見出し画像

幻想に溺死


たまに、不思議なことを言う人がいる。

人の悩みは人によって違う。 考えも重さも軽さも不幸せも幸せも。 人の心にはそれぞれの大きさや深さがあって、捉え方も受け入れ方もそれぞれ違う。

グラス一杯の憂鬱に耐えられる人もいれば、ショットグラス一杯で泣き出してしまう人だっている。 声高に愛を語る美人もいれば、諦めたように愛を嘆く美形もいる。


東京の夜は淋しい。

何千何万の人がすれ違う街並みは、孤独と憂鬱に溢れている。 空も地も見ることなくただ前を見て歩く人の波に押し流されて、迷子になっても差し伸べられる手はない。 軽薄さと下品さを武器にして夜の街で笑う人は、私の心を揺らしてくれる。

何時間も並ぶタピオカも、数分で空くラーメン屋も、私はどちらもあまり興味がない。 いつだって欲しいものは見つからない。 大切なものだけ入れた鞄だけあれば何処にだって行ける。


「死んでるみたいじゃないですか」


口角を上げて嗤う。 不思議なことを言う人だと思った。 嫌味か比喩か、それともただの感想か。 この人には私が死体に見えるらしい。 失礼な。 

確かに化粧をしてもチークを乗せなければ 具合が悪いの? と心配される。 だから人よりもかなり遅くなってチークを乗せるようになった。 心から心配してくれる人に申し訳なくて。 その優しさが温かくて。

そういうことじゃないのはよく分かってる。 頭の回転が無駄に速い。 だから無駄なことを考える。 この人はきっと私の何かが合わないんだろうな、と少しだけ残念になる。 初対面からその目が攻撃的に光っていたのは解っていたけれど。

そうですね と笑って返す。 こちらに攻撃する気はありませんよ、と示すために出来るだけ優しく。 ほんの一瞬、苦虫を噛み潰したような顔をして、その人は私から離れる。 後ろから友人が背中を叩く。 よくやった、と。


不思議なことを言う人は嫌いじゃない。 私の心を揺らしてくれる。 良くも悪くも。 そういう言葉は好きだ。 真っ直ぐに狙いを定めて攻撃されることも、決して嫌ではない。 人と人の分かり合えない部分を教えてくれる。



東京の夜が好き。

楽しそうに笑う恋人たちも、足取り重く帰路につくお兄さんたちも。 皆それぞれ自分の人生を連れている。 幸せも不幸せも、叶うことのない願いも。 隙間から差す光みたいに、ほんの少しだけ眩しくなる。


一度、夜の街中で泣いたことがある。

何故かは分からない。 なんだか急に悲しくなって、どうしようもない感情に殺されそうだった。 声を上げるでもなく、ただただ涙が溢れた。 必死に押し留めていた何かが、決壊して止まらなかった。

ざわめく声も、止まない足音も。 なにもかもそこにあるのに、遠くなるような。 すれ違えない誰かに気づいて欲しかったのかもしれない。 出逢えない誰かに出逢いたかったのかもしれない。


恋も愛も友も。

誰もいない東京の夜は、どこまでも自由だった。 此処から先には来ちゃいけないよ。 そう言われて腕を掴まれたような、そんな感覚。 もう少しあと少しでなにかが変わるような気がした。 それがとても嬉しかった。


手に入らないものが美しく見えるわけじゃない。 

どうしても手に入らない。 そんなことは分かり切っている。 でもどうしても欲しいものがある。 理想を謳って、幻想を描いても、未だ遠く光るもの。 

いつか、いつか。 そう思いながらなんとか生きていく。 現実に溺れる。


でも息は苦しくない。

引き揚げてくれるくれる手もある。

だから私は軽率に溺れる。


欲されない自分に、なりたくないよ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?