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ゼロからはじめる世界史のまとめ㉒ 1920年~1929年の世界


全時代・全地域を26ピースに「輪切り」し、人名を使わずに世界史をまとめていくシリーズ。
今回は世界史のまとめの22ピース目、1920年~1929年の世界を扱います。
未曾有(みぞう)の死者を出した大戦争が幕を閉じ、再建復興の時代。
勝者」となったアメリカとソ連は、ヨーロッパ中心に組み上げられた「植民地だらけの世界」の「大掃除」に取り掛かりますが―。

1度目の大戦争が終わって、新しい国際関係が作られていく時代

目次
 0. 1920年~1929年の世界
 1. 1920年~1929年のアメリカ(北→中央→南)
 2. 1920年~1929年のオセアニア
 3. 1920年~1929年のアジア(東→東南→南→西)
 4. 1920年~1929年のアフリカ(東→南→中央→西→北)
 5. 1920年~1929年のヨーロッパ(東→南→西→北)

―この時代は人々があれほどまでの「世界大戦が起きてしまったことを「反省」する時代だ。
 大戦の終わりごろに「リリーフ」として参戦したアメリカの指導者は、いちばんの元凶が、ヨーロッパ中心に組み上げられた「植民地だらけの世界」にこそあると考えた。
 そこで、世界の「大掃除」(リセット)をはじめていこうとしたわけだ。


 一方、そこに加わらずに別の方針で「大掃除」をすすめようとしたのが、ロシア人が中心となって作った「労働者中心の理想の社会」を作ろうとするグループ(注:ソ連)だ。



アメリカと、ロシアの「労働者の国」はどんな主張をしたんですか?
―どちらも、戦後の世界に関するプランを発表している。

 まず、アメリカの大統領は「古いヨーロッパ流の世界」を一旦壊して、新しい価値観で世界をまとめようとした。

摩天楼(まてんろう)」がそびえるニューヨーク。Photo by Jason McCann on Unsplash


 その最たる例が、イギリスやフランスが世界中に広げていた植民地だ。
(注:「十四か条」第5条:植民地問題の公正な措置」
 また、これだけの戦争に発展させてしまった「国際関係の方法」も見直すべきだろう。


つまり、戦争が起きる原因をつぶしていこうとしたわけですね?
―そうだ。
 それと同時に、イギリスやフランスに植民地を手放させ、世界中でビジネスを展開しようとしたわけだ。

 一方のロシアでも、労働者の指導者たちがやはり「古いヨーロッパ流の世界」を批判し、世界中の民族が自分たちの国を持てるようにするべきだと訴えた。アメリカの大統領もこれを聞いて、今まで国をもてなかったヨーロッパの民族が国を持つことができるように調整していった。


優しいですね。
―まあ、国をつくってあげれば、言うことを聞いてくれるからね。
 それに実際にはイギリスやフランスは、多くの植民地を手放すまでにはいたらなかったよ。
 これに「期待」を抱いていたアジアやアフリカの人たちは、「アメリカの大統領が言ってくれていたじゃないか!」と民族運動を激化させることになっていく。

 実際に国を持つことができたのは、ヨーロッパにあった国だけに過ぎなかった。これにはロシアが領土を西に広げるのを「ブロック」する意味もあったんだ。「労働者主体の新しいロシア」(注:ソ連)の考え方に染まってしまうと、経営者は追放され、自由にビジネスもできなくなってしまうからね。


負けたドイツはどうなっていますか?
―フランスやイギリスは、自分の国の世論にも押されてドイツにとてつもない額の賠償金を押し付けた。
 その処置も非常に厳しく、世界中のドイツの植民地はイギリスとフランスがしばらく「代わりに」支配することになったよ(注:委任統治)。


「代わりに」っていっても、勢力下に入れることにはかわりないですよね。
―そうなんだ。
 でも「植民地にする」と、さすがに「そんな古いやり方をまだやろうとしてるのか」と批判を浴びるから、そういうやり方を取ったんだ。

 ドイツの持っていた、アフリカ、オセアニアの植民地は、このようにしてイギリスとフランスが主に「代わりに」支配することになっている。

 一方、戦争でドイツ側に立っていたオスマン帝国も、このときに多くの領土を失っている。
 西アジアの国々は、イギリスやフランス、そしてアメリカの顔色をうかがいながら、次第に「ヨーロッパ流」の国づくりを進めていくことになるよ。例えば新しく建設されたトルコでは、政治の世界から宗教を追放し、アラビア文字を捨ててローマ字を採用したくらいだ。

古くからアジアとヨーロッパの「交差点」だったトルコが、「ヨーロッパ」を目指すようになる。Photo by Fatih Yürür on Unsplash



その頃、日本はどうなっていますか?

―イギリス側で参戦していた日本はこの戦争で戦勝国になった。
 そこで、「世界中の国が加盟して、戦争を起こした国がいたらみんなでお仕置きをするためのグループ」(注:「集団的安全保障」の組織である国際連盟)の「中心メンバー」になることができた。
 明治時代以降、「ヨーロッパ化」を進めて行った日本は、短期間でヨーロッパ諸国と「肩を並べる」までのし上がっていくことに成功したわけだ。


サクセスストーリーですね。
―でも、これを警戒したのがアメリカだ。日本とイギリスの同盟関係を解消させ、「中国と太平洋に進出するなよ」(注:四カ国条約)と釘を指しているよ。
 国際的な反省」&「平和」ムードの中、日本もしばらくはその流れに乗ることにした。

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◆1920年~1929年のアメリカ

「世界大戦」が終結したのは、アメリカ合衆国の「おかげ」という面が大きそうですね。
―そうだね。
 終盤でイギリス側に立って参加した面が大きかった。
 大戦中には、イギリス側に大量の物資や資金を貸し与えたため、戦後には「外国に貸している額>外国から借りている額」となって、寝ていても利子付きのお金がニューヨークに流れこむ「スーパーリッチ」な国にのし上がっていったんだ。

すごいですね。
ミッキーマウスハリウッドコカコーラ大リーグジャズ大量生産の自動車家電…。
 この空前の繁栄(注:狂騒の20年代)に支えられ、「たくさん作って、たくさん買う」アメリカ式の生活は世界中の「あこがれの的」になっていったんだ。

 でも、「どうしてヨーロッパの戦争なんかに参加したんだ」という意見も根強く、「今後はいっさいヨーロッパの政治に関与したくない」という閉鎖的な意見も強まった。大統領が夢見た「世界平和のための組織」(注:国際連盟)への参加も、議会の反対で見送られている。
 それが行き過ぎると、ヨーロッパからの移民は出て行け!とか、アメリカ本来の純粋な文化を守れ!という過激な主張にもなっていく。
 そんな「内向きだが楽観的」なムードが、この時代の特色だ。


中央アメリカや南アメリカはどんな感じですか?
―アメリカに対する反発も起きているけど、経済のしくみは相変わらずアメリカやヨーロッパ諸国に、自分の国でとれた農産物や鉱産資源を輸出するものだ。
 これじゃあ、土地をたくさんもっている人や一部の有力者しか、豊かになっていかないね。
 土地や資源をめぐって、軍人が力ずくで指導者になろうという動きも起きている。

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◆1920年~1929年のオセアニア


この時期には、日本がオセアニアに進出しているようですね。
―そうだね。
 日本は世界大戦に参戦した「ごほうび」に、その南方(北を上にすると下方向)の島々を委任統治することになった。


「イニントウチ」?
―しばらくの間、代わりに支配するということだ。
 もともとヨーロッパのドイツが支配していたんだけど、ドイツが負けたので日本が南に領土を広げたんだ。

史料 国際連盟憲章第22条
...これまでの支配国の統治を離れた植民地や領土で、近代世界の苛烈な条件のもとでまだ自立しえない人々が居住しているところに対しては...資源や経験あるいは地理的位置によってその責任を引き受けるのに最も適し、かつそれを進んで受諾する先進国に委任し...後見の任務を遂行させる...。
(『世界史史料10』岩波書店)



 でも、日本が太平洋に進出することに対して、アメリカ合衆国は強く「警戒」するようになる。でも軍事力を使うことへの反対が国内では大きかったので、とりあえず日本とイギリスの同盟を破棄させ、「太平洋の領土をこれ以上広げちゃダメだぞ」と釘をさした(注:ワシントン体制)。

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◆1920年~1929年の中央ユーラシア

―ロシアでは皇帝が倒され、労働者を指導者とする国が誕生した。
 でもどの領土は、倒したロシアが持っていた領土をほぼ引き継いだので、ユーラシア大陸の民族たちにとっては「支配者が交替しただけ」ということだ。


「労働者の国」の領土は、ロシアだけではなかったんですね。
―そうだよ。
 ユーラシア大陸の内陸にある「なんとかスタン」という名前の国々も、個々に「労働者の国」に作りかえられていった()。
 これら一見独立しているようにみえるけど、ロシアの指導者のいうことを聞かなければいけなかった。
 もっと東の方のシベリアにもいろんな民族がいたわけだけど、ここもロシアの「労働者の国」の一員となっていった。

国の方針が変わっただけで、結局いろんな民族を支配しているわけですね。
―そういうことだね。
 この、ロシアを中心とするグループのことを「ソ連」というよ。

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◆1920年~1929年のアジア

◇1920年~1929年のアジア  東アジア

―日本は第一次世界大戦でイギリス側に立って戦い、ドイツの持っていた植民地(太平洋の島々)を代わりに支配する権利を手に入れた。なんと国際連盟という「世界平和」のための組織中心国のひとつにまでのぼりつめたんだ。


順調ですね。
―でも喜びもつかの間。
 大戦後の不景気関東大震災が重なって、「国内の問題を、国外への進出で解決しよう」という考えも増えていくよ。
 つまり、広い中国に進出して資源を獲得しようとしたわけだ。


当時の中国では、皇帝が倒されたものの「バラバラ」な状態が続いていましたよね。
―そのとおり。
 せっかく皇帝を倒したのに、軍隊の力が強すぎて各地で軍人が半分独立した政府(注:軍閥)をつくって分裂していた。
 それぞれの軍人を、別々のヨーロッパ諸国や日本が応援したものだから、分裂状態はますます深まっていた。

 かつて皇帝を倒す運動を成功させた指導者は、この状態を嘆くけど、その後中国人の中から外国人に立ち向かおうとする運動(注:五四運動)が生まれた姿をみて勇気づけられ、「もう一度、国民の力を信じ、中国を共和国としてまとめよう」と決意したんだ。


じゃあ、国の方針としては「自由な国」をつくるってことですね。
―そう。
 ただ、中国の皇帝が倒れたのを見て「これはチャンスだ」と思ったのが、当時、革命で同じく皇帝を倒したロシア人たちだ。
 ロシアの革命に共感し、同じように「労働者が輝ける国」をつくろうというグループが中国にもできて、「経営者」や「大地主」たちを中心とするグループと対立することになる。

どうなったんですか?
―紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、結局は「資産家経営者」や「大地主」の支持を得たリーダーが支配権を握るよ。
 アメリカやイギリスの力を背景にして中国から日本の勢力を締め出しつつ、国内の「労働者の国」をつくろうとするグループ(注:中国共産党)の退治が進められていった。


中国も、せっかく独立までこぎつけたのに、ここへ来てなかなかまとまりませんね。
―そうだね。
 中国の皇帝の支配を受けていたモンゴル人も、これをチャンスに独立しようとする。
 北のほうのモンゴル人は、ロシア人の援助も受けながら「労働者の国」を作ろうとしていった。


◇1920年~1929年のアジア  東南アジア

東南アジアでは、植民地から独立しようとする動きは起きませんでしたか?
―さかんになっているよ。
 ロシア人の指導者が「すべての民族は自分たちの国を持つべきだ!」と励ましてくれたおかげで、各地でロシアでの「労働者主体の国づくり」を参考にした運動(注:社会主義)が活発になっていったよ。

 たとえば、ベトナムではのちに「国の父」として活躍することになる人物運動を始めている。

 ただ、インドネシア(注:オランダ領東インド)みたいにたくさんの島でできた国では、歴史も言葉も違うから「一丸となって」独立運動を起こすことが難しい。模索が続けられているよ。



◇1920年~1929年のアジア  南アジア

インドでは独立運動が盛り上がっていますね。なぜですか?
―イギリスが、「戦争に協力してくれれば自分たちでインドのことを決めてもいい」って約束していたんだけど、戦後にイギリスがそれを「なかったこと」にした。
 で、それに反発したところ、なんとその反発自体を取り締まる法律(注:ローラット法)が制定され、さらにその反対運動のさなか一般市民が巻き添えになる虐殺事件も起きた(注:アムリットサル事件)。

 そんな中、弁護士出身のエリートだけど、着飾らずに誰にでもわかりやすい言葉でインドの人たちに話しかけることのできた独特な風貌を持つ指導者が、独立運動を本格的にすすめていくんだ。
 彼は「暴力に対して、暴力を使ったら、負けだ」(注:非暴力主義)と、発想を転換した運動によって支持者を伸ばしていったけど、イギリス側もなかなかインドを手放そうとはしなかった。

この指導者は、現在のインドのお札にもなっている。Photo by Ishant Mishra on Unsplash


◇1920年~1929年のアジア  西アジア

西アジアでは、オスマン帝国が戦争に負けていましたよね。
―これで、いよいよ「おしまい」だね。
 オスマン帝国の皇帝は、軍隊にも見放されてしまう。
 軍隊のトップは別の政府を立ち上げ、オスマン帝国の皇帝をクビにし、さらにイスラーム教徒の「リーダー的存在」であったカリフという制度も廃止してしまったんだ。


どうしてそんなことをしたんですか?
―これからは「ヨーロッパ型の国づくり」をしていかないと、この国はダメになってしまうという指導者の信念があったんだ。
 この人には「トルコのお父さん」という称号が与えられている。

じゃあ、なんとかなったんですね。
―そうでもない。
 領土の一部はイギリスとフランスが「代わりにしばらく支配する」っていう名目で、バラバラに分けられてしまったんだ。

ほかの国はどうですか?
―やはり「危機感」があって、トルコと同じように近代化を急いだよ。
 イランでも軍人によって前の王様が倒されて、新しい王国(注:パフラヴィー朝)が近代化をすすめた。
 一方、アラビア半島では王様(注:サウード家)が大部分を統一して、めちゃ厳しいイスラーム教のルール(注:ワッハーブ派)を適用しながら強い国づくりを進めている。現在のサウジアラビアの発祥だ。
 この地域で石油がたくさんとれるらしいということにも、ヨーロッパ諸国やアメリカはすでに目をつけている。

サウード家はイスラーム教の聖地も保護下に置いた。Photo by Izuddin Helmi Adnan on Unsplash


「石油」がカギを握る時代になっていますもんね。
―自動車(注:自動車の大量生産)や飛行機の時代(注:大西洋無着陸横断飛行)だもんね。
 ロシア人も巨大な油田を確保するために、イランの北のほう(注:ザカフカースと呼ばれる地方)にまで支配エリアを広げ、この地域をロシアの新国家建設のパートナーに組み込んでいる。今のアルメニアアゼルバイジャンめちゃデカい油田がある)のあたりだ。

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◆1920年~1929年のアフリカ

「世界大戦」の結果、アフリカの民族たちには自分たちの国をつくる権利が認められたんでしょうか?
―そうはいかなかった。
 ドイツの植民地だったところは、イギリスとフランス、それに南アフリカなどが「代わりに」支配することとなった(注:委任統治)。


 というわけで結局独立できているところは、リベリアエチオピアだけ。あとは「植民地だらけ」の状態だ。

 各地で独立に向けた運動も起きるけど、うまくはいっていない。

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◆1920年~1929年のヨーロッパ

―ホモ=サピエンス史上未曾有の死傷者をもたらした第一次世界大戦。
 大戦によってヨーロッパの国境線が大きく変わることとなった。


どんなふうにですか?
―まず、ドイツは領土を失った
 ドイツをはじめて統一することのできた皇帝の国が滅んだことで、今まで国を持てなかった民族も国を持てるようになっている。

 でも、ヨーロッパがまず直面することになったのは、大戦から「立ち直る」ことだ。
 戦争の痛手は深い。
 アメリカからお金を借りていたイギリスやフランスには、借金ものしかかっている。


イギリスやフランスはどうやって借金を返そうとしたんでしょうか?
ドイツからの賠償金を取り立てることで、解決しようとしたんだ。
 そして「復興」をすすめることで、アメリカに返済するプランだ。

でも、そのためにはドイツが「二度と戦争のできない国」にしておく必要がある。
 さらにドイツが耳をそろえて賠償金を返し続ける必要もある。

 でも、ドイツだって大変な状況なわけだ。
 返済がとどこおり、フランスとベルギーが「借金取り」となって攻撃したときには「二度目の大戦」が起きるんじゃないかとヨーロッパの国々は肝を冷やしたものだ。このときにドイツでは物価の異常な値上がりを経験し、余計に返済が困難となった。さすがに「無理難題」だと勝者側も判断し、アメリカの銀行家が仲裁する形で賠償金の減額や猶予(ゆうよ)に乗り出したけど、賠償金額がとんでもない額だということに変わりはなかった。

 ドイツ側につかなかったもの、経済が遅れ気味で勝者としての取り分にも不満の出たイタリアも、なかなか社会が安定しなかった。


社会が不安定になると、また過激な考え方が生まれそうですが…。
―その通り。
 いろんな問題があったわけだけど、その中でも次の2つのグループが注目されていった。

① 自分の「民族」が科学的に優秀であると主張して「仲間意識」を高め、ほかの民族や国の結束を乱すグループを暴力で排除し、今の政府を倒して大戦の「リベンジ」を狙おうとするグループ(注:ファシズム
 ② 「労働者主体の夢の世界」を目指しているロシア中心のグループを見習って、経営者を追い出し、最終的には国をぶっ壊そうとするグループ(注:共産主義

 でもまぁ①も②も暴力的だから、「大多数のふつうの人」にとってみれば怖かった。
 この「不安な心理」が、やがて各国で大きな変化を生むことになるんだ。

   

 以上で1920年~1929年の世界史のまとめは終わりです。
 次回は1929年~1945年までを「輪切り」にし、世界が「2度目の大戦争」に突き進むまでのプロセスを眺めてみることにいたしましょう。(続)


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