原発は簡単に止められないのが問題なのかも?

国際関係論やってた都合で、核戦略やら核兵器はまぁ平均以上の知識はあるんですが、原発に関してはサッパリなので、頓珍漢なことを言っているのかもしれない。が、松岡正剛の「千夜千冊番外編 3.11を読む」を読んで唐突に閃いたから、簡単にまとめます。

まず、原発に関する私の基本的な意見というかスタンスはこちら。端的に言えば「原発問題は東電とか政府だけが悪かったのではなかろう。原子力に手を出した人間全体に罪があるのだ。」ということでございます。これについては、今の考えも変わってないです。

で、今回松岡正剛の本を読んでいて閃いたのが、「原発は一度動き始めると容易に止めることができない(人間が手を加えなくても勝手に進む)」点にその特異性があるんでは?ということ。閃いたというと自分の意見のようだが、本にはちゃんと書いてある。

原発はシステムの怪物なのである。システムというものは動いていないかぎりはシステムではない。(137ページ)

人の手が必要なのは最初の一押しだけで、あとは勝手に核分裂(融合)が進む。そして、それを止める術はそう簡単ではない。現に止め損ねた事故が何回も起こっている。ははぁ、やはり人が手にしてはいけないモノだったのだな・・・それが何かを見極めずに(戦時中だったから余計に)手を出してしまった。一度手を出してしまったら、冷戦中の核開発だとかエネルギー問題とか、あれやらこれやらいろんな理由が生み出されて、止められなくなってしまった。それこそ二重三重にシステムの虜だ。

どうも松岡正剛はその「原発っぽいシステムが日本中に蔓延っていること」が気に食わなくて、原発問題を考えつつ、原発っぽいシステムが311でもやっぱり止まらなかったことを抉り出そうとしているような気がするのだが、なんせ私もまだ途中までしか読んでいないので、これは単なる「今のところの個人的な感想」です。ただ、5章中3章が原発とそれに関わる問題についてあてられているのから、この見立て、そんなに外してはいるまい・・・

最後に、この本に収録されている千夜千冊自体、震災直後に書かれたものなので、総括がされていないのは当たり前と言えば当たり前なのだが、個人系には震災で日本人の自然観や人生観がどう変わったのか、それから東北の特殊性については、もうちょっと取り上げられていたら嬉しかったなぁ、というのが正直なところです。そういう意味では古川日出男の「聖家族」は東北が舞台でなんかキョーレツだったなぁ。震災前の小説ですが。


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