見出し画像

終戦の日だ。
だからと言って何をするわけでもない。
昨日とも一昨日とも、多分明日とも似たような日を過ごす。
そう言えばワクチンの副反応がほとんど出なかった。
念の為ポカリだけ買っていたのだけど。

別に改めて言葉にする必要が無いと一蹴されそう。
だけども書かなきゃならない。
戦争反対。
残念ながら世の中の仕組みとか、政治の話とかついて行けないことの方が多い。
無学ってすごく情けない。
少なくとも日本に生まれて学ぶ機会もそれなりに与えられてきたはずなのに理知的に説明ができない。
それでも戦争反対って言おうと思う。
お題目の様に唱えるだけでもいいと思う。
世の中がどう転ぼうと肯定される謂れはない。
それが戦争だと思う。

子供の頃読んだはだしのゲンはとても鮮烈だった。
子供心に(いや、子供だからこそかも知れない)こんな恐ろしい事を人間は引き起こすのだと夜眠れなくなったのを思い出す。
この時期になると終戦を記念したドラマや映画が放送されるが何故だか子供の頃の方が熱心に見ていた。
別に社会に対して敏感な子供だった自覚はないが戦争の問題に関してはこと恐怖を持って捉えていた気がする。

小学生低学年の頃にイラク戦争があったのも大きいかも知れない。
ニュースで流れる空爆の映像や飛び交う弾丸の映像を茶碗を片手に眺めていた。
もしあの場に自分がいたらなんて事を想像してドキドキしていたのを覚えている。

9.11の同時多発テロも幼心に忘れられない記憶になっている。
朝起きるとビルに飛行機が突っ込む映画のワンシーンの様な映像が繰り返し流れていた。
現実と非現実の区別がつかない年頃だったので、それが本当にリアルタイムで起きた出来事だと知った時本当に恐ろしくなった。

歳を取るにつれて戦争を扱うフィクションへの恐怖は薄れていった。
なんならあれだけ怖がっていた第二次大戦を舞台にしたシューティングゲームも無抵抗で遊ぶ様になった。
無論、ゲームを遊ぶ事と戦争への思いがぶつかり合うと言うわけではないのだが。
それでも多少鈍感になってしまった気がする。

気のせいでなければ子供の頃よりも今の方が戦争に対する関心が世の中的にも薄れている様に感じる。
大戦をリアルタイムで生きていた人も大分少なくなってしまっただろうし、こうやって風化していくんだなという事を今は感じる。

そんな時に俺に語りかけてくるのはミュージシャンだった。
戦争反対を声高に歌い上げるその人たちの歌声は時代を超えて俺に届いてくる。
ジョン・レノンやボブ・ディラン、ブルース・スプリングスティーン。
好きでただ聴いていた彼らは実は戦争を歌っていた。
ロックが今日まで生きた音楽である事の理由には、確実に戦争を歌ってきたという事実が存在していると思う。
悲しい事に戦争が未だ無くならないという現実がロックを生かし続けているのかも知れない。
それでも極東のど田舎でロックのカミナリに撃たれた俺は戦争反対を心に誓った。
そしてこの国にもそういうロックの遺伝子が確実に根を張っている。
キヨシローやアジカンのゴッチ、サンボマスターだとか今はこの世にいない人も現在進行形のミュージシャンも俺と同じカミナリに撃たれた人達が歌い続けている。

余談だが高校の時に忌野清志郎をピーターパンシンドロームと揶揄した社会教師、未だに俺はお前を許していないからな。

ともかくだ。
何か理路整然とこうだから戦争はいけないのですと説く事は今の俺にはできない。
だけども人と人とが殺し合う事なんてどんな理由があろうと許されちゃならない。
感情論だとか言われてもこの思いは絶対に死なせやしない。
信じる神はいなくとも、"彼ら"が戦争反対を歌った、歌っているという事実が俺の信念の根拠になる。
だから今年も戦争反対だと自信を持って言っておく。

今回のコロナの件で感じた事がある。
国が動く時、民衆を"仕方がない"とか"しょうがない"という思いが支配する瞬間が何度もあった。
先の大戦とこの支配力は地続きなんじゃないかと思っている。
どんなにいけない事だと分かっていても"仕方なく"その波に乗ってしまう、許されてしまう事が実際にいくつもあった。
大袈裟じゃなく状況さえ揃えばこの国は簡単に戦争に乗り出すんじゃないかと不安に思う。
だからこそちっとも"仕方なくない"し、"しょうがなくない"って事を言っていかなきゃならない。

下らないポエムの様かも知れないけど本当にこう思っているので、こう書くしかなかった。
生きているのがしんどいと思うのにこういう思いはしつこく自分の中に渦巻いているんだなと困惑する。
一体俺はどうしたいんだろう。
謎。
ただ戦争反対は絶対だ。
それだけは本当。

今日はここまで。

Asian Kung-Fu Generation / Litlle Lennon

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?