ゼロからはじめる世界史のまとめ㉖ 1979年~現在の世界
世界の一体化⑥ 中心がいくつもある世界へ
―この時代には、ソ連がすすめてきた社会主義の国づくりが崩壊し、ソ連グループ自体も「解散」を迎える(注:ソ連の解体)。
モスクワ「赤の広場」(聖ワシリイ大聖堂)Photo by Nikolay Vorobyev on Unsplash
じゃあ、アメリカの「一人勝ち」ですか?
―誰もが一瞬はそう思った。
だけど、そうはいかなかった。
たしかにアメリカは世界中に軍事力を持っている。
日本だけじゃない。大西洋のど真ん中にも、インド洋のど真ん中にも、太平洋のど真ん中にも米軍基地は存在する。
だけど、ソ連型の社会主義が失敗して、地球上「どこでもビジネス」ができる時代がやってきたことから、あらたに経済的に力を付ける国はアメリカのみならず世界中にボコ ボコと現れるようになった。
インターネットの登場で、取引も速くなりそうですね。
―「国の垣根(かきね)を超えるお金の取引」も、カンタンにリアルタイムでできるようになるよね(注:電子取引)。特殊な技術(注:ブロックチェーン)を用いて、お金自体を「データ化」して取引できるしくみづくりもすすんでいる。
陸、海、空と活動範囲を広げて行った人類は、ついに「目には見えない空間」(注:サイバー空間)にまで活躍の場を広げていったわけだ。
また、「人間の代わりに、人間のように考え、人間のように動いてくれる機械(注:ロボット)」の開発も猛スピードで進み、人間と人間じゃないものの境界線はますます曖昧になりつつある。
人間の体の設計図(注:DNA)に関する研究もすすみ、体のパーツの取り替えや設計図のデザインもできるようになるかもしれない。そうすると、何も手を加えられていない「人間以上の存在」が生まれないとも限らない。
今まで考えられなかったようなことが、次々に実現可能になるかもしれないんですね。
*
ところで、国と国とのやりとりが活発になると、国ごとにルールが違うと面倒ではないでしょうか?
―たしかに世界をまたにかけてお金もうけをするには、国ごとにルールが違うとやりにくいよね。
でも、国別に決まっているルールをいきなり変えるのはさすがに難しい。また、ある国では「普通」とされているルールを他国に押し付けても、うまくいかないこともあるね。
だから、まずは地域ごとにグループをつくって「まとまり」をつくろうとする動きも活発になる。
ヨーロッパ、東南アジア、東南アジア+東アジア、南アジア、西アジアの石油産出国、ユーラシア大陸、太平洋の島々、北アメリカ、南アメリカなどなど。
でも、政治家は今までどおり各国で選ばれるわけですよね?
―国を超えた連邦国家のようなものが出来ない限りはそうだね。
だから、政治家は自分の国に住んでいる人のことを考えて動かないと、自分に投票してもらえなくなってしまうよね。
でも自分の国に住んでいる人っていっても、国をまたいで活動しているような人も一部存在する。彼らはその資金力から、政治家に対する影響力も大きい。
だから政治家は、国民向けには「人気取り」の政策をアピールし、政治家になったらなったで国境を超えてビジネスを展開するお金持ちの喜ぶような政策をとりがちだ。
人気をとるためにどんな政策を打ち出すんでしょうか?
―国民をまとめるためには「共通の敵」を設定するのが一番カンタンだ。
ターゲットになりやすいのは、外国人だね。
この時代になると競争が世界規模になるから、より安い製品をつくるには給料を安くするしかない。だから先進国は、給料が安くても働いてくれる外国から来た人たちを雇いたい。
でも、そうなるといろんな文化を持つ人が増え、不安に感じる人も増える。
政治家はその心理を「票集め」に利用しがちだ。
誰もが片手でインターネットができる時代が訪れると、政治家は自分に都合のいい情報を届けようと必死になる。
「受け手」の側としても、流れる情報の量が多すぎて「一体何が正しいか」判断できなくなってしまいがちだ。
なんだかどんどん複雑になってきていますね。
―世界規模のお金の自由な移動が「解禁」されたこともあり、今まで社会主義をとっていた国の中にも、表面上は社会主義の「看板」を付けたまま、お金もうけを許可する国も増えていく。
その代表格は中国だ(注:改革開放政策)。
お金持ちは、さらにお金持ちに。
貧しい人は、さらに貧しい人に。
この流れがどんどん進んでいると指摘する研究者もいるよ。
今まで貧しかった国には変化はありませんか?
―アフリカやアジア、南アメリカといった地域のことだよね。
こうした地域の国々は、せっかく植民地から独立したのだけど、国の運営がうまくいかない国が多い。
どうしてですか?
―植民地時代の「親分」であるヨーロッパの国々や、ソ連とかアメリカ合衆国との関係から抜けきれていないんだ。
「お金がないなら貸してやる。だから資源をよこせ」
先進国は植民地を失ってからも、植民地支配の「延長戦」を続けようとしたんだ。
これではいつまでたっても自立できやしない。
なんだかひとつの国だけでは解決できなさそうな問題ですね。
―だよね。
だから、国の「損得」を超えて動くことのできる組織(注:NGO)の大切さが、認識されはじめているよ。
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◆1979年~現在のアメリカ
―アメリカ合衆国はライバルだったソ連を崩壊させると、まるで「世界の警察官」のような状況となった。それとともに、「アメリカ」の技術は「アメリカ」的な文化とともに広められ、「アメリカ的なビジネスの方式」も広まっていった。
インターネットの技術もアメリカが開発したんですもんね。
―マイクロソフトやアップル、Yahoo!やGoogle、Facebook やTwitter。全部アメリカの会社だね(注:GAFA(ガーファ))。インドをはじめとする世界各地から、優秀なエンジニアが集まった結果でもある。
でも、アメリカ合衆国の「強引」なやりかたに対しては、ローカルの側からの反発も生まれるよ。
特に、「ソ連グループ」(注:ソ連)が解散した後で自由なビジネスが許可されたロシアや、自由なビジネスを事実上許可していった中国(注:改革・開放政策)が、アメリカ合衆国との間に熾烈(しれつ)な争いを繰り広げるようになる(注:米中貿易戦争)。
またアジアやアフリカに植民地を取り出すんですか?
―いや、それはさすがにもう無理だよね。
あからさまにやったら白い目で見られる。
だから、いろんな口実や理由を見つけては「勢力範囲」を広げるために国外に軍隊を派遣していったり、すでに手にしている国内領土のうちコントロールしやすいエリアの支配を強めたりするほかない。
でも、あんまり「あからさま」にやってしまうと批判されちゃうから、うま~くやるわけだけど。
例えば、「問題があるのは、その土地の人たちだ」「アメリカ合衆国は、混乱が自分の国に飛び火しないように、混乱を解決してあげるためにやっているんだ」というようにね。
「問題」のある人たちってイメージをつくっていくわけですね。
―まあ、あからさまに言えば。
例えば、「イスラーム教徒は極悪非道の怖い奴ら」とか、「コミュニケーション不能なとんでもないテロリスト」っていうイメージだ。
アメリカ国内では、人種差別や貧困などの問題は山積みなんだけどね。
本当は「宗教」の争いではなく、お金や損得がからんでいることが多いのだけれど、問題が「宗教」や「文明」の違いにすり替えられていくことも少なくない。でも、そのへんを読み取ることは、とっても難しくなっていっている。
中央アメリカや南アメリカはどんな状況ですか?
―資源が豊富なこのエリアでは、アメリカ合衆国の影響力は継続中だ。
お金を借りすぎて、経済が大混乱に陥った国もあるよ。
まあ、アメリカ合衆国にとってはこのエリアに、国民の強い支持を受けた強力なリーダーが現れるよりは、バラバラの状態のほうが得だと考えているわけだ。
当然「反動」も起きそうですね。
―そうだね。アメリカ合衆国に対して「NO!」と真っ向からタテ付くリーダーも現れている(注:ベネズエラの大統領)。
近年ではブラジルが豊富な資源を元手に急成長しているけど、国民の経済格差は大きく、真っ向からアメリカと勝負しても勝てないことから「闇ビジネス」も広がりやすい。
職を得るためにアメリカに向かう人も多いけど、アメリカではそれに反発する意見もある。
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◆1979年~現在のオセアニア
―この時代になって、オセアニアはようやく「独立」への道を歩み始めるよ。
かなり時間がかかりましたね。
―オセアニアの「海」は、アメリカとアジアの間にある重要なポイントととらえていたようだ。
でもヨーロッパ諸国の側にも支配する余裕はなくなっていったし、何より「まだ植民地なんて持ってるのか!?」っていう批判も強まっていた。
でも「独立」っていったって、小さな島が多いから大変ですよね。
―その通り。
とくにサンゴ礁でできた小さな島はそのままでは農業もろくにできないし大変だ。
気候の激変による影響も受けつつあり、島国が集まってサミットを開催するようにもなっているよ。
オーストラリアはどんな感じですか?
―オーストラリアはこの時期、政策を大きく転換する。
今までは先住民のアボリジニーの人たちの文化を壊し、「白人中心のオーストラリア」をつくろうと必死だったよね(注:白豪主義)。
でも、「それは間違いだった」と認めたんだ(注:多文化主義)。
ニュージーランドでもおなじような動きがすすんでいる。
この時代、オーストラリアに限らず、先住民族の文化をつぶそうとして「ごめんなさい」という風潮は、世界中に広がっていくよ。
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◆1979年~現在の中央ユーラシア
―この時代にソ連が解散したことから、中央アジアの国々はある程度「自由」になる。
ソ連の主導権を握っていたロシア人は、それでも中央アジアに眠る資源を手放すまいと、元・ソ連の「同窓会」的グループ(注:CIS)を結成するけど、最近では中国も中央アジアを重視する動きをみせている(注:上海協力機構)。
中央アジアの国々の指導者には、強権的な人も少なくない。そもそも人工的にソ連によって引かれた国境線に基づき、国づくりをせざるを得ない難しさがあるんだ。
遊牧民たちの暮らしはまだ続いていますか?
―遊牧民の人口は年々減少傾向にあって、都会に働きに出たり、定住生活をする人も増えている。
最近では意識的に自分たちの文化を守ろうという人たちも増えているよ。
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◆1979年~現在のアジア
◇1979年~現在の東アジア
中国の経済成長がすごいスピードで進んでいますね。これっていつからなんですか?
―中国が変わったのは、国内のゴタゴタ(注:プロレタリア文化大革命)がおさまったこの時代以降のことだよ。
憲法には「中国は、農民と労働者が協力してできた社会主義の国」「独裁という形をとって人々を率いるのは労働者階級」って書いてあるんだけど、その「目的達成」のために、現実的な政策をとるようになった。
つまり、「個人的にお金もうけをすること」を部分的に認めたんだ。
日本はどうなっていますか?
―東アジアの中でもトップをひた走っていた日本も、従来の政策を転換していく。
今までは、競争の行き過ぎで会社がつぶれないように(注:護送船団方式)、失敗した国民が貧しくならないように、国が国民のためにたくさん「おせっかい」をしていた。
日本人みんながだいたい平等な暮らしができるように、たくさんのお金が注ぎ込まれていたんだ。
でも、それにも限界が来る。
きっかけは石油危機によって、「ハイスピードな経済成長」(注:高度経済成長から低成長へ)が終わりを告げたことだ。
成長に向かってひた走る状況から、「不確実な世の中」へと変化していくと、人々の心や指向もそれにともなって様変わりしていく(注:脱工業化社会)。価値観や生き方など、今まで正しいと思われていたものの「化けの皮が剥がれる」状況があちこちで起こり、経済危機や災害や凶悪事件も加わって不透明な状況と、それを打開しようとする試みが続けられている。
同じような状況にアメリカも直面していますよね?
―そうだね。
こんな状況じゃ、国内でのビジネスはうまくいかない。
会社のビジネスがうまくいかなければ税金も集まらないから、国は国民のためにあれこれ「おせっかい」する余力もなくなるね。
また、もはや同じ国民相手にビジネスするのではなく、国境を超えて「お金を出してくれる人」なら誰とでもビジネスしたほうが利益も上がる。
そこで先進国を中心とする各国の政府はいろんな規制をなくして、国境を超えて自由にビジネスできる環境を整えていったんだ(注:金融ビッグバン)。
「規制をなくす」っていうのは良いことじゃないんですか?
―自由にビジネスができるようになるわけだから、良い面も大きい。
でも、従来は「規制」によって外国との競争から守られていたことが、その撤廃によって、急に熾烈な競争にさらされる恐れもある。
一方、国としては、あれこれ手助けする必要もないし、「競争したほうが、みんなが生き残りをかけて頑張るから、社会の活力はアップする」っていう考えがあった(注:新自由主義)。
競争が激しくなれば、日本国内のビジネスの環境も変わらざるをえませんね。
―そうだね。だから日本でも外国がらみの会社がどんどん増えていくし、「生き残り」をかけて会社どうしの合併も加速していった。
国境を超えた「安売り競争」もエスカレートし、できる限り値段を安くするために、給料が安くても働いてくれる人を探し求めて、日本の会社が工場を海外に移すようにもなっていく(注:産業の空洞化)。
その移転先となったのは、韓国、台湾、香港、シンガポールなどに始まり、東南アジアや南アジアの国々にも広がっている。
最近では、外国人の労働者を導入しようという議論も高まっているよ(注:日本の「移民」政策)。
韓国はどうなっていますか?
―北朝鮮と韓国とのにらみ合いはずっと続いている。
でもソ連が消滅してサポートしてくれる国が減ると、北朝鮮の指導者は体制を守るため困り果て、核兵器をつくったりミサイルを飛ばしたりと、「過激な手段」をとることで「生き残り」をはかるようになっていく。
一方、南の韓国では長らく続いていた軍人による政権が終わって、民間人がトップに就任するようになった。経済成長に向かうけど、途中に深刻な不況を経験する(注:アジア通貨危機)。それ以降、外国の会社の進出を強く受ける中、世界に向けた文化の発信を重視するけど、日本や中国との競争にもさらされている。
◇1979年~現在の東南アジア
東南アジアはまだ貧しいままなんでしょうか?
―この時代には貧しさから抜け出すために、さまざまな「国家プロジェクト」が実行されるよ。
社会主義国だったベトナムでは、中国と同じように「自由に競争する経済のしくみ」(注:市場経済)が部分的に導入され、最近では実質的に個人的にお金儲けすることも認められている(注:社会主義市場経済)。
また、タイやインドネシア、マレーシアやシンガポールでは、「アメリカ寄り」の政策をとって強力なリーダーシップを発揮する国の指導者が、無理やり経済を発展するために外国の会社を誘致するなどの政策をとったよ。「経済を急に発展させるには、いろんな人の意見を聞いていては時間がなくなる」というわけだ。
だから「自由に意見を言える権利」や「政治に自由に参加できる権利」は二の次になりがちで、そのことによる問題も最近は各地で出はじめている。
ミャンマーのように軍人による独裁政権が倒される国もあるけど、その後のミャンマーでは国内での少数民族問題をめぐって深刻な対立が起きている。もともといろんな民族がいるところで、「ヨーロッパのような国づくり」(領域をガッチリ囲んで、ひとつの国民による国をつくるプラン)をおこなおうとしたことの矛盾ともいえる。
工業化を実現させる国が増えて、アジアの存在感がアップしているのは事実ですよね。
―そうだね。
アジアの国どうしで「まとまろう」という話も出ているよ(注:東南アジア諸国連合、ASEAN)。旗には束ねられた稲の茎がデザインされている。東南アジアらしいね。
アメリカやソ連が対立しているときには、アメリカ寄りのグループとソ連寄りのグループで対立もあったけれど、それが終わると今度はアメリカや中国が東南アジアを「ビジネスの拠点」と見て接近するようになる。
最近では、中国が東南アジアの海へと進出し、莫大な資金を背景にして「中国中心の経済エリア」をユーラシア大陸全体につくろうとする動きもあるくらいだ(注:一帯一路)。
東南アジアでは大きな戦争は起きていませんか?
―カンボジアでは、国の運営方法をめぐって悲惨な内戦(注:カンボジア内戦)が起き、国内が「地雷だらけ」という結果になってしまった。その後は強い権力を持つ政府によって経済復興が続いている。
また、この時代の初めに中国と戦争(注:中越戦争)したベトナムは、その後も中国が海を通って南に下がってくることに対して対立を続けているよ(注:中国の海洋進出)。昔から続く対立といえるね。
◇1979年~現在のアジア 南アジア
インドも急速に発展していますよね。
―世界第一位だった中国を人口で追い抜く勢いだよね。
“お隣”の中国が、北の陸や南の海から進出してくることが心配だけど、この時期のインドは「国がなんでもかんでも決める方式の経済」をやめて、「誰でも自由にビジネスができる方式の経済」へとチェンジし、経済力をアップさせていくよ。
ただでさえ資源が豊富なインドだけど、数学(学校で19×19まで暗記する)と英語(イギリスの植民地だったから)が得意な国民性から、IT産業で世界中からも注目されているよ。
近くのスリランカという島(地図)では、インドの介入もあってインド系の住民と仏教徒との内戦(注:スリランカ内戦)がひどくなるけど、最近は平和になったばかりで復興に向かっている(注:在日スリランカ人)。
インドの西どなりにある、イスラーム教徒中心のパキスタンという国は、アメリカの支援を受けて発展を目指した。だけど、国の中で支配が行き届かないエリアができてしまい、そこを政府のいうことを聞かない人たちが隣のアフガニスタンとまたぐ形で活動拠点にしてしまい、混乱が続いている。
◇1979年~現在のアジア 西アジア
どうしてパキスタンの国内には、言うことを聞かない人たちが出てくるようになってしまったんですか?
―一番の原因は「貧しさ」だ。
どうして「貧しい」んですか?
―その理由は、この地域だけを見ていてはわからないよ。
世界全体を見渡してみると、今の世界というのは、少数の「豊かで安全な国」と「貧しい国」の2つに分かれると考えることができる。
「豊かで安全な国」というのは、歴史的に早い段階で「工業化」を達成することができた国。
「貧しい国」というのはその逆で、「工業化」の達成が遅れてしまった国。つまり、植民地として支配を受けた国がほとんどだ。
なるほど。パキスタンもたしかにイギリスの植民地支配を受けた地域でしたね。
―そうそう。
もともと植民地支配をしていた国は、独立した後も元・植民地を「原料の調達地」や「商品の売り場」としてできればキープしておきたいというのが本音だ。「植民地」っていう扱いではなくなったとしても、そういう「上下関係」は依然として残ってしまいがちだ(注:新植民地主義)。
で、「貧しい地域」の中には、警察などのサービスが手薄となって、治安の守れない「貧しくて危険な地域」が生まれやすい。
こういう地域が、かつて植民地だった地域にたくさん見られるんだ。
でも、なんとか工業化できないもんですかねえ?
―そもそも工業化っていっても、最初の「元手」がなければ着手すらできない。その「元手」というのはたいてい農業で稼ぐことになるわけだけど、その値段だって先進国の会社が決めるわけだしね。
先進国に援助してもらって工場をつくるにしても、その借金返済やらなんやらで、完全に自由とはいえないし。
で、気づいたら外国製品が有利な条件でドバっと入ってきて、「手間ひまかけてつくった地元の製品」が売れなくなるってことも起こるわけ。
国内の資源も先進国の会社が持ってってしまうし、若者は先進国の「軽いノリ」の文化に染まってしまうし。
そんな中、アメリカが西アジアの資源を手にするために、「なりふり構わぬ行動」をとっている情報も広まっていくわけだ。
つまり、それが「反アメリカ」の感情につながっていくわけですね?
―そういうこと。
西アジアはイスラーム教徒が多いし、アメリカを追い出そうという動きはイスラーム教徒が唱えることも多かった。
「西洋化によって壊された「伝統」を元通りにして、みんなが平等な暮らしを取り戻そう」という活動を行うイスラーム教のグループも出てくる。
そんな中、この時代の初めにはイランでイスラーム教による、アメリカとベッタリな国王(注:パフレヴィー朝)を追い出してイスラーム教の国をつくろうとする運動がエスカレートし、イスラム教の学者を中心に国王を追い出すことに成功した。で、「イスラーム教に基づく民主主義の国」が建設されることになったんだ(注:イラン革命)。
この動きに対し、イスラーム教の解釈の違いや、この地域の主導権をめぐってサウジアラビアとの対立も深まっている。
アメリカはどう反応したんですか?
―イランのライバルだった西隣のイラクを新しいパートナーにするよ。
でも、そのイラクがのちのちアメリカの言うことを聞かなくなると、今度はアメリカはイラクに攻め入って、自分の言うことの聞く新しい指導者に交替させている。
そのことがさらにこの地域の「反アメリカ思想」(注:サイイド・クトゥブ)の火に油を注いていくことになるんだ。
アメリカの指導者は、「世界を混乱させているのは「イスラーム教徒のテロリストだ」」と主張し、「イスラーム教徒全体」のイメージはどんどん悪くなる一方だ。
この地域の国づくりって、どうしてこんなにうまくいかないんでしょうか?
―ひとつには、ヨーロッパ的な「国づくり」の欠陥ともいえるかもしれない。
国境をガッチリ区切って、内側にいる住民を「ひとつの国民」としてまとめあげるタイプの国づくりのことだ。
最近ではトルコとイランとサウジアラビアという歴史的にみればルーツはそんなに古くない国々が、この地域の主導権をめぐって争う構図が続いているけど、強い権力をふりかざさないとに国内をまとめることも難しい状況だ。
二つ目には、この地域が長い間ヨーロッパによる「資源目当て」の支配を受け続けていることも挙げられる。
資源があまりないところでは工業化が遅れて「貧しさ」から抜け出せずに困っている国も多いけど、下手に資源を持っていても今度は先進国に目を付けられ「争いの元」にもなりかねない。資源を持っている国では、その利権を握った独裁者がヨーロッパとベッタリくっついて長きにわたって君臨する例も珍しくないよ。
最近では「独裁者に対抗する動き」(注:シリア内戦)も起きたけど、それが「内戦に発展したシリア」と、「アメリカが首を突っ込んで国がめちゃくちゃになったイラク」をまたぐ地域では、両国の政府が「コントロール不能となるエリア」ができてしまい、そこに暴力的なグループが国(注:イスラーム国)を建設し、過激な主張をネットにアップして仲間を募集。
そこへロシアやアメリカ、周辺のイランやトルコが介入して、シリアの難民がヨーロッパにまで溢れ出し大混乱に陥る状況も続いているよ(注:ヨーロッパ難民危機)。
三つ目としては、イスラエルという国をめぐる対立や、アメリカで起きたイスラーム教徒によるテロ事件をきっかけとして、「イスラーム教徒 対 キリスト教徒・ユダヤ教徒」とか、「イスラーム文明 対 ヨーロッパ文明」みたいに、とんでもないスケールの対立へと論点がすり替えられ、それが「ほんとうに存在する対立であるかのように」受け取られてしまい、実際に「ほんとうに対立が存在してしまう」ことになってしまう状況もある。
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◆1979年~現在のアフリカ
アフリカには現在も貧しいところが多いですよね。
―いまだに植民地だった頃の「古傷」を引きずっているんだ。
医療技術が進歩して寿命が延びたこともあって、人口が爆発的に増える現象も起きている。現在の人口は、アフリカ全体で中国とおなじくらいの人口だけど、その伸びは今後さらにエスカレートするとみられている。
一方、「貧しさ」が引き金となり、植民地から独立してつくられた国を倒して、新しい国を作ろうとする動きもとまらない。
なにか手立てはないんですか?
―「アフリカ人のことは、アフリカ人で解決しよう」(注:アフリカ連合)という組織もできている。
資源を輸出することに頼る経済が続いているため、「民族」とか「宗教」を旗印にかかげた国境をめぐる紛争も後をたたない。
先進国も資源欲しさに、争っているグループのいずれかに「肩入れ」することも少なくない。
どちらかを「悪者」にして「人道のため」とか「正義のため」として介入すると、日本では「悪い方を倒している」としか報道されないけど、本当の事情は複雑であることも多いんだ。
紛争が起きているところから資源を輸入しないような仕組みをとりいれたり、先進国が農業や工業の技術を教えたりといった取り組みもおこなわれている。国とは距離を置いた民間のグループがおこなう例も多い。
また、人口が増えつづけるアフリカに目をつけて、ビジネスをやろうとする人も出てきている。
アフリカも変わりつつあるんですね。
―工業化に向けた「第一歩」を踏み出すために悪戦苦闘している状況だ。
農業技術を高めることに成功した国と、なかなかうまくいかない国との差も大きい。
それに一見国の経済が豊かにみえても、掘った石油を独占する一部のグループがその富を独占している例も多いんだ(注:カーボベルデ)。
工業化に向けた「第一歩」って、踏み出すのが難しいんですね。
―アフリカの中でも「優等生」といわれているのは南アフリカだ。
まるで「ヨーロッパ」のような町並みが広がる理由は、もちろんここがイギリスの植民地として発展したからだ。
この時代には、一部の白人指導者が大勢の黒人住民を徹底的に差別する制度(注:アパルトヘイト)が廃止され、新たな国づくりが目指されるようになる。
でも周辺の国々では紛争が絶えず、例えばベルギーの植民地であったルワンダやコンゴ、ポルトガルの植民地であったモザンビークやアンゴラでは、「資源をめぐり国内の複数のグループが、先進国のグループからのサポートを受けて果てしなく争う状況」となってしまった。
フランスの植民地だった西アフリカはどうですか?
―資源をめぐり、国内はなかなかまとまらない状況が続いているね。
サハラ砂漠の遊牧民はもともと国をまたいで活動していたから、フランスの事情で勝手に引かれた国境線のほうが「不自然」だ。
南の海岸沿いの熱帯雨林地方では、最近ではガーナが工業化を進めて経済成長しているけど、そもそも歴史的にいろんな民族が小さな国を建てていたエリアだから、なかなかまとまらない。ダイヤモンドをめぐる悲惨な内戦が起きたところ(注:シエラレオネ)もある。
ナイジェリア(地図)というところでは、石油のとれる地域の指導者が「民族」を旗印に国から独立しようとして大きな内戦(注:ビアフラ戦争)が起きていた。
地中海沿岸の北アフリカはどうでしょうか?
―石油がとれるリビアでは、やはり独裁者が現れて「独自の社会主義」を掲げて国内をまとめようとした。アメリカにさえたて付く態度が注目されたけど、最終的に国内で軍隊を中心とする反乱が起き、アメリカ、イギリス、フランスなどを中心とするグループによって独裁者は倒されてしまうよ。
独裁者が倒されたのなら、良いことなんじゃないでしょうか?
―周りからみて「問題がある」とされても、「人の国に介入すること」がどこまで許されるのか?という難しさもある。
また、その後の流れをみてみると、結局リビアという国はいくつかの勢力に分かれてしまい、先進国が「資源ほしさ」に各勢力をコントロール下に置こうとする構図は変わらない。
「文字が読める若者」の人口が増える一方で、工業化が追いつかずに職業の数は限られている状況が続き、リビアだけでなくチュニジア(地図、注:ジャスミン革命)やエジプト(地図)でも同じように「強い権力を握る指導者」が倒されていった。
でもその後の流れをみると、新しい指導者が「ほんとうに国民の意見を代表しているのか」については、怪しい面が大きい。それに対し先進国は、「資源欲しさの下心」からいろんな形で批判したり注文をつけたりして、場合によっては軍隊を送って解決しようとする状況が続いている(注:フランスのマリ軍事介入)。
エジプトの南のスーダンでも、民族間や石油がとれるエリアをめぐって争いが続いているというニュースを聞いたことがあります。
―一見すると「民族」とか「宗教」という枠によって、そこに住んでいる人みんなが関与しているように見えてしまうけど、ほんとうは国と国との関係とか、世界レベルの政治や経済のしくみに翻弄(ほんろう)されているという面も大きいんだ(⇒栗本英世氏「南スーダン、政治問題を民族問題に変換した「悪魔の選択」)。
国際社会でなんとかできないんですかね。
―こういうさまざまな苦難に対して、先進国を中心とする国際社会がなんとかしようとして介入しても、結局は「資源目当ての下心」によってうまくいかないことも多い。
また、ヨーロッパやアメリカでうまくいったやりかたを押し付けても、アフリカでうまくいくとも限らない。
個々のケースをみてみると、このような「高いハードル」の中でも、人々は「よりよいしくみ」をつくるために自分たちの方法で試行錯誤していることがわかるはずだ(⇒湖中真哉氏 / アフリカ地域研究・人類学「絶望の果てに希望は見出せるか──アフリカ遊牧民の紛争のフィールドワークから」)。
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◆1979年~現在のヨーロッパ
ヨーロッパでは最近テロのニュースが多いですよね…
―この時代の初めの頃は、ヨーロッパの東のほうにソ連 “子分”のような国がいくつも存在していて(注:衛星国家)、「ソ連に反対するグループ」(=アメリカ側)とケンカしていた。
そのときのことを思うと、ヨーロッパの状況はこの数十年で大きく変わったね。
日本で「平成」が始まるころ、ソ連の“子分”グループがつぶれて、西側のヨーロッパの国々の影響力が東へ東へ拡大していくこととなった(注:NATO東方拡大)。
西ヨーロッパの国々には「ヨーロッパを一つにしよう」という大きな目標があって、歴史の教科書もひとつにしようというプロジェクトもすすんだ。地理的には次第に統一範囲を、東のほうに拡大させていった(注:EUの東方拡大)。
「ヨーロッパ統一の夢」は実現したんですか?
―EU(ヨーロッパ連合)という組織はできたよ。
でも一方で「一つになる」ってことは、それぞれの国が“なくなってしまうんじゃないか”という不安が広がったんだ(注:リスボン条約)。
21世紀に入ると、東ヨーロッパの国々もEUに参加するんだけど、不況の影響もあって、安い給料でも働く労働者として西ヨーロッパに流れ込んだ。
もちろん西ヨーロッパの経営者としては安い労働力を使いたいという考えがあったわけだけれど、「外国人に仕事が取られてしまう!」と心配したイギリス人が、EUから抜けることを国民投票で決定するまでになっちゃうんだ(注:イギリスのポーランド人移民)。
イギリス(Britain=ブリテン)が出口(Exit=イグジット)から抜けるという意味から「ブリグジット」っていうよ。
西ヨーロッパにやって来る外国人はほかにもいますか?
―たとえばベルベル人がいる。フランスが植民地にしていた北アフリカの人々だ。
「ヨーロッパらしさ」とは何かをめぐって、ヨーロッパは揺れている状態だ。
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◇1979年~現在のヨーロッパ 東ヨーロッパ
東ヨーロッパの国々は、ソ連の“子分”になっていましたよね。
―ソ連という惑星の周りを回っているような国々ということで、衛星国ともいわれていた。地球の周りを回っている「月」のような国家ということだ。
すべての指令はソ連から降りてくるから、命令に従わないといけない。すると、現実世界で問題が起きていても、ソ連の命令を無視するのが怖くて何も言えず・・・。
それじゃあどんどん問題が悪化しますね。
―そうなんだ。
ソ連は領土をインドの北にあるアフガニスタンに広げて挽回(ばんかい)を目指そうとするけど、これまた失敗。
これがきっかけてモスクワのオリンピックにはソ連とケンカしていた国々は参加をボイコットしている。
その後、ソ連ではおじいちゃんの指導者が続きますが、「このままではいけない!」と、改革が始められました(ペレストロイカ)といいます。
つまり社会主義をやめたんですか?
―いや、あくまで社会主義を続けるための改革だ。
改革っていうのは、問題のないときには行われないからね。社会主義の問題を解決するために、自由な売り買いを認めるなどのマイナーチェンジをしたんだ。
アメリカとの関係も見直すよ。
でもそんな中、原子力発電所が大爆発を起こす事故がソ連グループに加盟していた国で勃発した。
チェルノブイリ発電所ですね?
―その通り!
史上最悪の事故だったにもかかわらず、ソ連は情報をシャットアウトし隠し続けた。それに対する国民の不満が高まると、ソ連の“子分”国家でもさすがに反発が起きるようになる。
おさえることができなくなったソ連の政治家は、アメリカの大統領と直接会って「もう冷戦はやめよう」と話した。会場は地中海のド真ん中にあるマルタ島だ。
しかし国内では、物の価格が自由に決まるようになった影響で、物価が上昇。畑付きの別荘(注:ダーチャ)を持っていた人はなんとかなったけど、生活の苦しくなった国民からは、「元の社会主義に戻してほしい」とか「完全に社会主義はやめてほしい」という声もあがる。
結局、後者のグループが勝って、ソ連は消滅したんだ。
ソ連が「なくなった」ってことはどういうこと?
―ソ連というのは、もともと「グループ名」のことだ。
ビートルズに例えれば解散後に、個人個人の活動を始めたということだ。
でも、解散後もビートルズとして、ゆる~いつながりをキープしようとする人もいるかもしれない。
同じように、ソ連は解散しても、構成メンバーは残るわけだ。
ソ連の中心メンバーはロシアだった。
そのロシアは、ソ連がなくなっても他のメンバーに対する支配権は持ちたいと考えていた。あちこちに豊富な天然資源があるからね。
そこで、「元・ソ連」グループをつくるんだ。これがCIS(独立国家共同体)だ。
もちろんそれに反発する国もいた。
その後はどうなったんですか?
―世の中の常識がひっくり返った元「ソ連グループ」の国々では、国民は不安に駆られた。
いつの世の中にも混乱に乗っかって利益を独り占めする「成金」(なりきん)はいる。彼らの支持を得た大統領が「強いロシア」を目指して強いリーダーシップを発揮しているよ。
領土や資源をゲットすることを狙っていて、最近では例えばウクライナという元・ソ連メンバーだったウクライナの一部(クリミア半島というところ)を占領し、ロシアの領土にしているよ。「テロ対策」ということで、独立運動を起こす民族にも厳しい。
アメリカとの対立も続いているけど、昔のように「考え方」(注:イデオロギー)による対立でもないし、正面から対立することも少なく、アメリカの出方をうかがいながら「利益を分け合う形」で各地の争いに介入することが増えている(注:シリア内戦)。
むりやりソ連の一部にされていたバルト三国(地図)では、早くから「ソ連離れ」がすすんでいて、ソ連が崩壊する前に独立が認められているよ。
その後のバルト三国はロシアの支配に入るのを嫌がって、西ヨーロッパとの関係を大事にしている。
ベラルーシ(地図)ってところが、よくわかりません。
―実は、「ベラルーシ人自身もよくわかっていない」んだ。周りの国の領土だった時代が長く、国民意識は強くない。
ソ連崩壊後にはロシアと一緒になろうという計画もあったけれども、いまでは下火になっていて、独裁的な政治が長いこと続いている。
そういえば、元・ソ連のウクライナも混乱していますよね。
―国内の対立が深刻だよね。
昔、ウクライナのほうまでポーランドという国が支配を及ぼしていた時期があったんだけど、さらにその前には今のロシアのルーツとなる国が発展したところでもある。
その影響で東西で文化や意見の違いが生まれていったんだ。
複雑ですね。
―さらにウクライナは、北のロシアにとっては海への出口にあたるし、さらにヨーロッパへ石油を運ぶパイプの通り道でもある。小麦がたくさんとれる穀倉地帯でもあるね。
そこでロシアはウクライナの東部を占領し、力ずくで自分の領土にしてしまったんだ(注:クリミア危機)。
ロシアの南下の問題は、21世紀になっても続いているんだね。
最後にモルドバ(地図)というところもみてみよう。
これはソ連の南西(北を上にして左下)の端っこに位置する小さな国だ。
ルーマニアのお隣りに位置するから、ルーマニア人が多い(注:モルドバ旅行)。
ソ連がバラバラになったときにモルドバのルーマニア人は独立を宣言したけれど、ここを手放したくないロシア人が“ロシア人のモルドバ”(注:沿ドニエストル共和国)を建国してしまったのでややこしいことになっているんだよ。
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◇1979年~現在のヨーロッパ バルカン半島
―今度はバルカン半島(地図)にある国々のようすをみてみよう。
まずルーマニアでは、ソ連のいうことをきかずに「オリジナル社会主義」をつらぬいていた独裁者が、市民によって倒された。農業中心の国だから、なかなか「貧しさ」から抜け出せずにいる。
一方、ソ連の「子分」だったブルガリア(地図)でも、独裁者が倒されている。
ギリシャはどうですか?
―軍人から民間人による政治に戻っていたギリシャでは、「ヨーロッパの統一グループ」(注:ヨーロッパ共同体。のちのヨーロッパ連合(EU))に参加する道を選んだ。
でも、競争が激化することを恐れる意見もあって、反対意見が高まっていく中、グループへの参加資格がねつ造されていたことが明らかになった。
どういうことですか?
―ヨーロッパ連合は独自に共通のお金を発行しているんだけど、それが「お金として認められる」には、参加国の経済が「ちゃんとしている」ことが条件となる。お金には「信用」が肝心だからね。でもギリシャは、国が莫大な借金を抱えていたことを少なく公表していた。それがもとで、「ヨーロッパのお金は大丈夫なんだろうか?」という不安が一気に広がり、深刻な不景気となったんだ。
ヨーロッパの文明の「源流」とされているギリシャがこんな状態だなんて、皮肉ですね。
―ギリシャがユーロを使い続けるかどうか、今でも議論が続いている。
それにバルカン半島にあった「ユーゴスラビア」という国では、国がバラバラになって大規模な内戦となってしまったよ。
えっどうしてですか?
―ユーゴスラビアという国は、そもそも第一次世界大戦の終わった後に人工的につくられた国だった。
“七つの国境,六つの共和国,五つの民族,四つの言語,三つの宗教,二つの文字,一つの国家” を持つといわれるくらいの複雑さだ。長い間オスマン帝国という国に支配されていたことからイスラーム教徒もいるよ。
ユーゴスラビアでは、実態としてはセルビア人が優遇されていた状況で、ほかの民族たちの「不公平感」がつのり、いっせいに独立に向かっていった。でもそこにアメリカやロシアの思惑も重なって、紛争は泥沼化することになったんだ。結果的には、ロシアと関係が深いセルビアを「悪者」とするアメリカが中心になって、ユーゴスラビアはいくつもの国に分裂していったけど、今でも世界すべての国に認められていない国もあるよ。
ここでも、まるで「民族」や「宗教」によって人々が争っているようにみえるけど、それだけではわからない大きな国際関係が存在していることがわかるはずだ。もともとは民族・宗教に関係なく「ご近所付き合い」していたようなところでも、急に「民族や宗教のストーリー」がつくられて、対立が創りだされることもあるんだよ。
「◯◯戦争の歴史は、いまから○○年前にさかのぼる宗教や民族の対立で…」なんていう説明をよく聞くけど、「当事者の声」を聞かないとわからないことや、そもそも「当事者さえもよくわからないこと」はたくさんあるといっていい。
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◇1979年~現在のヨーロッパ 中央ヨーロッパ
―この時代には、今までソ連のいうことを聞いていたポーランド(地図)、チェコスロバキア(地図)、ハンガリー(地図)でいっせいに「自由にビジネスができる社会」「自由に意見がいえる社会」がつくられていくよ。
また、「東西に分かれていたドイツ」もついに統一し、同じように「自由」な社会に生まれ変わるようになった。一方、ドイツではトルコからの移民を多く受け入れ、イスラーム教徒の人口も増えていく。それにうまく対応した社会づくりがうまくつくれているとはいえない状況だ。
◇1979年~現在のヨーロッパ 西ヨーロッパ
西ヨーロッパ(地図)の国々は、かつては世界中に植民地をもっていましたよね。
―それがこの時期になるとほとんどが独立してしまって、明らかに国のパワーが減っていく(注:現在のヨーロッパの海外領土(もう「植民地」といういいかたはしない))。
多くの先進各国は、国民のためにお金を使う額をケチりつつ(注:新自由主義)、ヨーロッパの地域を経済(貿易や通貨(€))だけでなく政治的にも統一しようとしてなんとか危機をしのぐ方向をとった。
うまくいったんですか?
―メンバーは順調に増えていったんだけど、参加国の間に「不公平感」が広がり、結束が乱れていくようになる(注:EU懐疑論)。
各国に割り振られたヨーロッパの外からの移民に対する「嫌悪感」や、輸入品との競争に対する「反発」も高まり、イギリスのようにグループからの脱退を決定する国も出るようになった。
イギリスはどうしてそんなことになってしまったんですか?
―この時代のはじめにイギリスの首相は、「国の支出をなるべく減らして民間の経済を活性化させる政策」をとった。
その結果国民の間で格差が広がってしまったんだ。最近では今までの政策の「見直し」もされているけど、イギリスのパワー低下は止まらない。
イタリアやスペイン、ポルトガルのように、そもそもグループに加入し続ける条件を満たすことができない国も出てきている。
また、アメリカで大きなテロが起こって以来、「テロを起こす人=イスラーム教徒」という偏見が強まり、ヨーロッパで働いていたイスラーム教徒たちに対する目も冷たくなっていった。そのことが、ヨーロッパで起きているテロの背景にあるともいわれているよ。
EUは大きな試練に立たされているといっていいね。
◇1979年~現在のヨーロッパ イベリア半島(地図)
「復活」ということは、昔は王様の国だったんですっけ?
―そうだよ。20世紀初めに倒されるまでは、王様の国だ。
例えば、レアル・マドリードっていうサッカークラブがあるけど、王様から「レアル」(“王室の”)という称号をもらった、マドリード(地図)という街のチームなんだ。
せっかく独裁者の支配から解放されたスペインだけど、その後の経済は伸び悩む。
ヨーロッパを一つにまとめようとする「ヨーロッパ共同体」というグループに加入するけど、ドイツやフランスとの差は歴然。実質的には“お荷物”状態だ。
さて、スペインには昔からいろんな民族がいて、今でもまとまり意識が強いんだ。
自動車産業などで経済がさかんな地域(注:カタルーニャ)では、独立を目指す運動も起きているよ。そこはサグラダ・ファミリア大聖堂っていう今でも建設途中の現代建築のあるところ。スペイン政府は認めていないけどね。
ポルトガルも独裁者の支配が終わると、ヨーロッパを一つにまとめようとする「ヨーロッパ共同体」というグループに加入する。けど、こちらも経済は伸び悩む。
でも、世界にはポルトガル語の通用する場所って結構あるんだ。
ブラジルですね!
―そうそう。もともとポルトガルの植民地だったもんね。
ほかにアフリカにも、ポルトガルの元・植民地があるよ。独立後も“同窓会”のように協力関係を維持しようと、ポルトガル語グループ(注:ポルトガル語諸国共同体)がつくられている。
◇1979年~現在のヨーロッパ 北ヨーロッパ
北ヨーロッパ(北欧)は福祉の先進国なんですよね?
―社会保障がすすんでいることで有名だね。
でも、石油危機の影響を受けた北欧諸国では、財政を再建させるために今までの政策をいったん見直すようになっているよ。
平和、教育、環境、文化などについて、個性的な活動を行う国も多い。紛争地域からの移民の受け入れもさかんで、そのことをめぐる是非も議論の的になっている。
「1979年~現在の世界史のまとめ」は以上です。
700万年前~現在までの歴史を26ピースに分けてまとめる試み。
他企画もぜひご覧ください。
このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊