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世界史のまとめ × SDGs 第7回 国家の広域化と思想の普遍化(前600年~前400年)

SDGsとは―

世界のあらゆる人々のかかえる問題を解決するために、国連で採択された目標」のことです。
 言い換えれば「2018年になっても、人類が解決することができていない問題」を、2030年までにどの程度まで解決するべきか定めた目標です。
 17の目標の詳細はこちら
 SDGsの前身であるMDGsが、「発展途上国」の課題解決に重点を置いていたのに対し、SDGsでは「先進国を含めた世界中の国々」をターゲットに据えています。
 一見「発展途上国」の問題にみえるても、世界のあらゆる問題は複雑に絡み合っているからです。
 しかも、「経済」の発展ばかりを重視しても、「環境」や「社会」にとって良い結果をもたらすとはいえません。
 「世界史のまとめ×SDGs」では、われわれ人間がこれまでにこの課題にどう直面し、どのように対処してきたのか、SDGsの目標と関連づけながら振り返っていこうと思います。

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Q. 広くなった人間集団が「まとまる」ために、編み出された新たな考えとは?

歴史:さて、この時代にユーラシア大陸では遊牧民エリア・定住民エリアの両方に巨大な国が現れる。

どうしてですか?

歴史:ユーラシア大陸では、遊牧民が馬を動力にして鉄器で武装するようになり、広範囲を武力でコントロールすることが可能となり、それに合わせて定住民の国も遊牧民の戦法を取り入れるようになっていったことが大きいね
 
 国のスケールが大きくなるとともに、「生き方」や「考え方」に関する複雑な思想も現れるようになる。

SDGs目標4.7  2030年までに.持続可能な開発と持続可能なライフスタイル、人権、ジェンダー平等、平和と非暴力の文化、グローバル市民、および文化的多様性と文化が持続可能な開発にもたらす貢献の理解などの教育を通じて、すべての学習者が持続可能な開発を推進するための知識とスキルを獲得するようにする。

「複雑な思想」って何ですか?

歴史:まず背景を考えてみよう。
 人を支配する組織が巨大化し、「人が人を支配する」システムが整備されていく。
 また、物の取引もさらに活発化し、新たに経済的に力をつける人々も出てくる。

 それにともなって、以前はなかったような案件をめぐる「争い」も増えていった。

従来のような小さな群れ、小さなコミュニティでは解決できないような問題が続出したわけですね。

歴史:そうそう。
 群れが小さければ、「このあたりでは昔からこうやってきたんだ」っていう慣習を共有することが可能だ。
 でも群れが巨大化すればそれも通用しない。
 新たに「こういう取り決めにしませんか?」と、ルールを設定することも必要になっていく。

なるほど。群れの論理が通用しないのであれば、それを超えて「すべての人間」に通用する「良いこと/悪いこと」は何なのか、考えるようになったと―。

歴史:そう。
 もちろん、支配者の決めた理不尽なルールに対する批判」も生まれるようになっていくよ。「昔のように、小さなコミュニティで暮らしていたころのほうがよかった」「よりよい社会をつくるにはどうすればいいか」と考える人も出てくる。

 ある意味このSDGsも、21世紀の地球社会の形成期において、すべての人間にとって必要なことは何なのかについて定めたものといえる。

群れが大きくなるにつれて、人間の「視野」がひろがっていくわけですね。

歴史:順調にいったわけではないけどね。
 たがいの個性がぶつかりあうこともしばしばだ。
 
 まず、具体的に当時の中国をみてみよう。
 この時代には、周という王に従っている各地の有力者が、領域を広げようと戦争をするようになっていく。
 周という国は黄河の流域(中国部)にあったわけだけど、長江の流域(中国部)は「北の中国」とは異なる伝統や文化を発達させてきたから、なかなか折り合いのつかない部分があったわけだ。

 そこで、各国は自分の国を強くするために有能な人材を雇うようになっていく。

 昔は周の王様に与えられた位(くらい)によって、えらい国がどの国かが決められていた。でもすでに周の王様の権威は衰えている。これからの時代は実力がすべてだ。「新しい時代をどう生きるべきか?」「どうすれば国は生き残れるのか?」
 儒学というグループを立ち上げたは、こう言った。

 「周の時代を思い出そうではないか。あの頃は、周の王様が儀式をおこない、それによってちゃんとした秩序があった。礼儀をちゃんとすれば、人々の心も家も国もまとまるはずじゃ」

 でも結局、周の王様は秩序を復活させることはできず、家来たちのコントロール不能なバトルロワイヤルがはじまっていく。この時代のことを指して「戦国時代」と呼ぶ。

南アジアの場合はどうですか?

歴史:南アジア(≒インド)もこの時代には「戦国時代」に突入している。

どうしてまとまらないんでしょうか?

地理:そもそもインドは、地域ごとにバラエティ豊かな特色を持っている。
 熱帯雨林気候から砂漠気候まで気候のバリエーションも豊富だ。
 現在でも地域によってまったく異なる言語がもちいられているほどだ。

 この時期に各地の都市が発展していくと、異なる価値観がしばしばぶつかりあうようになっていった。
 戦争が増えれば人も死ぬ。
 そんな中、従来はバラモンという神官階級が社会の価値観をコントロールしていたインドに、それを批判する新たな考えが生まれた。

 その一つが「ジャイナ教」だ。
 生きとし生けるもの、すべての動植物の命を大切にすることが、人間の幸せにつながるという考えだ。

植物を"殺さない"ために、服を着ない人たちもいる(服に植物の繊維が使われているから(注:白衣派は服を着る))

暴力を否定する考えですね。

歴史:そうそう。
 もう少し穏やかな考えとしては、仏教がある。
 仏教にしろジャイナ教にしろ、基本的には「動物のお肉を食べない」考え方をとった。「精進料理」(しょうじんりょうり)って聞いたことあるよね。


Q. 巨大化した国では、情報を効率よく伝えるために、どんな工夫をしたのだろうか?

SDGs 目標9.1  質が高く信頼できる持続可能かつレジリエントな地域・越境インフラなどのインフラを開発し、すべての人々の安価なアクセスに重点を置いた経済発展と人間の福祉を支援する。

歴史:4つの王国が並び立つ時代は、イラン高原のペルシア人の世界征服によって幕を閉じた(注:アケメネス朝)。

イラン高原ってどんな気候なんですか?

地理:雨がほとんど降らない乾燥気候だ。
 砂漠のところと、まばらに草原になっているところ(注:ステップ)があって、草と水場を頼りに遊牧生活が営まれている。

どうして乾燥しちゃうんですか?

地理:地球全体の風の移動の関係から、上昇気流が発生しにくいエリア(注:亜熱帯高圧帯)にあたることや、海からの距離が遠すぎること(注:隔海度が大きい)、それに山脈の風下側にあたることが理由だ。

歴史:彼らペルシア人は馬を乗りこなして西アジア史上最大の領土を支配することになる。だけど、そんな彼らも草原の遊牧民(スキタイ人)と、地中海のビジネス民族 ギリシア人には勝つことはできなかった。

アケメネス朝は広い領土をどうやって支配したんでしょうか?

歴史:領土を細かい地域に分けて、そこに役人を派遣したんだ。取り立てた税を横取りする悪徳役人を防止するために、監視役まで派遣する用意周到さだった。

 命令は文書によって伝え、急な命令を伝えるために馬用の「高速道路」まで整備された。

人の移動手段、情報の伝達手段が重視されていたんですね。

歴史:広い領土を支配するためには、支配者の命令が確実に末端にまで届くことが必要と考えられたわけだ。

地理:SDGsの目標でも、地域を超える交通インフラは、地域内外の交流を活性化させるために不可欠とされているよ。

 例えばメコン川をまたぐタイとラオス間の橋や、タイ~マレーシア~シンガポールの鉄道が整備されたことで、東南アジア域内の交流が活性化されたことが良い例だ。
 

じゃあこの時期もそんな効果が期待できたんでしょうか?

歴史:アケメネス朝ではアラム人の貿易活動が保護され、馬や宿駅が整備された幹線道路も使用された。
 帝国の共通語も、西アジアで広く話されていたアラム語だった。

 だけど、この時代の支配者は「貿易によって利益を得る」ということよりも、領域内から「貢物」(税)として物を徴収することに重点を置いていた。
 税を徴収させるためには軍事力が必要だから、「王の道」も軍事的な意味合いが強いものだったと言える。

 なおアケメネス朝ではゾロアスター教が正義の考えとされ、神をまつる神殿も建てられている。

住民の考えは、支配者の耳には届いたんでしょうか?

歴史:地域ごとの風習や宗教を認めるなど、「多様性」には寛容だったようだ。

 でも国の組織は、住民の考えが支配層にまで届く支配のしくみ(注:ガバナンス)ではなく、支配者が上から下に命令する形の支配のしくみが採用された。
 

地理:イラン高原は、エジプトやメソポタミアの方面と、インドや中央アジアの方面の「中間地点」に位置するよね。

 だから、さまざまな物が行き交う場所として重要視されていたんだ。

歴史:この時期にイタリアのローマ人は、ライバルのギリシア人やフェニキア人を押しのけながら領土を広げている。
一方、ギリシア人は西アジアのペルシア人がビジネスチャンスを求めて進出してくると、一丸となって戦ってこれを追い出すことに成功した(注:ペルシア戦争)。
 勝利に貢献したアテネという国は、戦後に「自分のおかげで勝てたのだ」とギリシャのほかの国を支配下に置くようになり、ライバルだったスパルタという国の反感を買い、戦争に発展する。

時代が混乱すると新しい考え方が芽生えそうですね?

歴史:その通り。
 ギリシアの人々は劇が大好きで、戦争の時期には悲劇がたくさん上演されたよ。
 また、「世界はどのような仕組みで成り立っているのか?」「一度きりの人生をより良く生きるにはどうすればいいか?」ということをつき詰めて考える学問(注:哲学)も流行するようになっていく。
 ギリシアの場合は、都市国家の枠内で通用する思想がほとんどで、都市国家のに出ても通用する考えはあまり出なかったけど、中には「お金」や「国の支配」のもたらす負の側面を乗り越えようとする思想も現れていた。


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