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自分軸を持つには「自信」が土台になる


学校に行きたくない次男(小5)

「この子は何を気付かせたいんだろう?」
「私はなにを許してないんだろう?」

少し出てきたものがあるので書いてみます。


●「怒ること」をいけないこと、ダメな感情という器に入れてた。

人は、無意識に判断している基準を持っています。
これは、過去の経験によってカテゴライズされるのですが、私たちは普段、この判断基準により日常の些細なことを決定しているんです。
イメージで例えると、
ジャムなどの空のビンに「いいこと」とか「悪いこと」とかラベルが貼ってあって、その中に振り分けてある感じです。

「怒ること」をだという器に入れていた場合、
怒られたり、怒ってる人を見たとき、「イヤなことがあった」→「自分はダメージを受けた」→「次回から避けなければいけない」→「回避するための行動」、、、ウソをついたり、やりたくないことを顔色伺ってやったり、やりたいことを我慢したり、、、後半で説明していますが、「自己決定感」が失われる原因になります。
また、「怒る」=悪なので、自分が怒りたい場面で怒れない。怒ってしまった自分を責める、などという反応をしてしまうので、自分の感情を出せずに苦しくなっていきます。

一方、「怒ること」を愛情の裏返しだとか、そこまでいかなくとも人間ならあって当然の感情など、OKという基準にしていると、
「そんなこともある」とか、「相手には怒る権利もあるのだから」など、相手と自分を切り分けて考えられ、過度に振り回されなくなります。
もちろん自分も、状況に応じて「怒り」を表現として使うこともできます。

このように、五感を通して脳に入ってきた情報(例えば「怒られた」)を、どういう基準で判断しているか、どういうレッテルの器に入れているか?で状況の受け取り方が全然ちがってきます。
すると、その後の行動も当然ちがってくるというわけです。


(以下、次男にかけた言葉)

人はなぜ怒るのだろう?
怒るときってどんなとき?

大事なものを守りたくて「怒る」という方法を使うこともある。

伝えたい気持ちが強く出すぎて「怒る」こともある。
それは、その人が大事にしている価値観があるんだろうし、

わかってもらえない悲しさから「怒ってしまう」とき、
それは、自分自身や相手との関係を大事に思ってるから。

先生があなたや友達を叱るとき、
あなたたちのことを想う情熱があるからじゃないかな。


何か大切にしたいことがあるって証拠。
どうでもよかったら怒らないと思うんだ。

もちろん、むやみやたらに「怒り」を振りまいて攻撃してくる人もいる。
でも、怒ってる人みんながそうじゃない。

こうやって、なにかすごく大事で大切にしたいものがあるからこそ、「怒るっていう表現」をすることもある。


怒ってる人を見たとき、
「この人は何を大切にしてるのかな?」って探してみて。





●そもそも、行く目的を自分で決めてない


「自信がある」というのは、人生を生きていくうえでとても重要になります。そして自分軸を持っているというのは、この自信が土台になります。

では、自信はどうやって育まれるのか?
2つの要素が不可欠です。

①「自己有能感」・・・行動を起こして目的を達成し、「自分はできる」という感覚のこと。これは小さい成功体験を積み重ねることで育てられます。

②「自己決定感」・・・ものごとを「自分で決めた」という感覚のこと。いくら成功体験を積ませても、それをやっていた理由が親の決めたことだったり、世間一般の常識に照らし合わせてだったり、恥ずかしいから、、などという他人の目を気にした理由で選んでいたりすると、「これは親の望みを叶えたもので、自分の望みではない」「これは本当の自分ではない」という違和感が常につきまとい、自信を持てなくなります。

なので、「なんのためにそれをやるのか?」という、周りや状況はいっさい関係なく自分からの「目的」を持って行動することがとても重要なんです。


子供って、自分からの目的で学校に行ってる子、
少ないんじゃないかなぁ。。

行かせてる親の方だって、
明確な目的を持って行かせてる人、少ないと思う。

学校の先生だって、どこか
「学校は行って当たり前」
「行かない選択肢はない」って感じで義務っぽい。

休みがかさむとヒヤヒヤして慌ててるもの。

「教育委員会に報告しなきゃいけなくなるから、ほんのちょっとでもいいから来させてください」って言われました。

それってなんか、本末転倒。

人生経験の練習しに行く場所なのに、悩んだときに立ち止まってはいけないっていうのは変じゃないかな。深く悩んでるときって、他人に会いたくないことあるし。


これじゃあ、子供は
「行かされてる」とか、
「大人の都合に付き合ってる」
だけの行為だから行く意味わかんないよね。


モヤモヤして悩むってことは、なにか違和感に気付いたからだろうし、自分のこと考え始めてきた証拠だと思う。

けしてサボりたいだけじゃないと思うんだよな。


そんなときは立ち止まっていいんだよ!っていう環境を作ってあげたいし、立ち止まったときに耳を傾けて一緒に考えてくれる大人がたくさんいたらいいよなぁと思う。


そんなことを考えていたら、
「運動会が楽しみだな~♪」というダンナの何気ない一言で、
「えっ、そうなの??」と次男。

その一言で案外、運動会練習もイヤじゃなくなったみたいで、(行く目的ができた)とりあえずは張り切って学校に行っています^^;


でも、もう少し深い何かが出てきそう。
・「怒ること」をダメなこと、悪いこととして見ていた。
・行く目的を「自分で」決めてない。

これはまだ表面的なことでしかない気がしてます。
原因の根っこを探し中です^^;






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