同時に学べる!世界史と地理 Vol.8 前400年~前200年

歴史:この時期のユーラシア大陸は、国の「巨大化」の時代だ。
 遊牧民の騎馬技術の刺激を受け、
 定住民の側も遊牧民の軍事技術を導入し、競うようにして領土を確保しようとしていった。
 結果として、遊牧民の世界と対(ペア)になる形で、定住民の世界にも大きな国がつくられていく。

色が「定住農耕民エリア」。色いのが「遊牧民エリア」。
茶色と緑のグラデーションになっているのが、この時期に遊牧民の影響を受けた定住農耕民エリアの国々だ。

 東のほうでは、いくつもの遊牧民グループを大同団結させることに成功した「匈奴」(遊牧民のグループ)が、「皇帝」によって統一された中国の定住民の国と対立しているよ。「皇帝」というのは、中国では天の神様に認められた最強の支配者(と考えられた支配者)のことだ。

ユーラシア大陸の西のほうではどうなっていますか?

地理:ペルシア人が独自の文化を発展させているよ。

 ペルシア人のふるさとは乾燥エリアにあたる(注:ファールス地方)。
 パラパラ草原が広がっていて家畜を飼うことができるし、場所によっては地中海沿岸の気候に似ていて麦などの穀物もよく育つ場所だ。

ファールス地方は、現在でも遊牧民が暮らす。ギャッベという羊の毛織物が有名。


イランは地震が多いと聞きましたが―

地理:そうそう。今なお山が大地の活動が活発だ。
 ペルシア人の中心都市も山の連なる場所に位置する。空からみると、じつに壮観だ(注:ザグロス山脈)。

歴史:でも、そんな地域を中心とする西アジアのペルシア人の巨大国家は、今度はギリシャの北のマケドニアという王国に飲み込まれてしまう(注:アレクサンドロスの大帝国)。

地理:この国王のねらいは、イランを突っ切る道の確保だった。
 ペルシア人の「ふるさと」にある街(注:ペルセポリス)も、このときに奪われてしまっているよ。


その超巨大国家はその後どうなりますか?

歴史:王が若くして死ぬと部下たちが領土を取り合い、マケドニア、エジプトとその他の領土に分かれてしまう。

 各地の王はもう一度「世界征服」を成し遂げようと夢見るけど、結局かなわなかった。

 地中海ではローマが勢力の拡大を始め、手始めにフェニキア人と地中海の貿易ビジネスをめぐって大戦争を起こしているよ。

 ローマも戦い方や考え方の面では、西アジアや北アフリカの影響を強く受けている。ローマというと今は「ヨーロッパ」のイメージが強いかもしれないけど、当時のヨーロッパはまだまだ「ど田舎」なんだ。
 この時代も引き続き、西アジアとオリエントが世界の最先端をいっているわけだ。


アメリカはどんな感じですか?

歴史:昔の文化を引き継いで、都市の規模が大きくなっている。
 中央アメリカと、南アメリカのアンデス山脈の地域が特に発展している「農業エリア」だ。

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●前400年~前200年のアメリカ

歴史:アメリカ大陸で動きがあるのは中央アメリカのマヤというところや、メキシコの高原地帯。それに南アメリカのアンデス山脈のあたりだ。

メキシコ高原はトウモロコシの原産地だ。品種改良によっていろんな品種が編み出された。

ちなみにアマゾン川はどんな状況ですか?

地理:狩りや採集、釣りなどの「とる」暮らしを行っている人が多かったけど、農業をあわせて行っている人もいた。

育てているのは?

地理キャッサバ(マニオク)だ。

 ただ、土地(注:ラトソル)の栄養は少なく、地面の表面が乾燥すると表面はすぐに酸化して(注:ラテライトという酸化鉄の層ができる)、農業が難しくなってしまう。

 そこでアマゾン川流域の人たちは炭などを土に混ぜ込むことで、農業のできる土(注:テラ・プレタ)をつくっていたんじゃないかとも考えられている。

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●前400年~前200年のオセアニア

歴史:オセアニアでは人々の移住の波はいったん落ち着いている。
 オーストラリアは相変わらず外の世界との接触がない。

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●前400年~前200年の中央ユーラシア

歴史:西のほうではスキタイ人の王国が巨大化し、定住民の巨大国家にも勝利している。
 なかにはパルティアという国のように、遊牧民が定住民を支配するなんてことも起こり始めるよ。


中国のほうはいかがですか?

歴史:現在のモンゴルというところでは、数多くの遊牧民を引き連れた匈奴(きょうど)という遊牧民の巨大グループが勢力を拡大。定住民の国家と戦って勝っている。

モンゴルってどんなところですか?

地理:全体的に1000m級の高原地帯が広がっていて、北部は乾燥した草原地帯。南部は砂漠だ。
 ふつう砂漠っていうのは、赤道のちょっと(30度くらい)北か南に分布することが多い(注:中緯度砂漠)んだけど、このゴビ砂漠は日本の札幌と同じくらいの緯度に位置する珍しい砂漠だ。

なんでそんなに緯度の高いところに砂漠があるんですか?

地理:ユーラシア大陸は、広い範囲が季節風の影響を受けるんだけど、南西のほうから吹く季節風が、ほとんどヒマラヤ山脈やチベット高原によってさえぎられてしまうんだ。

 結果的に、ゴビ砂漠のあるところにはカラッカラに乾燥した風になってしまう。
 こうしてできた砂漠を「内陸砂漠」というよ。
 夏は40度以上、冬はマイナス40度以下にまで下がることもあるんだよ。

そんなに過酷なところなんですね…。

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●前400年~前200年のアジア

歴史:中国は戦国時代に突入し、時代の激変期を迎えている。
 そんな中、秦という国が騎馬遊牧民の戦法を取り入れて強大化し、ルールによってガッチリ支配する国の仕組みを発展させた。

 秦は中国を統一し、王は「皇帝」を名乗った。「皇帝」とは天の神様に「地上の支配者」として任命された最強の称号だ。

広い領土を支配する仕組みは、この頃世界中でいろいろ考えられていますね。

歴史:そうだね。

 秦もペルシアと同じように、全土をいくつかの区画に分けて役人を派遣したんだ。でも厳しい支配は農民の反乱を招き、すぐに滅亡してしまう。

 その後、中国をもう一度統一しようとする武装集団の争いの末、漢という国が建てられ、王は「皇帝」を名乗っているよ。
 中国を統一した者は「皇帝」を名乗る伝統がつくられていったわけだね。

中国の文化がだんだんと広がっているわけですね。

地理:ただし中国はとっても広いから、地域によってかなりのバリエーションがある。
 例えば言葉も全然ちがう。
 今でも北のペキンと、南のカントンでは中国人どうしでも話が通じない。

それじゃあ大変ですね。

歴史:そこで、文字が統一されたわけだ。
 いままで各地で使われていたいろんなタイプの漢字を、秦の皇帝は1種類に統一しているよ。
 この自体は今では賞状に押すハンコなどに使われる書体だ(注:篆書(てんしょ))。

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◇前400年~前200年のアジア  東南アジア

歴史:ベトナムでは稲作によって力をつけた指導者が、村や町の支配を進めている。
 また海岸地帯には中国やインドの船がやって来て、珍しい物を持ち込んだり求めたりするようになっていた。

地理:東南アジアは熱帯気候だから、温帯では生えない良い香りのする植物や、熱帯の海でしか獲れない貝殻やサンゴがめじろ押し。
 しだいに東南アジアの特産物は、レア物として中国やインドの支配者たちに注目されるようになっていくよ。

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◇前400年~前200年のアジア  南アジア

歴史:もともとインド(≒南アジア)ではたくさんの国が土地をめぐってケンカしていた。
 そこへこの時期に西のほうから史上最大の国家を建設した若い王(注:アレクサンドロス)が大軍を率いてやって来たものだから、インドの王様たちは腰を抜かしてしまった。
 インドを守るため勇敢にたたかった武将が、その勢いで北インドの大部分を統一することに成功。はじめてのインド統一だ

でも、武力で統一しても長続きしませんよね…

歴史:そういうものだよね。
 だから、のちの王様は仏教の教えを利用して、広い領土のいろんな人たちを支配しようとしたんだ。教えの内容がわかるように各地にモニュメントを建てて、仏教の内容をディスプレーしている。
 仏教が、人種や民族を超える教えであることを利用したわけだ。

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◇前400年~前200年のアジア  西アジア

歴史
:西アジアはこの時代もユーラシア大陸の“最先端”を走っている。

巨大な国がいくつもできていますね。

歴史:それだけ豊かだということだよね。
 騎馬にすぐれたペルシア人の巨大国家(注:アケメネス朝)、マケドニアの若い王のメガ国家分裂後の巨大国家…と、スケールの大きな国が続くのだけど、その後現在のイランというところには北のほうから遊牧民がやって来て国が建てられた。

 遊牧民が定住民を支配した例だ(注:パルティア)。このパルティアは次第に西に拡大していき、メソポタミア(2本の川の流れる地)に王宮を移しているよ。

 一方、アラビア半島という乾燥エリアでもラクダに乗った遊牧民の活動がさかんになっている。沿岸の港はインドとのビジネスで栄えているよ。
 

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●前400年~前200年のアフリカ

歴史:バントゥー系の人々の大移動は、アフリカの東や南のほうまで広がっている。
 また、北アフリカではベルベル人という遊牧民の活動が盛んだ。

エジプトはどうですか? 

歴史:この時代にはかつてのにぎわいを取り戻し、西アジアにつながる世界有数の大都市として、最先端のビジネスセンターや科学研究施設(注:ムセイオン)もつくられているよ。

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●前400年~前200年のヨーロッパ

歴史:ヨーロッパの大部分はケルト人が勢力をおよぼしている。

 南のほうではローマ人が勢力を拡大させていて、地中海の貿易ビジネスのライバルだったフェニキア人の拠点カルタゴと本気でぶつかり、小麦の大産地であるシチリア島をぶんどっているよ。

フェニキア人ってもともとはシリアにいた人たちですよね。

地理:そうそう。
 地中海は、大きく見ると「反時計回り」の海流が流れている。

どうしてですか?

地理:地中海の沿岸は夏場に雨の少ない、どちらかというと乾燥した気候だ(注:地中海式気候)。
 東や南のほうにはもっと雨の少ないエリアもある。
 一方、地中海の北や西のほうは雨が多く、海水が蒸発するよりも雨の降る量のほうが多くなる。

だから、東のほうの海水のほうが塩分濃度も高くなる
 で、西のほうは大西洋とつながっているから、そこから供給された塩分濃度の低い海水が、東の方に向かって流れていくんだ。
 すると、東の方の海水が西のほうに戻る。
 全体として、だいたい「反時計回り」になるというわけだ
 海流の流れは必ずしも強くないけどね。

なるほど。

地理:ほかにも初夏には、シロッコっていう風がサハラ砂漠から地中海を通ってイタリアに向けて吹く。砂嵐になることもある湿った風だ(アフリカではもともとは熱風で「ギブリ」という)。

 さて、ローマは西アジアの巨大国家の支配システムをパクって、軍隊を強化していった。ただ、当時は「あぶみ」(馬に乗るときに使う、足を乗せる道具)が未発達だったため、兵隊の大多数はよろいで装備した歩兵(注:重装歩兵)だった。

 
 一方その頃、ローマの「先輩」にあたるギリシャの小さな国々(注:ポリス)は、北の「ど田舎」にあったマケドニア王国の王に征服されてしまう。それ以来、かつての栄光は見る影もなくなっていくよ。

次回、前200年~紀元前後の世界に続きます。

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