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テキトーな母によるオリジナルソング

みぎー
のおっぱい、ひだ
りのおっぱい、ふたつあ
わせておっぱいぱい。この母オ
リジナルソングを歌って聞かせると
息子たちはいつもげらげら笑っていた
もうこの歌が必要ないくらい大きくなった
けど、今歌ってもげらげら笑ってくれるかな


この歌は、私のオリジナルソングだ。
上の詩の上から4行目、9文字目まで。

こんな品のない歌を作る母を許して欲しい。
そして、インターネット上で、品のなさを露呈する母を許して欲しい。

いや、品がないわけがない。

おっぱいは正義だ!
みんなおっぱいを飲んで育ったんだ!
おっぱいをバカにするな、私!

と、おっぱいをいっぱい連呼して満足したのはどうでもいいとして、息子たちはこの歌をとても喜んで、歌ってやるとゲラゲラ笑った。



適当の意味


私は、基本的にはテキトーな母でいたい。
そして、いつもいつも、ふざけていたい。

好きな熟語は「適当」だ。
適当にでたらめにふざけたい。

私の中では適当とは肩の力が抜けたリラックスしている状態だ。

本当は四六時中ふざけていたいが、仕事中はそうもいかない。
一応、社会人に擬態しているので、ちゃんとした人のふりをしている。

しかし、仕事の話をしていない時は、積極的にふざけるようにしている。
場を和ませたいとかそういうことではない。
ただ、自分が楽しいからそうしたいだけだ。

ふざけると言っても、別に変な振り付けで踊ったりとかそういうことではないが、できるだけユーモアのある生活を送りたいと思っている。

そんなことを言ってはいるが、家ではどうも我慢ができず、変な踊りを踊っているらしい。
無自覚だ。
夫に指摘されて気がついた。
恐ろしい。自分が怖い。

常にふざけたい私は、常に適当でいるよう心がけている。


ある時、仕事の電話をしている時に、
「わかりました。では適当に対処しておきます」
と私は答えた。

すでに周知の事実だと思うが、適当の意味は大まかに3つある。

1 ある条件・目的・要求などに、うまくあてはまること。かなっていること。ふさわしいこと。または、そのさま。

2 程度などが、ほどよいこと。また、そのさま。

3 やり方などが、いいかげんであること。また、そのさま。悪い意味で用いられる。

どっかの辞書

私は、1または2の意味で適当を使っている。
しかし、一般的にはテキトーな感じに3を用いることが多いのではないかと感じている。

その時も、多分3の意味で取られてしまった。

ものすごい怪訝な声色で「適当ですか?」と聞かれた。
社会人に擬態している私は、すぐさま「適切にです」と言い直した。


適当のどこが悪いのか!
むしろいい意味ではないか!

悔しい。
素敵な言葉なのに、邪険に扱われている気がする。

くそっ!!!!!!!!

なんて書いてはみたものの、正直、適当の良い悪いはどうだっていい。
実際の私の態度は、3に近いことも少なくない。

適当の意味が1だろうが2だろうが、3だろうが、全然、気にしてない。
ちょっと怒ったふりをしてみたかっただけ。

ほら、不機嫌な人って、ちゃんと考えてるみたいに見える時があるじゃないですか。
実際がどうかは別として。

なので、私はたまに、テキトーに不機嫌なふりをしてみたりするんです。
発言に信憑性を持たせるための、ズルのために。


子育ても適当で


テキトーをモットーとする私は、子どもと接する時も適当が多い。
デタラメを言うことも多い。
ちゃんとしなさいとかも、あまり言いたくない。
だって私がちゃんとしたくないからさ。

一応、社会で擬態するための術は教えるようにしている。
そのため、
「本当はそう思っていても、一般的にはこうしておいた方がうまくいく」
とかそういう小手先のテクニック的なことを教えてしまう。

それって、あんまりよくないよなーと思ってはいる。
でもそんないつもいつもちゃんとしなくたっていいじゃないかと思ってるのに、ちゃんとしなさいなんて思ってもないことを子どもたちに言うのは違うよなーとも思う。

けど言わなさすぎて、でたらめなことばっかり息子たちがするもんだから、時には母、ブチ切れるけど。
そうだよ、わがままなんだよ、あたしゃ。

いやはや、あいつらは線引きってもんができてねえ。
本当に適当すぎる。
誰に似たんだ!!

おまえだよ!!

・・・あ、どこからか夫と母と妹が何か私に言っているのが、聞こえる気がした。

そんな我が家の事情はさておいて、私はデタラメは言うけど嘘はつかないと決めている。
デタラメと嘘はほとんど同義語のようだが、全く異なる。

私は嘘は言わない。
思いつきでふざけたことをテキトーに言っているだけで真実を捻じ曲げたりなんかしていない!!

と再び、怒ったふりなどしてみる。

しかし、あまりにデタラメなので、実家に帰ると親からはちゃんとしなさいと注意されたり、妹からは姪や甥にデタラメなことを教えないようにと注意されてしまうくらいだ。

子どもはデタラメが好きなのになあ、と思ってしまうが、彼女たちの言うことは正しいので、
「ごめんなさーい」と謝るしかない。

案外、子どもはちゃんと見てるから、大人がデタラメだよという、いたずらっぽい顔をすれば、それが冗談だと気づいてくれると思ってるんだけどなあ。

まあ、真剣な顔でデタラメなことしか言わないから、注意されちゃうんだろうけど。

ははは。

そんな私は、子どもたちが小さい頃、寝る前には必ず絵本の読み聞かせをしていた。
読み聞かせの前には、おっぱいソングを歌うことが多かった。
そして、絵本は作者の意図を全く汲み取らず、その通りに読まなかった。

というか読めない。

だって、息子たちはテキトーな母を期待している。

時には、全て博多弁にして読んだり。
時には、「電車」を全て、「うんこ」に変えて読んだり。
時には、全て外国人風で読んだり。
時には、超スローモーションで読んだり。
時には、超高速で読んだり。
時には、四か国語麻雀風に読んだり。

四カ国語麻雀風、これはテクニックがいるので難しかった。
私はいつも途中で挫折した。
サングラスのおじさん、すげえなと思いながら、再び挑戦しては挫折した。

たまに息子たちから「ちゃんと読んで!!」と怒られることもあった。
でも、概ね喜んで私の読み聞かせを受け入れてくれた。

寝る前なのに息子たちは、ゲラゲラと笑い続けた。
私の読み聞かせには、「子どもを眠らせる」と言う効果が全くなかった。
自分でまいた種とはいえ、寝てもらうための読み聞かせなのに寝てくれないのは辛かった。

いや、そうでもない。
思い出した。
少し低めの声で、多少ゆっくり読むと、いつの間にか寝せることができた。

ポイズン効果だ。
ほら、あのポイズンよ。

しかし、それは子どもたちにだけ効果があるわけではなかった。
大体、私の方が先に眠くなり、よく絵本の角を自分の頭にぶつけていた。


どんな時もテキトーで


ものすごく忙しく、精神的に病んでいた時期は、さすがにおふざけも半減していた。
しかもその時、次男は小学生になったばかりだったので、ちゃんとさせたいという思いもあった。

すると次男から言われてしまった。

「お母さんは、真剣にふざけてるんやろ? なんで、ふざけるのやめたと? ふざけて欲しい」
と。

そう訴える次男の表情は、とても寂しそうだった。

彼の中の私のアイデンティティは、ふざける母だったのだ。
ふざけていない母は、ただの母なのだ。

いや、それでいい。
別にふざけなくたって母じゃないか。
幸いにもおっぱいは二つもついている。
十分ではないか。

しかし、私のちっぽけなプライドが傷ついた。
何をクソ真面目に母親をやっているんだ、と。

真面目を否定しているわけではない。
真面目な人たちが頑張っているからこその、日本だし社会だと思っている。
真面目というのは素晴らしい才能だ。

しかし、私はその中で、適当という役割を担っていると勝手に信じている。
そして、それをホコリに思っている。

その私が、ふざけてないだとぅ?

ふざけるは、テキトーは、心の余白に生まれるのだ。
私は今すぐに狭くなった心の余白を広げなければならない!

と、そんなことは思わなかったけれども、
ごめんよー、おかんはこれからも、真剣にふざけるよーと思った。

心の余白はさておき、最近は余裕があるので十分にふざけることができる。

noteを始めて、吹き溜まっていた言葉たちをアウトプットできている。
皆さんからのスキやコメントなどなどで自己肯定感も爆上がりだ。
どういう解釈かはわからないが、ふざけても許されると勘違いしている。

息子たちからのババア攻撃も余裕でかわすことができる。


しかし、おっぱいソングは今も有効なのだろうか。
今度、酔ったついでに歌ってみよう。

きっと、キモいと言われることは必至だと思うが、それすらも楽しみだ。





2023.12.23追記

もりもとさんが、私の記事を読んでくださった上に記事をご紹介いただいた!
おっぱいソングの答え合わせをしたいと書かれてあったので、リクエストに答えて歌ってみました。

気になる方は答え合わせしてみてくださいね。






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