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ACT.12『Memory, of Red Line』

俺の本命

 今回の四国入国にあたり、参加を予定していた
イベントに無事到着する事が出来た。
 長尾線にて活躍する1300形を京急時代に復刻させた「追憶の赤い電車」の定期検査を控えた終了直前の最後のイベントとして「卒業式」が開催され、今回はその「式典」の様式に近いこのイベントに参加する事を関西から決めていたのだった。関東大手私鉄では個人的に好きな会社に入っている京急。
 そこまでこの車両を多く見る事は出来なかったものの、最後だけは…との思いが叶い、何とか参列できたのは非常に運が良かった。到着した時間は少し惜しい時間…ではあったが、赤い電車を観察するには充分過ぎたと言っても良いかもしれない。何しろこの仏生山駅3番ホームで1時間半近くも(体感時間的に)停車していたので、見るには相当な時間があった。

車内は小さな博物館

 今回は「追憶の赤」プロジェクトの集大成的な意味を込めて車内を開放し、車内に京急の歴史と「ことでん」の歴史(ことでんに関しては車両史の方が強かったかもしれない)が展示されていた。正に「ミニ・ミュージアム」の仕上がりである。車内には京急で実際に使用されていたであろう車内の車両の広告が掲出されていた。この広告は2000形の引退惜別広告で、京急の快特専用車として華々しくデビューした後に京急初のローレル賞も勝ち取った栄光の電車だ。
 この2000形については若干の記憶があったが、実際の2000形については見た記憶が殆どない。個人的な鉄オタ心…ではあるが、車両としての保存価値は十分にある電車だと思うのだが。

 コチラは1000形の110周年ギャラリー号ラストラン関係の告知である。
 これらについては
「あ、これ行ったな…」
といった声などが時々に上がっており、懐かしの思い出に再会しているファンの様子を少し垣間見る事が出来た。実際にこのイベントが京急電鉄の膝下、神奈川県や東京都でも反響を呼んでいるのだろうかと考えると非常に大きな成果を残しているのだと改めてその成果に個人的な感動を感じてしまった。
 そして、その右には「追憶の赤い電車さらば!」といった内容の告知で同様の風味に記した、「追憶の赤い電車との別れを惜しむオマージュ広告」である。
「非常にイカしたニクい演出だな」
と感じてしまったが、こういった深い手の入れ方。そして作り込みからもプロジェクトを手掛けた方々の「赤い電車」を敬愛する気持ち。そして「赤い電車」を好きな心。そして「京急」そのものが大好きな気持ちが伝わってくる。
 プロジェクトの方に話を聞いたが、
「非常に大成功を収めた」
と好調な返事を聞く事が出来、そしてこの赤い電車のリレーが1つの集大成を迎えた事がよく分かった。このプロジェクトは、「ネクスト」ステージへ続いていくという。

 その他に、車内には「京急電車」の写真展が開催されていた。1000形中心で構成されていたが、中には「追憶」「情熱」「還暦」の「ことでん」内で復活した赤い電車の姿もあり、非常に充実した写真展となっていた。
 見方としては何か、京急時代の写真に思いを寄せつつ。その中から高松での第2の活躍を探していくと非常に面白い探究が出来る感じになっていた。何処かこう、「似ている景色はないだろうか」と深く眺めたり、高松でも変わらない活躍だな…と眺めたり。この写真展も非常に粋な写真展であった。

 車内の広告部はまた、時代の写し鏡のように当時の背景を乗せた復刻広告も掲載していた。
 写真に抑えて帰ったのは京急の運用として大手私鉄の花形運用に現在も語り継がれる、「大手私鉄17社最長12両運転」を開始した際の告知広告である。
 この運用も1000形にとっての最大・そして最強の花形仕事であり、その姿は圧巻たるものであった。都営地下鉄との乗入れ先陣を切り、そして12両運転でもその力を発揮した赤い電車の栄光。1000形が如何にして京急のベースであり、歴史を見据え続け、今の基礎を作り続けたかがよく分かる記録だ。

 こちらは現在も「マグロ」等で有名な三崎口・三浦海岸へのリゾートルートである「三浦海岸線」の開通を祝した広告の一部だ。開通に伴った記念乗車券が発行されていたようだが、60年代のデザインらしく非常にポップでレトロだ。
 そして、この中にも1000形。1000形は今も昔も、通勤にリゾートにと大活躍し、京急のビジネスの中心を走り続けた存在なのだと広告を見てもその力をよく感じる事が出来る。そして、この頃の派手に文字を着飾らずに「電車」と「タイトルバック」をシンプルに活かしたデザインセンスというのは非常に頭が上がらないモノを受けてしまう。情報や受け身の発達…が増えた今の社会には到底成せないモノが、この時代の広告や宣伝には多く入って。取り入れられていると学ばせられた。

 車内の間仕切り…はこのようになっていた。
 この写真はスタッフの方々が出入りするスペース付近を撮影したモノになるが、新聞輸送などが盛んだった昭和の鉄道を思わせるに相応しいスタイルだ。
 京急の直通先であった京成では、「行商電車と青電」というのが1つの昭和文化として根付いていたようだが、何かそういったように1つの「昭和鉄道の情景」を展示物として見たような感覚にさせられる。
 そして、この写真の中にフレームインしているので解説…というか触れていく事にするが、この「ことでん」にてこれまで形式を幾多に経て実施されてきた「赤い電車プロジェクト」はネクストステージに移行していく。
 プロジェクトの方にも少しこの事を話してしまったのだが、実にこの「ネクスト」ステージは1000形の生涯に倣っていると思っている。京急、というよりは今になって思うのは1000形一派を本格的に愛せなければここまでの計画は長期的に構想できないだろうと本当に思ってしまう。
 そんな「ネクスト」は、京急1000形の隠された生涯。「千葉急行」リース時代をクラファン支援にて再現していく!!というものだそうだ。
 しかも、再現予定なのは千葉急行リース後の「銀色」時代だ。今回は「カラードア」の再現を検討しているとの事だが、千葉急行1000形の特徴でもあったカラードアの復刻再現計画があるのは非常に頼もしい事だ。この辺りはどうも「追って検討したい」という感覚に受け取ってしまったが…
 今年の11月から計画に着手していきたいとの事だったので、自分にとっては非常に大きな楽しみが増える。千葉急行の電車(今はこの会社の電車を千葉急行呼びするのか)は現在、ビタミン炭酸飲料のように水色と黄色の帯を巻いているが、銀色に青帯+水帯の電車が再び香川に戻って来る可能性がやってきた。非常に「ディープ・マニアック」な電車の復活再現を目指す事になっているネクストステージだが、実現が成功するようにと祈ってやまない。讃岐平野に、ニュータウン・住宅高架しか知らなかった電車の降臨する時が今か今かと待ち遠しくなる。

式典参列

 赤い電車の外を見てみよう。
 赤い電車の外はご覧のように?ではないが、展示用に特殊幕を見せ、前照灯を光らせた状態となっている。
 ちなみに、「ことでん」に準急という種別は「存在していたが廃止された」過去のものである。最上級種別だったのであろう真紅の色が非常に格好良い。
 そして赤い電車の「イベント仕様」といえども、つい先日から長尾線にて実装された「ワンマン運転」の影響で掲げられた「ワンマン」札はそのまま車内に刺さっている。京急レッドと緑の板という…この組み合わせも見た感じ、何か往年の快特を思わせる組合せで何となく似合ってしまう感覚にはなる。しかし場所は何か違う気がするのだが。何か。しっかし長尾線仕様になったとしても、古巣の姿を身に纏ったその姿は紛れもなき往年の京急戦士だ。その風格、威厳は本当に素晴らしい。また、方向幕フォントもそこまで大きく変化していない事が大きな特徴としてこの車両のアイデンティティを欠損していない特徴として列挙できるかもしれない。

 しばらくしていると、何やら線路上に梯子を置いての作業が開始された。
「一体何が始まるんだ…?」
とその様子を眺めていると、とんでもない輝きが足されていくのがその目でもよく分かった。そう。そこに足された一筋の光彩は。あの古巣。京急時代の行先表示と運番・種別表示だったのである。
 この方面、一宮・琴電琴平方については普通・89運番と京急川崎-小島新田の大師線行先表示が上塗りされ、その姿は一瞬にして「香川県に転勤した元・京急の電車」ではなく「京急から転生した往年の電車」であった。本当にタイムトンネルが何処かにあるのならば、振り返って神奈川県に行けるものかと考えてしまいそうな位にはそのリアルさを放っていた。非常にそのアツさといったら極まりない。

 そして見よ!!この晴天に映える大師線の行先表示を。
 この部分だけを観測し、「一体どこで何年に撮影した写真でしょう?」とクイズを出してしまおうものなら、確実に何人かを堕としてしまえそうなくらいにリアルな再現度だ。しかし本当に「リアル」「精巧」としかその言葉を見出す事は出来ない。その迫力は本当に度肝を奪われてしまう勢いのもので、神奈川県に迷い込んだと錯覚してしまいそうな勢いさえ感じてしまう。
 本当にこの写真を撮影したその瞬間。改めてモニターの画面を確認したその瞬間から、画面には真紅の「京急1000形」が復活しているのが分かった。
「行先の上に行先を貼ってしまう」
こうした復活もあるものなのかと考えさせられるキッカケのイベントだった。
 見れば見るほど、大師線の1000形という風格や威厳を感じてしまう。技術畑出身の京急に生涯を献上したその男・日野原保もこの姿を天国から喜びその美しさが復活したと聞けば今にどのような感想を抱くのだろうか。今の年齢に、若きうちに死ぬ事を考えたくはないが、天国へ渡った時があれば日野原先生に
「あの真紅の電車に会えました。美しい姿でしたね」
とその充実ぶりを伝えたい。晴天に映える赤い電車に充実し、驚いている時間はまだ早かった。

 反対側。瓦町・高松築港方面の顔はこのように「特急 51H運番 京急久里浜」になっていた。
 あの京急本線を高速で駆け抜けた、ハマの韋駄天であり。そして横浜以東ではJR東海道線との激しきデッドヒート・バトルを繰り広げた特急の行先だ。
 京急では自分の大好きな2100形。そして自分にとって慣れ親しんだ現在の1000形に「特急」が掲出される姿も非常に格好が良いが、しかしこの旧・1000形への掲出装着は実に見応えを感じてしまう。
 そしてこの方向幕部分への「特急 51H」「京急久里浜」部分はラッピング貼り付けながらも、実は何と。下部にある「特急」の板表示もラッピングによる再現なのだという。非常に素晴らしい…というか、それ以上で表す事の出来ない感動が詰まっていた。改めて、プロジェクトを計画し推進して下さった皆様。そしてデザインを再現した会社の皆さん。貼り付けに携った皆さんに感謝の多くの言葉を捧げたい。

 改めて下部に設置された(貼付けされた)特急板を見てみよう。
 再現度の高さは勿論ながら、この立体感は何処から見ても完璧な着脱性を演出出来ているのが素晴らしい。「ことでん」に渡ってからは板を使用する事が無くなったため、このようにしてラッピングでの再現を…という状況に至っているのが気合を非常に感じる。
 この高松築港側に関しては撮影地などが逆光・終始環境的に良くなかった…という事で諦めがちだったので、この特急表示側については最低限の?というか軽い記録撮影程度に留めていた。が、どんな角度から狙っても非常に良く収まる上に何処からの狙いを定めても往年の空気を感じ取れる。しかし環境を活かせず、活かしづらくというのは自分にとっても非常に後悔の念しか残らなかった事だった。それでもなお、このクオリティで。何処でも本気だったプロジェクトの皆さんには感謝しかない。

 見紛う、とはこの事か。いや、溶け込む手前かもしれない。1灯の前照灯に5文字の京急久里浜表示。そして、花形の特急種別板。この中には正に。「昭和の京急…」いや、「関東私鉄の隆盛」が詰まっているような感覚になった。
 真紅の電車にこれほどまでに似合う粋な装いがあるだろうか。「最後に花を!」という演出にしても、特急種別は非常に粋だと感じてしまう。
 復刻・ファンタンゴレッドの1080形に長尾線グリーンの電車が反射フレームインする形の写真になってしまっているが、個人的にはこの記録が何となく好きだ。そして、「特急表示」をした「追憶」関係の写真ではこの姿を最も凛々しいと思っている。

 反対側の環境は順光・影落ちとの事にてこの環境から。
「後にフォトランとして何処かを走らせますが、ミステリーです。お楽しみに!」
と言われたので、その楽しみを残してこの部分を残すだけ残した。
 この板は1000形の大師線営業運転ラストを飾った際の営業板だ。こうしたモノを選択してフォトランに臨んで来る…という気合こそが、プロジェクトの「赤い電車に賭ける、1000形という形式に献上する気合い」を満ち満ちと感じさせてくる。
 ちなみに、この少し前後に
「仏生山〜高松築港はフォトランを感謝の意を込め公開で実施」
との説明がプロジェクトから説明された。
 これまで支援者にしか実施されて来なかったフォトランを仏生山〜高松築港のみでも公開で実施して行なう事によって、次回の千葉急行再現時に何か繋げていく狙いがある…のかと今思えば、非常に大きな実験だと思う。
 個人的に支援方法は分からなかったが、次回はジックリと内容を読んで参加してみるのもアリだと今はかなり気持ちが動いた。
 しかし、高松築港からのミステリーランについては自分はこの時支援者でないので全く不明状態。勝手に何かを手繰って追いかけていれば、なメンタルで撮影していた。

式典参加・自虐の星が来る

 式典には何とも壮大な来賓がやって来た。瀬戸内海から遥々、海獣のイルカ…ことちゃん夫妻がこの卒業式を聞きつけて駆けつけて来たのだ。流石。自社のイベントには広告塔としての役割を果たさんとばかりでありますな。
 はて。瀬戸内海に「イルカ」など生息していただろうか。実際の真相はどうとして。この「ことでん」と「イルカ」には深い因縁がある。
 かつて鉄道交通の乗客が自動車・バスへと転換し。乗降客数が伸び悩んだ斜陽の時代。この時、「ことでん」にこんな議題が登場した。
「ことでんは、要るか要らないか。」
つまりは会社の存続議論・廃線に向けた検討の議論であり、会社の事実上倒産危機にまで迫っていた。そんな自虐危機を会社内から救いの白旗を上げるように…の如く、車内で「要るか」に因んだ「イルカ」のキャラクターが登場した。「ことちゃん」の誕生である。
 その人気と勢力は次第に拡大していき、いつしか「ことちゃん(左)」は奥さんとして「ことみちゃん(右)」との結婚にまで漕ぎ着けていた。一時は廃線間際の自虐白旗に近い状態だった海のキャラクターは、その人気を瞬く間に獲得しいつしか幸せな家庭と会社倒産の危機をその愛嬌で救っていた。
 島国の中の島国を走る鉄道…会社のキャラクターとして、「海の生き物」をテーマにしたキャラクターがこうして第一線に居る事は非常に頼もしい。そhして嬉しくもある。
 現在はこの場所に参列していないが、娘の「ことのちゃん」というキャラクターも居るそうだ。本当に幸せな家庭を瀬戸内海で築いているようで何よりという感じである。

 ちなみに、そんな「ことでん」を倒産危機から救った「ことちゃん」の好物の食べ物は香川県に着任したからこそ…ではないだろうが偶然にも「釜玉うどん」だそうだ。お腹が白く丸く張り出しているのはその為だそうで、余程の好物なのだと感じさせられた。
 ちなみに夫妻としての相棒、「ことみちゃん」の好物は「ケーキ」なのだそう。こちらも非常に高カロリーなモノが好みな気がする。
 しかし「ことちゃん」唯一の公式的な懸念は「ペンギン」に勘違いをされてしまう所だそうだ。会社曰く、何人かの観光客や利用者は勘違いしてしまうらしく会社内の小さな困った問題になっているらしい。
 赤い電車と並ぶ「ことちゃん」の姿は、「京急電車」が香川県で第2の暮らしを自由に謳歌しているように見える。「ことちゃん」も「赤い電車」も実に誇らしい顔をしている。

 今回の「赤い電車」関係のプロジェクトを4年がかりで遂行して下さった皆様方とことちゃん夫妻のショットだ。
 皆さんの努力の賜物…が1つの折り返しを迎える事をこの写真を撮影した全員が分かち合っていた。そして、その想いは背後に映る「ことちゃん」夫妻も同じ気持ちであったろう。
 京急車の譲渡先が「ことでん」で。そしてこういった人々の手によって「往時復活」という素晴らしい光彩の1つの光が刺さった事は非常に感動の思いとしか表せない。
 この後に公開フォトランなどの説明がなされた。次の準備に取り掛かり、赤い電車を活用した小さな博物館はこの時点で閉鎖となった。一時の夢の時間がココで終わり、魔法の時間が溶けた瞬間でもあった。

もう1つの時代

 後方に目を凝らしていると、「粋な計らい」なのかそうではないのか、もう1つの復刻塗装である「ファンタンゴレッド」塗装の電車が停車していた。
 こちらは琴平線の1080形であり、これからも琴平線で運用されていく。非常に見た目こそ阪神・赤胴車のように感じてしまうが全くの別物であり一時は香川県の地方私鉄として昭和の電鉄史に彩を刺したこちらも往年の塗装だ。
 コチラは有志再現ではなく、「公式再現」によるもの。1080形もかつて在籍時はこの塗装…だったようで、1080形が纏うと非常に「ことでん近代化の発展過渡期」に近い装いを感じさせてくる。
 この塗装は元・京急230形である「30形」や自社にて運用された「3000形」そして、近鉄南大阪線の前身であった「大阪鉄道」からの譲渡車である「20形」も纏っていた伝統の塗装だ。
 特に、20形の最後の車両であり「レトロ電車の残党」として活躍を続けた23号車に至っては琴平線・・長尾線系統にて「最後までファンタンゴレッドを貫いた戦士」でもあり、その偉業は非常に四国内ならず地方私鉄でも称えられる偉業であろう。

現在はドッグラン88(エイティエイト)にて保存の23号車

 現在、この「最後のファンタンゴ戦士」となった23号車は志度方面のお遍路休憩ポイントでありドッグランの施設でもある88(エイティエイト)にてそのままの状態で保存されている。
 現在は路線系統・カラー分離の影響が大きくこのファンタンゴレッド自体が「志度線塗装」とのイメージで通例になってしまうような感じにもなるが、元を思えばこうして「ことでん」の旧型車両と今を繋ぐ時間と技術の架け橋のように自分は感じてしまう。
 この塗装は多くの譲渡車・看板車が纏っていた…と考えると、「四国に戻ったもう1つの昭和」として、この塗装もまた新たな気持ちで追いかけたいものだ。

 話を現代復活の「ファンタンゴ〜」に戻そう。
 卒業式の最中にはこうして、「赤い電車」と並ぶ光景が見られた。
 決して見えない上に光線や構図も…な状態ではあったが、裏方の駐車場付近からその姿を京急車と望むと「譲渡前後比較」のような気分になって非常に良かった。
 現在は「レトロ電車」の出番こそ多くはない上に「工事・構内入換専用」にまで位が下がったが、その時代を彩った塗装と譲渡前の京急カラーがこうして共演しているのは時の流れというのだろうか。何か不思議な効力を感じてしまう。
 そして、「ことでん」の目立ったロゴがないのも非常にナイスな点だろう。このハイセンスな特徴を上手く活かせている。
 現在はイベントが開催されたり、企画の矢が立っていないが、いつかは「レトロ電車とファンタンゴの並びも見たい」と感じ考えさせてくれるワンショットだった。

 さて。この写真を発車前に見ておこう。
 この写真ほど、「鉄オタ」映えを唆る写真も中々撮れないと個人的に思ってしまったのがコレだ。
 高松築港へ向かう「赤い電車」。仏生山にて予備留置の「琴平線現行塗装」。そして後方に控えるは「ファンタンゴ」。京急の車両がこれだけ揃っているのも大いに驚く点ではあるが、しかし何より
「ここに並んだ電車だけで京急×ことでんの時代を象徴している」
のが感嘆の思いに浸らされる1枚だ。
 京急ファン…としてはまだまだ初心者だが、鉄オタとしてもこの3ショットを残せた事は非常に大きいものになった。「赤い電車」京急色は逆光に映る状態だが、「何かを探す」感覚で是非とも探してほしい。

次回

 この無理矢理写真を掲載して「次回予告」に紐付けよう。
 無理矢理、なのは「琴平線色」を車庫・予備留置と本線分を影落としながらもこうして
「3つおるやんか!!」
と反射で動いただけでシャッターを切り動いただけで撮影した分としての「無理矢理」であり、
「眼球と脳」
を凝らして3並びを体感探して頂きたい。(無理矢理だな)
「ここからフォトランに入ります。今回はことちゃん夫妻が乗車しますが、伏石駅での撮影をお考えの方。夫妻は〇〇方を向き…」
いよいよ赤い電車の船出が始まった。
「そしてことちゃんヒレ乾くとマズいので、運転終了後は即お帰りになられるみたいです。」
との自虐も。高松城のお濠には放流しないようで安心した。
 そんな次回は、惜別公開フォトランと、集大成?のミステリーランを追跡する!!
 果たして。京急姿の電車を讃岐の大地で捉えられるのか!?(乞うご期待ッッッ!!)

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