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就寝前の抗うつ薬を1.5倍に。外国語科教員として感じること。

金曜は診察日だった。

いろいろとカウンセリング・診察で話をしたけど、仕事のしんどさ、教科間の仕事量のばらつき、授業方法を常に改善することを求められる教科であること、など、心の底に溜まっていたことを吐き出してきた。

途中、主治医に話しているときも、かなりイライラしてたと思う。

何に対してだろう。

今の職場環境というより、きっともっと根本的なこと。

上にあげたような、各教科の特性上、避けられない仕事量に差があることに対してのイライラなんだと思ってる。

他の8教科は、母語と母語のやりとりで教科書をすすめることが可能であり、そもそも教科書自体も母語で書かれている。

対して、外国語(英語を始め、ドイツ語やフランス語を設置している高校もある)の場合は、母語と目標言語の情報伝達を、いかに円滑にしていくか、また、目標言語を通じて学んだ内容について、自分の考えなどを深めることも含まれてくる。

文章を扱う点で、教員側にも、予習(教材研究)が欠かせないし、効率的・効果的・建設的で、高校3年間の学習計画を見据えた指導を練っていく必要がある。

まぁ、とはいうものの、外国語科と他教科が異なる点は、母語だけで完結するのか、そうではないのか、だけに尽きると思う。

例外として古文・漢文を挙げるが、「話す・聞く」言語として学ぶのではない点と、ひらがな・漢字で構成されている点で、英語とは事情が異なる。古典・漢文の学習方法は、外国語学習のそれと同じではあるのではあるけれど。

とにかく、一旦、目標言語で書かれたものを聞いたり読んだりする学習をしていくことは、数学や物理の数式を使って、理論を頭に入れて式を解いていく工程と似ている部分はあると思う。ただ、理系科目が処理するのはあくまでも数式や現象であって、対して外国語学習が扱うのは、文字・形態・発音・統語(語順)を総合的に、文章の中で学ぶ。要するに、ワンクッション、手間がかかるのである。これは、学習者だけでなく、当然授業を行う教員側にも発生することである(「経済化」といって、学習段階・到達度が向上するにつれて、脳内での英文構造解析にかかる負担が減り、処理に時間がかからなくなってくるのではるが)。

ただ、いくら処理速度があがろうとも、手間自体がなくなることにはならない。たとえば予習。毎年、高校3年生を担当している私は、共通テスト対策教材の予習が、ふだんの教科書の予習に加えてのしかかってくる。演習問題集である以上、「解き方」「ここをこのように読み解けば正解にたどり着ける(選べる)」という過程を、問題プリントに直接書き込み、PDF化し教室のプロジェクターで共有することで、生徒にも可視化させている。これが、大きな負担の一つ。

他には、教科全体をとりまとめる、administrativeな作業・業務の負担だろうか。ALTとの授業内容の打ち合わせ(メール経由)、日本人非常勤講師との、テスト作成やテスト案の確認作業(これは相互に行う)、模範解答の作成作業、そしてエラーがないと確認できたら印刷、袋詰め。ここまでで、1科目あたり、たぶん10時間くらいだろうか。集中して、連続してできるわけではないので、数日間に渡っておこなうのであるが、まだここまでで3分の2、というところだろうか。あとは採点作業、が発生する。

実は採点作業は、各生徒からの回答をすり合わせ、部分点を含めた配点の調整、または模範解答の誤りというヒューマンエラーも当然ある。それらを乗り越えて、人数分採点し、そのあとは、提出物(ノートやワーク)の「山」にタックルするのである。ここでプラス、各科目4,5時間(もっとか?)というところだろうか。

大規模校では、同じ科目(たとえば高2のコミュニケーション英語Ⅱ)を、4〜5クラス担当、という形に割り振ることができる。そうすれば、教員の負担はかなり激減する。使う教科書は1つで済むからだ。

しかし小規模校となると話は異なる。いくら生徒数が少なかろうが、開設する科目は減らない。だから、私の今の勤務校のように、高1から高3までほぼ全科目を担当する、というのがデフォルト設定となるのである。

私は今、これに心をやられている。

もう働けない。このペースだと、秋くらいに、プツン、と糸が切れる。多分。それか、リストカットがまた始まる。

減薬、去年がんばってきた。でももう無理だ。薬を増やさないと、私が私でいられなくなる。

薄暗い灰色の世界に逆戻りだ。

主治医に主治医に相談して、結果的に、夕食時に1錠飲んでいた薬をなくして、同じ成分の薬「ビプレッソ徐放錠」を、50mg2錠=100mgだったのを、150mg1錠に変えてもらった。他の薬は、増やしたくても増やせないらしい。

せっかく減薬できていたんだけどな。

薬を飲まなくていい日が来るのは、いつなんだろう。少なくとも、服用開始からピーク時までを折り返し点と考えても、同じ年月が

かかる気がする。

そうなると、まだまだ先の話だな・・・。長く見積もって、薬を飲まなくても平気だよ、と言ってくれるまで、あと10年はかかりそうだ。

もうずっと薬のお世話になっていてもいいんだよな、そうなると。無理に減らし事に意味はあるのか、よく思う。

いまだに、鬱病の症状が出るのが現状。身体的な症状としても出てくるし、交感神経・副交感神経の乱れなのか、脳内で何時間も、トラブルがあった相手と口論を続けてしまう。これが止まらないんだ、自分でも。放っておくと、仕事などに頭を使っていない、あまりの時間はすべて「その仮想敵との脳内口論」に費やされてしまう。エネルギーが途方もなく消費される。心を蝕まれていく。

あぁもう誰か助けてほしい。かといって、管理職に相談しても、あまり具体的・建設的な解決策が提示されないだろうということはわかっている。言ってみないとわからないのだけれども。

さんざん文句を書いたけど、教師という仕事は好きだし、英語の教員という仕事は好きだよ?言語学を深く学ぶことも好き。それを、生徒に還元するのも。

ただ、できることと好きなことには、当然ながら乖離があるよね。

ベルソムラを10mgから15mgに戻したんだけど、ここ数日、また効き目が弱くなってきてる。夜中に2時間おきくらいに目が覚めたりする。全体的に見るとよく効いてるんだけどね。

仕事したくない。明日、出勤か……。

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