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谷崎潤一郎、あるいはアンチエロティシズムの文学(1)(2022)

谷崎潤一郎、あるいはアンチエロティシズムの文学
Saven Satow
Oct, 29. 2022

「ロックンロールはわれわれを苦悩から逃避させるものではない。悩んだまま踊らせるのだ」。
ピート・タウンゼント

1 「『話』のない小説」論争
 谷崎潤一郎は私小説を擁護する芥川龍之介との間で「『話』のない小説」論争を展開する。発端は1927年2月号『新潮』合評会における谷崎の小説に対する芥川の発言である。ここから『改造誌上で「『話』のない小説」をめぐって両者が論争を繰り広げる。後のノーベル文学賞候補作家と夏目漱石に絶賛された文学界のスターの対決はドラマティックですらある。「筋のない小説」論争とも呼ばれるこの決闘は、同年7月の芥川の死によって決着を見ないまま幕引きとなっている。これは「話」、すなわち筋のない私小説と「話」のある物語の拮抗である。

 ただ、この論争は谷崎が『大衆文学の流行について』において、次のように述べるとき、短編と長編の対立と捉え直すことができる。

 もし告白小説や心境小説を以て高級と言うならば、(略)そういうものは決して小説の本流ではないと私は考える。小説というものは、矢張り徳川時代のように大衆を相手にし、結構あり、布局ある物語であるべきが本来だと思う。そうして実はその方が、多くの場合、いわゆる高級物よりも技巧の鍛練を要し、何等の用意も経験もないものがオイソレと書くことは出来ないのである。

 日本文学の近代化を推進してきたのは主に知識人である。彼らは東洋の古典に関する知識を有していても、戯作者と違い、もともとプロの作家ではない。その課題の実現のために言文一致や写生文などの原則の試行錯誤を重ねつつ、西洋の近代文学の見よう見まねで小説を書き始める。だが、物語を拵えるノウハウを知らないので、長編を書くのが難しい。知識人作家は日本における文学の近代化が目的であり、作品の長さは関心事ではない。それが日本語による近代文学としてふさわしいかや日本社会における近代化をめぐる理想と現実の関係を描いているかといった点が評価基準である。

 文学の近代化が進む中で、戯作者の流れを汲む職業作家も活動している。写実主義をめぐる研友社の反応が示す通り、彼らは近代文学が何たるかを必ずしも理解していない。しかし、長編を書くノウハウを身に着けている。既存の物語の構造を拝借、同時代の読者の嗜好に合うように設定や筋立てを変更する。新たな文体の挑戦などイノベーションは控えめで、それはしばしば類型的であり、通俗的ですらある。読者の関心や理解力を踏まえた作品によって支持を得ることが目的であり、近代文学をめぐる問題からは距離を取っている。谷崎は「大衆文学」として物語、すなわち長編を語っていることを踏まえれば、私小説は短編、すなわち純文学を指すことになろう。

 「『話』のない小説」論争は私小説と物語の相克として展開しているけれども、それは短編と長編、ひいては純文学と大衆文学の拮抗を意味する。現在では、大衆小説ではなく、エンターテインメント小説の方が一般的であるが、この区別はかつてほどではないにしても、依然として続いている。こうした対抗は芸術家と職人や科学者と技術者のそれに拡張できる。

 今日、欧米において小説といえば、長編を指す。そのため、日本文学が西洋人に翻訳される場合、長編が選ばれやすい。彼らの間で知られている作家は、谷崎をはじめ長編指向が中心である。そこでは、中短編中心の日本近代文学の文脈は考慮されていない。主な西洋の言語の翻訳があることを条件とするノーベル文学賞は、世界文学を指向しつつも、西洋中心主義に依然として囚われている。

 谷崎は、『饒舌録』において、「筋の面白さは、云い換えれば物の組み立て方、構造の面白さ、建築的の美しさである。此れに芸術的価値がないとは云えない」と言っている。この「建築」のたとええ話は興味深い。マルクスも、『経済学批判』の「序言」において、「上部構造」=「下部構造」に関する説明に建築の比喩を使っている。こうした建築の擁護はマルクスの一連のヘーゲル転倒の企てに属する。ヘーゲルは、『美学』の中で、芸術が建築から始まり、彫刻、絵画、音楽と詩へ至る発展を遂げると述べている。その上で、彼は詩が最上位の芸術で、建築は古代の自然宗教の時代の「象徴的芸術」を代表しているとする。谷崎が「建築」の比喩によって物語の面白さを語ることは、大衆文学の用語にもつながっている。それは文学界における純文学と大衆文学の転倒の企てでもある。

 実際、芥川は、『文芸的な、余りに文芸的な』において、筋のない小説を誌に近いとして次のように評価している。

 「話」らしい話のない小説は勿論唯身辺雑事を描いただけの小説ではない。それはあらゆる小説中、最も詩に近い小説である。しかも散文詩などと呼ばれるものよりも遥かに小説に近いものである。僕は三度繰り返せば、この「話」のない小説を最上のものとは思っていない。が、若し「純粋な」と云う点から見れば、──通俗的興味のないと云う点から見れば、最も純粋な小説である。もう一度画を例に引けば、デッサンのない画は成り立たない。(カンディンスキイの「即興」などと題する数枚の画は例外である。)しかしデッサンよりも色彩に生命を託した画は成り立っている。幸いにも日本へ渡って来た何枚かのセザンヌの画は明らかにこの事実を証明するのであろう。僕はこう云う画に近い小説に興味を持っているのである。

 芥川は市に近いと評価するだけでなく、「『話』のない小説」を絵画の比喩で擁護している。近代に入ってから、絵画を描くのは職人ではなく、芸術家である。その鑑賞の際には作者の経験や思想の反映などバイオグラフィと合わせて理解する必要がある。絵画は特定の目的のために依頼されて職人が拵えるものではなく、芸術家の内面から湧き出す自己表現の結実である。筋のない小説はこういう芸術性を持っている。

 一方、谷崎の小説の構成からも、技法が造型芸術的であることは強調される。「建築」では精神的深さではなく、それに対するアイロニーの主張があるとしても、実用性が重要である。「建築」の美は審美的ではありえない。「構造的美観は云い換えれば建築的美観である。従ってその美を恣にする為めには相当に大きな空間を要し、展開を要する」。「建築」の要求する「相当に大きな空間」や「展開」の認知は訓練や経験の賜物で、座学だけで身につくものではない。「建築的美観」をそなえた作品は「いわゆる高級物よりも技巧の鍛練を要し、何等の用意も経験もないものがオイソレと書くことは出来ない」。

 さらに、谷崎は、『饒舌録』において、構成力が日本文化に欠如しているとして文化論に次のように拡張している。

 (略)筋の面白さを除外するのは、小説と云う形式が持つ特権を捨ててしまうのである。そうして日本の小説に最も欠けているところは、此の構成する力、いろいろ入り組んだ話の筋を幾何学的に組み立てる才能、に在ると思う。だから此の問題を特に此処に持ち出したのだが、一体日本人は文学に限らず、何事に就いても、此の方面の能力が乏しいのではなかろうか。そんな能力は乏しくっても差支えない、東洋には東洋流の文学がある、と云ってしまえばそれ迄だが、それなら小説と云う形式を択ぶのはおかしい。それに同じ東洋でも、支那人は日本人に比べて案外構成の力があると思う。(少くとも文学に於いては。)此れは支那の小説や物語類を読んでみれば誰でも左様に感ずるであろう。日本にも昔から筋の面白い小説がないことはないが、少し長いものや変ったものは大概支那のを模倣したもので、而も本家のに比べると土台がアヤフヤて、歪んだり曲ったりしている。

 書く構成力には、全体を把握するため、叙事詩的に視点をその世界の外部に置く必要がある。抒情詩的な伝統が強ければ、視点がその世界の内部に位置するので、構成力を発揮することがさほど要らない。漢籍が叙事詩の役割を果たしていたこともあり、日本文学は前近代において抒情詩が中心で、谷崎の言うとおり、構成力が乏しかったことは否定できないだろう。

 ただ、谷崎は物語を描く長編作家であるけれども、それは大衆文学ではない。中間小説でもなく、やはり純文学に属する。佐藤春夫や小林秀雄、中村光夫らは谷崎に「思想」がないと断言している。しかし、メッセージ性がないとしても、作品は「思想」を体現している。彼は文体の冒険にも意欲的に取り組んでいる。谷崎は小説を書く際、語尾にもこだわり、「である」を嫌っており、これは言文一致への批判とも解せる。また、彼は、『蓼食う虫』のように、』時として、筋から離れ、エピソードやマニア的知識を書き連ねることがある。さらに、『瘋癲老人日記』の片仮名と漢字の混合文や『卍』の関西弁などそこで用いられた技術も魅力である。谷崎の作品には、大衆文学にしばしば認められる類型性がない。

 谷崎は東京弁で書いていた『卍』を次のように大阪弁に直している。

 主人は絵だの文学だのにはさっぱり興味がない方なのでございますが、私が学校へ行きますことは賛成いたしてくれまして、それは結構だ、いい思いつきだから精出して行くがいいと云うて、自分から勧めたくらいなのでございました。
(初稿)

 主人は絵ェや文学やにはてんと興味のない方やのんですが、私が学校に行きますことは賛成してくれまして、それは結構や、ええ思いつきやさかい精出して行くのがええ云うて、自分から勧めたくらいやのんでした。
(決定稿)

 両者を比べてみると、この変更によって、文章の速度が遅くなっていることは明白であろう。谷崎は東京弁から大阪弁に翻訳した際、文章がぼやけていくように感じている。こういった言語的効果にも彼は鋭敏である。

 こうした谷崎のイノベーションは物語の構造自体にも向けられる。柄谷行人は、『日本近代文学の起源』において、谷崎の物語の構造について次のように述べている。

 谷崎の小説は、現代を舞台にしている場合でも、基本的にそのような「モノガタリ」の配置を反復している。『痴人の愛』や『卍』を例にとると、主人公は女に対して日常的秩序において上位にあるが、この日常的時間はしだいに澱み腐敗しはじめる。それが活性化されるためには、日常的には下層にある女を“貴種”として転倒させ、彼女の放縦と混沌の中に屈服し没入する祝祭が不可欠である。こう書けば、谷崎の小説が反復される祭式にほかならないことがわかるだろう。このことは、彼が実際に日本の物語文学に傾倒した事実よりも、重要である。もっと根本的に、彼は「モノガタリ」作家なのだ。

 谷崎は伝統的な物語から構造を拝借しつつ、それを経年劣化させる。大衆文学者がその構造の安定感を利用して話を展開していくのと対照的である。そうした「澱み腐敗」していく構造を活性化させるために、谷崎は従来の序列を転倒させる「祝祭」を導入する。谷崎は私小説に対して物語を擁護するが、彼自身の作品は大衆文学と違い革新に溢れている。

 このように見てくると、「『話』のない小説」論争における谷崎は私小説に対して物語をたんに擁護しただけではないと考えざるを得ない。彼は、それを通じて、こうだと決めつけることは文学的可能性の芽を摘むと言っているようだ。そこに認められるのはあらゆる秩序の転倒である。谷崎は支配的な上下関係を覆すが、逆転にとどまらない。さらに、新たに上位になったものの内部にある秩序もひっくり返す。この二重の転倒によってすべての秩序が反転する。それはマゾヒズム思想の試みであり、谷崎文学の独自性である。

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