賑やかで毎日たくさんの人が来ていたのに、あっという間にいつもの寂しい公園に戻ってしまっていた。

本当だったら今週の日曜日、ぼくはこの公園で遊ぶはずだった。今週の日曜日は、期間限定で来ていた移動遊園地の最終日だったんだ。

その日はいつもは忙しいお父さんが、朝から晩までゆっくりお休みが取れるということで、移動遊園地に連れていってもらう約束だった。
ぼくはとても楽しみにしていて、前の日の土曜日、夜8時にはベッドに入った。そして日曜日。ウキウキしながら起きるはずだったのに、窓を叩く雨の音で目が覚めた。

窓を開けると外は土砂降りの雨。

ザーザー降りってやつだ。
バケツをひっくり返したみたいな雨。
どさっと雨の塊が次から次に落ちてきて、そこいらじゅうが水たまりだらけになっていた。

ぼくが残念そうに窓の外を眺めていると、
「映画でも行くか」
とお父さんがぼくの肩をポンと叩いた。

ぼくは頷くだけの返事をして、その日はお父さんとお母さんの三人で映画館に行った。
もちろん映画は楽しかった。
人気のアメコミのヒーローもので、絶対に間違いなく面白い映画だった。

このあいだの日曜日が楽しくなかったわけじゃないけれど、ぼくはがらんどうになった公園を眺めながら、移動遊園地に行ってみたかったな、と思った。

日曜日の雨はほんとうにひどくて、普段だったら外に出たくないくらいの雨だった。もし、あれが平日だったら、確実に学校は休んでる。
長靴を履いたって長靴の中に地面が弾いた雨が入ってきて長靴の中が水たまりになりそうなくらいの雨だった。

そんなひどい雨だったから、公園には三日たった今日も水たまりが残っていた。月曜日は日曜日の雨が嘘みたいにいいお天気だった。ぼくはもしかしたら月曜日も開園しているかもしれないって、学校に行く前に公園の前を通ってみた。けれど、ぼくの予想は全く当たっていなかった。
月曜日、移動遊園地はもう色々と壊されていて、大きなトラックが何台も公園の前に止まっていた。

冬の始まりなのに半袖を着た力自慢のおじさんやお兄さんたちが、次々にバラバラになった移動遊園地をトラックに詰め込んでいた。
ぼくは学校に行かなくちゃいけなかったから、その様子を少しだけ眺めるとすぐに学校に行った。
学校が終わって慌てて公園に向かったけれど、その時にはもう公園はもぬけのからだった。移動遊園地なんか最初からなかったみたいだった。

結局ぼくは移動遊園地には行けなかったんだ。ということはぼくは移動遊園地の中のことはほとんどわからない。
移動遊園地で遊びたかったという気持ちがぼくの想像を掻き立てるけど、テレビ番組とかCMで見た移動遊園地の映像だとか、お姉ちゃんが彼氏と行った話なんかに、ぼくが遊んでいる様子を想像で重ねることしかできない。
それって、ほとんど夢と一緒みたいなもんじゃないかと思った。

ぼくは移動遊園地があったはずの公園を眺めながら、本当は移動遊園地なんか来てなくて、全てはぼくのただの夢だったんじゃないかなんて思ったりもした。

ぼくはなんだか寂しくて、学校が終わるとこの公園に来た。
この公園はほとんど誰もいない。遊具もないし、綺麗な植物もないし、この公園で遊んでいる子どもなんてほとんどいない。

このくらい人がいない方が今のぼくにとってはありがたい。だって、今ぼくは友達が一人もいないんだから、正直なところ誰かが楽しそうに遊んでるところなんか見たくないんだ。

夏休みが終わってすぐのことだった。
夏休み明けに学校に行ったら、クラスメイトのオサムが何故かいじめられるようになった。とりたててコレという理由があるわけじゃなかった。

オサムは気は弱いけど、いいやつだ。保育園から一緒だから、ぼくはそれをよく知っている。
クラスのリーダー格のユウタが暇潰しみたいにオサムをターゲットにし始めた。運動会の練習が始まったあたりだった。オサムが運動が苦手だから、からかいやすかったのかもしれない。

ぼくは、そんな理由で暇つぶしみたいにオサムがいじめられているのを見ていられなかった。
だって、明らかにおかしい。
ぼくは別に正義感が強いわけでもないけど、どんどん元気がなくなっていくオサムを見ていられなかった。
オサムの遅刻が増えて、体育の授業がある日は休み出した。ぼくはイライラした。オサムにじゃない。ユウタにも、何もできないぼくにもだ。

10月のはじめ、オサムが休んでいた時にユウタがオサムのことを話題にしてゲラゲラ笑っていた。クラスのみんなも笑っていた。付き合い程度に笑っているような奴もいたけど、ぼくは全然おかしくなくて笑えなかった。

「おい、タツヤ! なんで笑ってねーんだよ。おもしろいだろ? 笑えよ」
ぼくは最初、笑おうとしたんだ。だって、笑わなかったらぼくが次のターゲットになる。そんなことが頭をよぎった。そして、そんなことを考えてしまったことに気づいてぼくは気持ち悪くなった。吐きそうになった。体の中がドロドロとしている気がした。

このままじゃいけない、と思った。腐っていく。そんな気がした。
ぼくは体にぐっと力を入れた。腐らないように。これ以上。

次の瞬間、ぼくは
「笑えない。面白くなんかない」
と口に出していた。

その日から、ターゲットはオサムじゃなくてぼくになった。

遊具も何もない公園でぼーっとそんなことを考えていると、どこかで鈴の音がちりんと聞こえた。なんの音だろうと、振り向いたけど、どこにも音が鳴りそうなものはなかった。

ちりん。

ちりん、チリン。

音が近づいてきて、黒い猫のしっぽがぼくの目の前を通り過ぎた。
黒猫が尻尾をひらりとぼくの方に向けた気がした。ぼくの目が尻尾を捉えたと思ったら、黒猫が振り返った。きらりと猫の目が光る。青と緑の混じったような綺麗な目だった。

晴れた空みたいな水色の首輪に、まるでトナカイの鈴みたいな変な形の鈴をつけた黒猫がぼくの方をチラリと見た。

黒猫はいくつかの水たまりを器用に避けて歩いていた。
しゃなりしゃなりと腰をくねらせて歩く。
その姿はモデルさんみたいだった。

大きくて綺麗な鏡みたいな水たまりが一つあった。
黒猫はチリンと鈴を鳴らすと、水たまりに体を写した。

黒猫はお風呂にでも入るように水たまりに右の前足をそっと潜らせると、そのまま、水たまりの中に体ごと全部消えてしまった。
吸い込まれたみたいに、一瞬でいなくなってしまったんだ。

「あっ!」
ぼくは慌てて声を上げた。
ものすごく大きな水たまりだったから、溺れたのかもしれないと思った。ぼくは急いで水たまりに駆け寄った。

波紋ひとつない大きな水たまり。
本当にここに黒猫が一匹入ってしまったかなんて信じられないほどに静かだ。ぼくは両腕の長袖のセーターを腕捲りして、じゃぼっと水たまりに両手を突っ込んだ。

「あっ!」
ぼくは思わず声を上げた。

だって、大変なことに底がない。水たまりのくせに底がないなんて。やばい、とぼくは思った。

上半身がズブズブと水たまりに沈んでいく。
ぼくは当たり前に底があると思い込んでいたから、勢いよく突っ込んでしまったんだ。底なしの水たまりがあるなんて。こんなことってありえない。
ドラえもんのお座敷釣り堀じゃないんだから。

「終わった」って思った時には、ぼくはふわふわの雲の上にいた。

多分、ぼくは死んでしまったんだろう。
だって底なしの水たまりだったんだ。息ができっこない。
お父さんとお母さんとお姉ちゃんには悪いけど、もうここ一ヶ月つまらなくて、毎日が死にたい気分だった。こんなに簡単に死んじゃえるならそれでもいいと思った。

ふわふわの雲の上なんだし、きっとここは天国に違いない。
特にいいことなんて何ひとつしてない気がするけど、ぐつぐつ煮える鍋もないし、針の筵なんかもないし、虎柄のパンツを履いた鬼もいない。

「早く座りなさい!!」

突然の女の人の声にぼくは驚いて、飛び上がった。
飛び上がった拍子に尻餅をついたと思ったら、ぼくは学校の教室の木でできたみたいな椅子に座っていた。
目の前には机もある。チラチラと周りを見ると、他にも人がいた。

雲の上に学校があるんだろうか。
天国に入る前にはルールか何かを勉強するんだろうか。

教室みたいな場所にはサラリーマンみたいなおじさんだったり、赤ちゃんだったり、おばあさんだったり、ゾウだったり、アリだったり、とにかく色んな生き物がいた。
年齢も性別も種別でさえも、違っていた。
頭をひねって共通項を探そうとしたって、絶対に正解することができないクイズくらいにバラバラだ。

「きみ、名前は?」
さっき大声で座れと言ってきた先生みたいな女の人が話しかけてきた。水色のチョーカーをつけてパリッとした黒いスーツ姿だ。教壇のような場所をモデル歩きでしゃなりしゃなりと腰をくねらせて歩く。
その女の人がぼくに近づいてきて、指示棒を向けた。
ぼくが黙っていると、女の人は指示棒でぼくの首をつついた。

からん。

ぼくの首で小さな鐘の音がなった。
ぼくが首を触ると、ぼくはチョーカーを巻いていて、そのチョーカーには金属の何かがついてる。首輪みたいだ。

「鐘が鳴ったな。では、きみは、ここではカンパネルラということにしよう。カンパネルラ、きみはなぜここに?」
ぼくは両眉を潜めて、女の人を見た。
「……」
「カンパネルラ! 黙っていては死刑に処すぞ。心を明らかにしないことと、心と異なる発言を行うことは、ここでは最も重い罪である!!」
女の人は、大きな声で怒鳴った。

死刑ってことは死んでないってこと?
なんてことを考えながら、ぼくは恐る恐る声を出した。
「黒猫を助けようとして……」
その瞬間、ぼくの首につけていた鐘がカランコロン、と音を立てた。
女の人が拍手をした。ぼくの周りに座っていたおじいさんも、トナカイもみんな突然その場で立ち上がり拍手をした。スタンディングオベーションってやつだ。

「おめでとー!!! カンパネルラ! あなたは、とても良いことをしました!!」
女の人がぼくに微笑んだ。
「ぼく、助けてないけど……」
戸惑うぼくの首の鐘を指示棒でからんと鳴らす。

「やらぬ善よりやる偽善!! 情けは人の為ならず!! 旅は道連れ世は情け!! まずは何かをしようという行動こそが尊いのです!! カンパネルラ!! あなたは素晴らしい!! では、さようなら!! またいつか!!」

と感嘆符ばかりの語気の強い話口調で突然別れの言葉を告げると、女の人はぼくの首の鐘を指示棒で大きく弾いた。
その瞬間、ぼくの首についていた首輪が外れた。黒猫と同じ水色の首輪。
首輪は宙を舞うと、青い空に同化してそのまま見えなくなった。そして、それとほとんど同時にぼくの足元の雲がぽっかりと開いた。青い空の下にぼくの街が見える。あの、誰もいない公園も。

「あ!」

落ちる。
ここは天国じゃなかったのかよ。

その瞬間、雲の隙間からものすごい風がびゅうっと吹いた。
風を受けて、鐘がなる。


からんからん。


🔔

ちりん。

鈴の音で、ぼくは目が覚めた。
気づけば、さっきまで座っていたベンチに座っていた。


ちりん、チリン。

音が近づいてきて、黒い猫のしっぽがぼくの目の前を通り過ぎた。
黒猫が尻尾をひらりとぼくの方に向けた気がした。ぼくの目が尻尾を捉えたと思ったら、黒猫が振り返った。きらりと猫の目が光る。青と緑の混じったような綺麗な目だった。

晴れた空みたいな水色の首輪に、まるでトナカイの鈴みたいな変な形の鈴をつけた黒猫がぼくの方をチラリと見てにゃあと鳴いた。





おしまい











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