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同時に学べる!世界史と地理 Vol.3 前3500年~前2000年

世界史の舞台は地球です。
その地球の成り立ちや様々な現象をあつかう「地理」を知ることは、世界史をまとめる上で必要不可欠です。
歴史担当》と《地理担当》といっしょに、
「世界史」を学びながら「地理」を、「地理」を学びながら「世界史」を勉強していきましょう。

気候に合わせてライフスタイルをチェンジ!②

歴史:この時代には、植物の栽培(注:農業)や動物の飼育(注:牧畜)があちこちで進められていくよ。

地理:特にユーラシア大陸の乾燥エリアでは、厳しい気候だからこそ、大きな川から水を引っ張り大規模な農業・家畜の飼育がおこなわれるようになっていく(注:灌漑(かんがい)農業)。



歴史
:収穫量が増えると、それを独り占めしようとする人も出てくる。でも、たくさんの人を「納得」させるにはどうすればいいと思う?

武器を持っておどすとか…

歴史:なるほど実力行使だね。
 「力」(パワー)でねじ伏せせれば大抵の人はあきらめるだろう。
 食べ物に余裕が出てくると、食べ物を作らずに別の物を作る専門家が現れるようになる。
 例えば金属を作る人だ。金属は骨や石よりも硬いから、当時最強の武器だった。
 これを大量にゲットして兵士たちに持たせ、自分の豪邸や穀物の倉庫を守らせれば良さそうだ。

でも、不満に思う人もいますよね?

歴史:その通り。
 力だけでねじ伏せようとしても、長続きはしないものだ。
 「この人をリーダーにしたい!」「リーダーになるならこの人だ!」というメンバーの気持ちも重要だ。

ただ単純に「強い人」ってだけじゃダメっていうのは、今とあまり変わらないかもしれませんね。



歴史:「なぜその人がリーダーじゃなきゃいけないか」という納得のいくストーリーが求められるよね。
 当時の人たちは、今のわたしたちよりも「人間は自然の一部」という気持ちが強かったと考えられる。「雨が降らなきゃ死んでしまう」からね。とてもシンプルだ。
 でも「いつ雨が降るか」をコントロールすることはできない。
 自然っていうのは「複雑」なんだ。


地理:水温が高いフィリピン周辺の海で発生することの多い「台風」が、いつどのコースを通ってくるのか、21世紀になっても直前までわからないのと同じことだね。

歴史:でも人間は「よくわからないもの」が嫌いな動物だ。それに「よくわからない」ものって「怖い」よね。「どうして生まれたのか?」「死んだらどうなるのか?」。そんな複雑なことまで考えることができるほどの脳みそのサイズになってしまったことが、そもそもの原因だ(笑)

そういう「よくわからないもの」を説明してくれる存在を求めているってことですかね?

歴史:そうなんだ。それっていつの時代でも変わらないかもね。
 当時の人間たちにとって、「いつ降るかもわからん雨」「いつ現れるかもわからん太陽」「すべてを壊してしまう地震や台風」「いつ死んでしまうかもわからないこの命」。



 そのすべてを説明してくれるストーリーをわかりやすく提供してくれる人は、リーダーに値する人といえたわけだ。


でも、どうすれば説明することができるんでしょうか?

歴史:ようするに、人間が考えてもわからないものは、すべて「人間以外のなにものか」による「しわざ」と考えれば楽チンだ。


「人間以外のなにものか」ってなんですか?
歴史:うーん、たとえば「超自然的なパワー」とか。
 人間の「心」が、体を抜け出して、なんらかの「しわざ」をするっていう考え方も、世界各地にみられる。
 死んだ人の「」の場合は、「」とか「たましい」っていう表現があるね。
 あと、人間の姿をしている存在が、「目には見えないところ」にいるんじゃないかと考えた。「神様」ってやつだ。。
 雨の神様、太陽の神様、地震の神様、台風の神様。不吉な神様もいれば、自分たち部族の神様もいただろう。


証拠はあるんですか?
歴史:証拠はないけど、「そういうことになっている」ってことをみんなで共有することで、みんなで「納得」するわけだ。

 この「設定」をよく理解し、人々に伝える人は、聖職者とか神官と呼ばれる。

 彼らのもとにはお祭りのときには町じゅうからお供え物が集まってくるし、たくさんの人を動かすこともできる。
 病気や悩み事があるときは、その原因となる「悪い要素」をやっつける形をとって、カウンセリングや治療をすることだってできた(注:シャーマニズム)。
 亡くなった人と会話することができる(という「設定」)の人だっているよ。

 そういう「ふしぎな行為」をおこなう場所は、日常生活を送る場所とは切り離されたところに作られることが多かった。「神様」とコミュニケーションする場所(神殿)も建てられるようになる。


なるほど。
「目には見えない世界」の「設定」を共有することで、人々の団結力は高まっていったわけですね。
ところで、ユーラシア大陸のど真ん中の草原地帯はどんな状況ですか?

歴史:馬やヤギなどの家畜を連れて移動生活をする人たちのパラダイスだ。もちろん生活は厳しいけれど、よりよい生活を願ってライフスタイルを発展させていくよ。彼らには彼らの世界観にもとづいた「神様」が作り出されていく。

 アメリカ大陸では農業や家畜の飼育がおこなわれている場所は一部の地域だけだけど、導入に成功した地域では人口がどんどん増えていくね。
 オセアニアでも船を使って南へ南への移住が続いている。オセアニアの島は狭いから、人口が増えればと別の島に移住しないといけないわけだ。

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●前3500年~前2000年のアメリカ

歴史:アメリカ大陸のほとんどの場所で、人々は農業や家畜の飼育ではなく、狩り・釣り・採集によって暮らしている。

農業をやっていた場所はないんですか?

歴史:北アメリカの南側ではトウモロコシの栽培が始まっていたよね。

 でもこのころのトウモロコシってまだ実の部分が5~7cmくらいしかないんだ。サラダに入っているミニトウモロコシくらいのサイズだ。これではまだまだたくさんの人口は養えないから、海岸近くでは魚を釣ったり貝を採ったりして暮らしていたようだ。


地理:トウモロコシは当時は南北アメリカ大陸にしか分布していなかったけど、暑いところから寒いところまで関係なく栽培できることから、現在では米や小麦とならぶ「三大穀物」とされていて、人間だけでなく家畜のエサとしても重要な食料になっている(最近では燃料としても使われているよ(注:バイオエタノール))。

 南アメリカ大陸でも山のほうではトウモロコシやジャガイモの農業が始まっているよ

どうして山なんですか?

歴史:南アメリカ大陸の西岸(上を北にして左側の海岸)には砂漠が広がっているからだ。標高が高いエリアは寒そうだけど、赤道の近くなら気候は比較的温かい。

地理リャマやアルパカといったラクダ科の家畜の飼育も始まっているよ。アルパカの毛には光沢があって重宝される。リャマの毛も毛織物の原料にされるよ。

歴史:しだいに海岸近くにも農業が導入されるようになって、神殿も建てられるようになっている(農業が導入されるより前に神殿があった証拠も見つかっている)。
 人々は山から流れてくる川の周りや、魚がたくさんとれる海岸近くに村をつくり、人口が増えると神殿を中心に町をつくっていったようだ。



古代の文明って、エジプトとかインダス文明だけだと思っていました。

歴史:日本では「四大文明」といって、①エジプト、②メソポタミア、③インダス、④中国の文明だけが取り上げられることが多かったんだ。語呂もいいし「大きな川があるところ」っていう共通点もわかりやすいしね。
 でも実際には、人が自然をコントロールする方法はたくさんある。アメリカ大陸の場合にはエジプトのような大きな川があるわけではないけど、大きな建物が建てられ、カレンダーや文字もつくられていく。
 必ずしも「大きな川があるところ」に古代の文明が生まれたわけではないんだ。

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●前3500年~前2000年のオセアニア

オセアニアには文明は生まれますか?

歴史:農業や動物の飼育が始まっていろんな道具がつくられるようになっているね。「ラピタ土器」ってGoogleで調べてみよう。スタイリッシュなデザインの土器だよね
 オセアニアの島々は狭いし、なかなかたくさんの食べ物をつくることはできないから、人口はあまり増えない。

オセアニアの人たちは何を食べているんですか?

地理:ヤムイモやタロイモというイモが主食にされている。
 サンゴ礁由来の島だと土が十分に積もっていないし雨水以外の水を得るのも難しいから、栄養が少なくても生える木の実(パンノキやココヤシ)も利用されているよ。

歴史:だからすごいパワーをもっているリーダーが現れるっていうよりは、親戚ぐるみの付き合いが社会の基本だ。

 「誰がリーダーになるか?」という決定に、親戚同士の関係やバランスが関係するような支配の仕組みのことを首長制(しゅちょうせい)というよ。

 人間だったら誰もが信じるべき「たったひとつの設定」があるわけではなく、地域や人間関係によって「別々のルール」が共存することができる。
 小規模な「まとまり」だからこそ、そんな「ゆるい」社会が形成されていったわけだ。


「ゆるい」ってどういうことですか?

歴史:誰かが突出して物や権力をもっているわけではないってことだ。
 家柄や能力により尊敬を集めていたり、財力がふつうの人よりもあったりする人は、宴会や儀式のときに社会のメンバーに対して「気前よくふるまう」ことで、さらにみんなからの尊敬を集めることができる。
 強制的に誰かからに何かを奪うというよりは、「義理」や「」によって人と人が結びつく社会なわけだね。

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●前3500年~前2000年の中央ユーラシア

歴史:この時期にはすでに馬や牛に「車輪」の付いた乗り物を引かせるテクノロジーが編み出されていた。

すごいスピードが出そうですね。

歴史:そうだ。それに荷物を効率よく運べるようになるよね。彼らのライフスタイルは、水場や草原を求める移動生活だから。
 このころの草原地帯には大きなお墓もつくられるようになっていて、みんなの支持を集めたリーダーが大人数をまとめていたらしい。彼らの話していた言葉は今となっては謎だけど、どうやら今のインドのヒンディー語やヨーロッパの英語やドイツ語のご先祖となる言葉らしい(インドやヨーロッパの言葉のご先祖)。

それくらい広い範囲で活動していたってことですね。

歴史:中国の文明にも、彼ら遊牧民の影響が及んでいた証拠がある。

 もともと遊牧民は、定住民(移動せずに農業や家畜の飼育をしている人)と協力関係を結ぶことが多かった。
 遊牧民は移動しなきゃいけないから、金属でできた道具とか農産物は自分たちではつくることが難しい。そこで丹精込めて育てた家畜をレンタルしたり、お肉や皮を売ったりしていたんだ。

 でも、生活環境が苦しくなると、交換でまかなうには限界が来る。

 そうなると次の時代にかけて草原の遊牧民たちは、食べ物を求めてユーラシア大陸の川や沿岸近くにまで大移動を進めることになったわけだ。
 
 この遊牧民の大移動が世界史の流れに大きな影響を与えることになるんだよ。

遊牧民の活動エリアではまったく農業をすることができないんですか?


地理:乾燥エリアでも水が湧き出ているところ(注:オアシス)や、外から流れてくる川があるところでは、乾燥に強い作物が育てられている。甘いナツメヤシや、ブドウ、小麦や野菜(スイカなど)も育てられる(注:オアシス農業)。

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●前3500年~前2000年のアジア

歴史:この時代のアジアのようすを日本から順にみていこう。

◇日本

歴史:当時の日本列島の人々は狩り・釣り・採集が基本のライフスタイルを送っていた。食べ物を「つくる」暮らしではなく「とる」暮らしが主流だ。四季を通じて食べ物のレシピは豊かで、定住生活もおこなうことができた。

◇中国
歴史
:この頃には黄河(こうが)の周りで、同じ仲間意識を持った集団が団結していたとみられる。

地理:このころの黄河は、単に「河」とだけ呼ばれていたんだ。
 黄色く濁ってなんていなくて、むしろキレイに澄んでいたようだ。
 川が濁り始めるのは、のちのち森林が伐採されてからのことなんだ。

人口が増えて土地が足りなくなっていったんですね、きっと。

歴史:また、この頃のリーダーの墓は大きくなってきていて、大きな町の中には豊かな人と貧しい人との区別もはっきりしてきています。
 ガの幼虫を育て、そのサナギのマユから糸をとったシルク(絹)づくりもこの時期に始まっています。火力がアップしたおかげで、土器の強度も上がっています。
 馬、戦車、青銅器も、“お隣さん”の北方の草原地帯から、遊牧民を通して紹介されています。

 しかし、だんだん気候が乾燥化していくにつれ食べ物に困る人々が続出。武器により傷ついた骨も発見されるようになっています。

多くの人を従えるリーダーが出現するようになるんですね。

歴史:そうなんだ。
 この時期にいくつかの地域で有力な指導者が現れることになるよ。
 

○前3500年~前2000年のアジア 東南アジア

歴史:東南アジアの人たちは狩り・釣り・採集を基本とする生活をおこなっていましたが、“お隣さん”の中国の影響を受けるようになっていく。


◯前3500年~前2000年のアジア  南アジア


歴史:この時期のインドではインダス文明という文明が栄えていた。

強力な支配者が君臨していたんですか?

歴史:そういうわけでもないんだ。
 昔は「インダス文明は大きな川の工事のため、王が強いパワーで人々を従えていた」と説明されることが多かったんだけど、そもそも王宮や巨大なピラミッドのようなものはないから変だ。
 最近ではインダス文明は、「農業や商業で栄えた都市の集まり」だったんじゃないかと考えられているよ。
 商人はインドのあちこちから小麦や商品を川に運び込み、それを船に乗せて西のほうに輸出した。“お隣さん”の西アジアでは、「インダス文字」という絵文字の刻まれた石の破片がみつかっている。
 この文字は、インド国内のいろんな人たちや外国人と取引するときのコミュニケーション手段につかわれたんじゃないかと考えられている。「牛」の絵が描かれていることから、現在のインド人の多くが牛を大切にしているところに通じるものがあるよね。

Photo by Anmol Kerketta on Unsplash
 

 しかしこのインダス文明、ほかの地域と同じく南アジア(≒インド)の気候が乾燥化していくと、人々は町を捨て雨の降る地域へと移動を始めてしまった。


 彼らの子孫は現在のインドの南のほうにいる人たちじゃないかといわれている(注:ドラヴィダ人)。


○前3500年~前2000年のアジア  西アジア

歴史:この時期、地球上でもっとも多くの人口をかかえていた町は、西アジアの乾燥エリアを流れる川の近くにあった。 遠く山のほうから水を集めて乾燥エリアを流れる2つの川は、まさに“命の水”。現在のイラクという国のあたりには、その水を利用した農業と家畜の飼育で栄え、神様の「ふしぎな力」(…と当時の人たちが信じた力)を利用しつつ、軍隊のパワーによって町を支配する王様が現れたんだ。

 町ごとに守護神がいて支配者も別々に君臨していたけれど、ときに水場や取引をめぐって戦争も起きた。その結果、いくつもの町を支配するような神殿や王様も現れるようになるよ。

この地域の文明の特徴は何ですか?

歴史:どんな人たちかよくわかっていないことも多いけど、川の泥を固めて、その上に草の茎(くき)で文字を刻んだ破片が残されているから、ある程度のことは判明している(この文字は神殿へのお供え物の管理につかわれ、書ける人はわずかだった)。

 まず、王様は立派なあごひげを生やしていたらしい。町の人たちはいろいろな職業を担当していて、奴隷(人間としての権利が認められない人(モノ扱いされた人))もいた。

 銀や銅といった金属は「人間にしかつくれない(自然にはない)素材」として高く取引され、さまざまな用途の道具もつくられていた。


地理:ヨーロッパからトルコを通ってイランのほうに伸びるエリアは、現在にいたるまで地面が激しく動いているエリア(注:新期造山帯)に当たる。
こういうところでは地下のマグマの作用で、銀、銅、スズといった金属(注:鉄ではない金属ということで「非鉄金属」という)がとれやすいんだ。
 ・スズの分布
 ・銀の分布
 ・銅の分布

スズって何ですか?

地理:銅と混ぜると、「青銅」といってさらに固い金属をつくることができる物質だ。

歴史:町の周りは頑丈な壁でかこまれていて、見張り番もいた。外の世界からは遊牧民とか別の町の人もやって来て、取引がおこなわれていた。“お隣さん”の南アジア(インド)とも貿易をしていたことがわかっているよ。
 モノを数える単位は60進法で、今の10進法とは違った数え方だ。ちなみに1週間は7日というのは今と同じだ。

この文明は長続きするんですか?

歴史:やっぱり贅沢(ぜいたく)な生活はあこがれの的だからね。
 周りの民族によって何度も支配が代わっていった。
 結局、外からやってきたアッカド人という民族が破竹の勢いでいくつもの町を征服し、「全世界の王」(四方世界の王)と名乗るんだ。
 しかし、人類初の“世界征服”を成し遂げた王国の支配は長続きせず、反乱が起きてバラバラになってしまう。

 支配が長続きしなかった理由は環境破壊だともいわれているよ。
 長い間ジャブジャブと水を注いで同じ場所で農業をやっていると、土地の表面に塩分がたまってしまうんだ。塩だらけの土地で植物は育たない。だから西アジアの「2本の川の文明」(メソポタミア文明)は、次第に衰えていくよ。

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●前3500年~前2000年のアフリカ

歴史:アフリカでも、気候の乾燥化が進んでいる。

地理:降水量が年250mm以下の地域になると、蒸発する水分の量のほうが多くなってしまって、植物の生育は絶望的だ。
 気温の1日の変化が大きく(注:日較差が大きい)、過酷な環境だ。

砂嵐もすごそうですね。

地理:たしかに。そのせいで大きな砂丘もつくられるね。
 でも、地球全体の砂漠のうち、ほんとうに砂でおおわれているのは全体の2割以下なんだ(注:砂砂漠)。
 ほとんどの砂漠は岩や石で覆われた砂漠(注:岩石砂漠)なんだよ。

水場は全くないんですか?

地理:ところどころ地下水が湧き出るところ(注:オアシス)があるし、外部の雨のある地域からドドっと川が流れてくる場合(注:外来河川)もある。
 ただ、途中で蒸発しちゃって、たまーに突発的に出現しては消えてしまうような川(注:ワジ)もある。湖もあるけど、そこから出ていく川もなく、蒸発量が多いとかなり塩気が強くなる(注:塩湖)。

2018年11月9日に砂漠で発生した洪水(西アジアのヨルダン(古代のオアシス都市遺跡))


 上流の天気によっては急に大洪水になっちゃうところもあるから注意が必要だ。


でも砂漠だから、乾燥ですぐ蒸発しちゃいそうですよね。
地理
:貴重な水なのに、もったいないよね。
 それを防ぐために、のちに人工的な地下水路(注:カナート)もつくられるよ。

歴史:人々は、もともと住んでいたエリアから水場を求めて移動をすすめているよ。
 彼らが向かった先のひとつがナイル川の周りだ。
 現在のスーダン(地図)という国のあるところやエジプトでは、小麦やナツメヤシなどの農業や家畜の飼育で栄えた町が巨大化し、王様の支配も始まっている。

 「エジプトはナイルのたまもの」という言葉があってね、エジプトで文明が栄えたのはナイル川のおかげでした、という意味だ。かつてナイル川は1年に1度、決まった時期に氾濫(はんらん)を起こしていたから、その水を利用した農業が可能だ。

 気候の乾燥化が進む中、いくつもの町を支配することに成功した王様が、自分のことを「太陽の神様」だとして人々を納得させ、軍事力でナイル川の上流から下流にかけての広い範囲を支配した。


つまり、気候の変化とエジプトの文明の誕生とは関係があるってことですか?

地理時期的にはその可能性がある

 太陽の高さをもとにした正確なカレンダーがつくられ、絵文字も作られた。王はみずからの力を見せつけるため、ピラミッドを建設した。大きいものが3つ、今のエジプトに残っているよ。

 しかし支配は長続きせず、この王国は崩壊。その後、ナイル川の下流と上流との間に戦いが起きた。

 この頃から「人間は“あの世の神”を喜ばせれば、“あの世”で生き返ることができる」という新しい「神様ストーリー」が生まれる。きっと戦争でたくさん人が死んだことと関係があるのだろう。
 死んだ人の体を「永久保存」するために、ミイラがつくられるようになるものこの頃だ。“あの世の神”の前での裁判に備えて、「この人は生きている間に“こんな良いことをした”“良い人だった”」という「アピール文書」も作成された(注:『死者の書』)。

 この頃の王様の拠点はナイル川の上流の方(注:テーベ)にあったようだけど、ピラミッドが建てられていた頃よりも広い範囲に影響を与えていたようである。

 しかし、軍人として、現在のシリアのほうの遊牧民が採用されるようになったことが、崩壊の始まりだった。彼ら遊牧民は、しだいにエジプトの国王の政治にも首を突っ込むようになり、最終的にナイル川の下流を支配してしまう(注:彼らを「ヒクソス」という)。

 エジプトの文明は大きなピラミッドの印象もあってとっても強い王国のイメージがあるかもしれないが、ずーっと同じ家柄の王様によって支配されていたわけではないわけだ。

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●前3500年~前2000年のヨーロッパ

イギリスに巨大な石の遺跡が建てられていますね。

歴史:「ストーン・ヘンジ」という遺跡だね。
 数トンもの重さも岩が丸い形に建てられている。
 これは、この時代の人々の価値観が“農業”に合わせたスタイルに変わっていた証拠だ。

 狩りをしていた時代に比べ、農業が導入されると人々は1年の自然のリズムを強く意識するようになる。農業にとって一番重要なのは「太陽」。1年を通じて太陽の高さは変わるから、太陽の周期に合わせて農業の計画を立てる必要がある。

 だからカレンダーが必要とされたんだ。カレンダーを作るには太陽の高さの変化を正確に調べる必要がある。そのために建設された大掛かりな天文台がストーン・ヘンジだ。当時の人にとっては天文台というよりは、「太陽」という神秘的な存在に感謝する儀式がおこなわれていたのだろうね。巨大なモニュメントをつくってみんなを納得させることのできた、力の強いリーダーがいた証拠でもあるよ。


どんな作物が育てられていたんでしょうか?

地理:麦が広く育てられているよ。
 小麦が広まっているけど、大麦ライ麦は寒いところに向く。

 地中海の沿岸では、夏乾燥する気候に合わせたてオリーブ(注:オリーブの育て方)、ブドウ(注:ヨーロッパブドウ)が育てられているよ。
 冬に雨が降る(注:イタリアの天気)のでそのときに小麦を栽培する部分と、土地を休ませる(注:休閑)部分に分けて、「代るがわるローテーションする方式」がとられるようになっていくようになる(注:二圃式農業)。


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