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【読書録】『人形の家』イプセン

今日ご紹介するのは、イプセンの戯曲『人形の家』。1879年。私の持っているのは、原千代海氏の翻訳による、岩波文庫版(1996年)。

イプセンは、ノルウェーの劇作家、詩人、舞台監督。「近代演劇の父」と呼ばれる。本作品はイプセンの代表作だ。

本作品は1879年に発表された、いわゆる古典。しかし、今読んでも、全く色褪せることがない。何度読んでも、新鮮に感じる。外国の戯曲の翻訳ものには、読みにくいものが多いが、この本はとても読みやすい。分量も少なく、登場人物キャラもシンプル。登場人物の交わす会話も、テンポがよく分かりやすい。

本書は、女性解放をテーマとして扱っている。イプセンの顔写真を見ると、大柄でインパクトのあるお顔の男性なので、失礼ながら、このように女性心理を見事にとらえた描写には、少々驚かされた…。

(以下、ネタバレご注意ください。)

主人公の主婦ノーラは、夫であるトルヴァル・ヘルメルから、まさに人形のように溺愛されている。「かわいいヒバリ」とか、「リス」とか呼ばれる様子が象徴的だ。

ヘルメル うちのリスかい、そこで跳ね回っているのは?

p10

ヘルメル (…)さあ、さあ、ーかわいいヒバリはしょげるんじゃない。何だ? このリスはふくれているのかい?(…)

p12-13

ノーラも、ヘルメルの期待に応えて、守ってあげたくなるような、世間知らずのかわいい奥さん、という振る舞いをしている。

しかし、ノーラには、昔、クロクスタという男性から、ヘルメルに内緒で借金を負い、その際、署名を偽造したという過去があった。ある日、ノーラは、クロクスタから、そのことをヘルメルに暴露すると脅される。そこから物語が展開していく。脇役的な位置づけであるリンデ夫人とランク医師のキャラクターも良い味を出しており、物語に厚みを加える。

そして、最後にどんでん返しが! 以下、印象に残ったくだりを引用しておく。

ノーラ  (…)あたしたちの家は、ただの遊び部屋だっただけよ。あたしは、あなたの人形妻だったのよ、実家で、パパの人形っ子だったように。それに子供たちが、今度はあたしの人形だった。あたしはあなたが遊んでくれると、うれしかったわ、あたしが遊んでやると、子供たちが喜ぶように。それがあたしたちの結婚だったのよ、トルヴァル。

p162

ノーラ  何があたしのいちばん神聖な義務だ、っておっしゃるの?
ヘルメル そんなことまで言わなくちゃならないのか! 夫と子供たちに対する義務じゃないか?
ノーラ  あたしには、同じように神聖な義務がほかにあるわ。
ヘルメル そんなものはない。どんな義務だ?
ノーラ  あたし自身に対する義務よ。
ヘルメル お前は何よりまず妻で、母親だ。
ノーラ  そんなこともう信じないわ。あたしは、何よりもまず人間よ。あなたと同じくらいにね、ー少なくとも、そうなるように努めようとしているわ。そりゃ世間の人たちは、あなたに賛成するでしょう。トルヴァル、それに、本で言っているのも、そういうことよ。でも、あたしは、もう、世間の人の言うことや、本に書いてあることには信用がおけないの。自分自身でよく考えて、物事をはっきりさせるようにしなくちゃ。

p164-165

前半を読んでいて思ったことは、個人的なことになるが、人形のように振る舞うノーラは、私の実母と義母(以下まとめて「母」という。)と、とてもよく似ているということだった。

専業主婦であった母にとっては、夫や家族へ尽くすことが、唯一の生き甲斐のようだ。家庭や近所の生活圏外のことには、ほとんど関心がない。自分で物事を決めようとせず、何事につけても、夫や息子に決断を委ね、それに従う。女性は、夫に尽くし、家を守り、家事をひとりで完璧にこなし、女性らしい服装や化粧をしているべきだという価値観を持っている。

そのような母の生き方や価値観は、私のものとは180度異なる。それ自体は、何ら問題ではない。しかし、長年にわたる母とのつきあにおいて、そのような価値観を押し付けられていると感じることが、数え切れないくらいあった。母の世代の育ってきた時代の社会の価値観や、母が受けた教育や周りからの期待を考えると、仕方がないとは理解しつつ、息苦しかった。

後半でノーラが少しずつ変わっていき、自立しようとする様には、喝采を送った。最後のほうでノーラがヘルメルに切ったタンカには、胸がすいた。「周囲の期待に従って人形のように振る舞うのはもう終わりにし、自分にきちんと向きあいたい」という彼女の願望が、彼女の内側から沸き上がってくるのが、とても鮮やかに表現されていた。

他人に自分の期待を(無自覚にも)押し付けてしまうヘルメル。そして、周りの期待に沿うように人生を送っている(前半での)ノーラ。現代においても、誰もがヘルメルになり得るし、誰もがノーラにもなり得る。

社会に根付いた価値観や、家族や他人に押しつけられた価値観に基づいた人物像を演じることに疑問を抱かない人は、現代でも多い。そのほうが楽だから、ということかもしれない。それは、それで悪いとは思わない。他人の価値観や生き方を批判するつもりは、毛頭ない。

しかし、自分の価値観を他人に押しけるのは、やめてほしい。自分の価値観が唯一絶対のものではなく、別の価値観の人もいるかもしれない、という可能性に思い至るべきだ。自分の価値観を押し付けているつもりがなくても、無意識、無自覚に、他人に強いているかもしれないことに気づいてほしい。価値観の違いに気づいたら、話し合い、その結果、互いに受け入れられなかったとしても、互いの違いを尊重する関係を築くべきだ。

そして、身の回りの人に、価値観を押し付けてくる人がいて、理解し合えないと分かったら、そっと距離を置くのが良いだろう。相手が近しい身内で、物理的に距離を置けない場合でも、少なくとも、心の中では距離を置く。その人に言われたことに、いちいち悩まず、やり過ごす。

他人に期待しないこと、他人から寄せられる期待に無理に応えようとしないことが、幸せな人生を送る秘訣だと思っている。みんな同じでなければいけないという同調圧力のもと、型にはめられた人生を送るのは、私は、ものすごく嫌だ。

このたび、この作品を読んで、このようなことを考えた。この作品はもう何度も読んでいるが、毎回、読後感が異なる。次にこの作品を読んだときには、どのように感じるだろうか、楽しみだ。

ご参考になれば幸いです!

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