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同時に学べる!世界史と地理 Vol.23 1929年~1945年の世界

2度目の世界大戦が起き、ヨーロッパ中心の植民地帝国がグラグラする時代

歴史:この時期、「世界中を巻き込んだ大戦争」が起きる。

またですか。

歴史:2度目だから第二次世界大戦というよ。

 1度目の戦争が終わった後、とてつもない規模の不況がアメリカ合衆国を震源として全世界に広がった。
 「ものをつくって売る」ビジネスモデルが、限界に突き当たってしまったことや、それぞれの国が自分の国だけ「」をしようとして、自由な取引がとどこおってしまったことが原因ではないかといわれている。

自由な貿易」って、「強い国」だからこそ主張できる理屈ですよね。


地理:「自由な貿易」っていうのは、「“ローカルルール”はなくして、“同じ土俵で”貿易しよう」ってことだからね。


“同じ土俵”で戦うと苦しい思いをする国も出てきそうですね。

地理:国の面積、人口、気候、資源などなど、すべての国が同じ条件を持っているとは限らないからね。
 同じ水準にある国どうしが、同じ産業に属する製品を互いに取引し合う貿易のことを「水平貿易」というけど、しばしば貿易の条件をめぐる争い(注:貿易摩擦)も起こりやすい。

 で、原料は植民地から吸い上げる。
 先進国と植民地との間で、農産品・鉱産資源を取引する貿易は「垂直貿易」というよ。

大不況に対して各国はどのような対応をとったんですか?

歴史:多くの国では、国の力をパワーアップして、働く人の負担が軽くなるように国が積極的に動くようにした。国民が不安定になれば政治家が票を獲得できなくなるし、国の結束も弱まる。国を倒そうという運動にもつながってしまうおそれもあった。
 そこで、「国がすべきこと」がどんどん増えていったんだ。例えば、病気になったときの保険や老後の年金とか・・・。

でも余裕のない国では大変ですよね。

地理:植民地を持っていた国では、「垂直貿易」によって自分の国の資源や売り場を国外に確保することができたから、なんとか乗り切ることができた。
 

歴史:1度目の戦争で負けたドイツが、「植民地がなければ、われわれドイツ人はやっていけない!」と主張し、同じく植民地を広げようとしていたイタリアと日本と組んで、「広い植民地を持つ国々」(イギリス、フランス、オランダ、アメリカなど)に「挑戦」したんだ。

ってことは・・・植民地として支配されていたアジアやアフリカの人たちにとっては、支配者が変わるだけってことですよね。

歴史:その通り。
 でも、植民地をとろうとして先進国同士が争っている状況は、ある意味ではチャンスだ。 
 各地でリーダーが現れて、独立に向けた行動を起こしていくことになるよ。
 「ヨーロッパ中心」の時代が、まさに終わりを迎えようとしているんだ。

ってことは、次はアジアやアフリカが中心になるってことですか?

歴史:そう簡単にはいかないよ。
 この2度目の大戦の過程で、アメリカ合衆国とソ連の力がぐんと強まっていくんだ。
 この2つの国の支配者は、「古いヨーロッパの考え方」との「違い」を、それぞれの考え方を打ち出して強調していく。

 人類の歴史は、「限られた資源」をどうやって「効率よく利用し」、「みんなで分けあっていくか」― それを発展させてきた過程であったともいえる。

 アメリカ合衆国もソ連も戦争の決着がつく前から、それぞれ人類の未来を明るくし、世界を平和にするような魅力的な考え方を世界にアピールしていった。
 「悪者」とされたのは敵国のリーダーで、世界各地に植民地を持っていたイギリスやフランスにも考え方を変えるように要求したんだ。
 でもそれが、「ほんとうに世界を平和にするもの」であったのか、注意深くみておく必要があるよ。

2度目の大戦では6000万人以上の人がなくなったんですよね。

歴史:想像を絶する。
 科学技術が「国による人殺し」のために使われ、多くの人が理不尽な暴力を受けて亡くなっていった。
 その反省のもとに、戦後の世界がたてなおされていくことになる。

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●1929年~1945年のアメリカ

アメリカはとんでもない不況になっていますね。

歴史:大統領ははじめは「なんとかなる」と思っていた。
 でも「なんとかならない」ことがわかると、新しい大統領に交替。
 国が積極的に仕事をつくったり、働く人の権利を守ったりすることで、景気を回復させようとしていくよ。
 例えば、大規模なダムを国が主導して開発することで、雇用を生み出した。

どんなダムですか?

地理:水の確保だけでなく水力発電も兼ねたダムだ。ミシシッピ川の支流のテネシー川に作られた。こういうのを多目的ダムという。
 仕事をつくりだすだけでなく、国全体のことを考えて「開発のおくれている地域」を盛り上げるための計画でもあった(注:総合開発)。
 こういう大規模な地域開発プロジェクトは、大不況の前からもおこなわれていた。代表的なものはアメリカ南西部の乾燥地帯を流れるコロラド川でつくられた巨大ダム(注:フーバーダム)と巨大人造湖(注:ミード湖)だ。これによって乾燥地帯でも灌漑農業ができるようになったけど、下流では塩害も起きるようになっている。

Photo by Marius Christensen on Unsplash



塩害?

地理:今までそんなに水のなかったところでジャブジャブ水を使うと、水に含まれている塩分が地表に蓄積されてしまうんだ


アメリカは農業を大規模におこなったり、工業化を推進することで不況を乗り切っていこうとしたんですね。

地理:石油を熱して取り出したナフサという物質からさまざまな物質をつくり出す工業(注:石油化学工業)もこの時期に発達する。
 ナフサからは「エチレン」や「プロピレン」という物質ができる。
 色はなく、微妙に甘いにおいのする基本だ。

 このエチレンやプロピレンは液体や気体なのでそのまま利用できない。
 そこでこれをくっつける処理をしていくと、ポリエチレン、ポリプロピレン、塩化ビニルといったいろんな固形の素材をつくることができるんだ

ついに木や、青銅、鉄の時代は終わったってことですね。

地理:そうだね。
 ついに「プラスチックの時代」が到来するわけだ。

 通常、エチレンをつくるプラントが中央にあって、そこから気体を管を通して周りの工場に供給することになる。
 もっとも、アメリカはメキシコ湾岸で石油がとれるから、コンビナートはテキサス州やルイジアナ州に多い。

先ほどダムの話もありましたけど、農業はどうですか?

地理:売れない農産物を、国が買い上げる制度をつくっているい(注:農業調整法)。
 でもその後、西部一帯を砂嵐(注:ダストストーム(ダストボウル))が襲い、農民の多くが「難民」となってしまう。


 一方、乾燥地帯でも農業ができるように新しい技術も開発されている。
 地下水をポンプで組み上げ、回転するシャワーから水をばらまく「センターピボット」という装置だ。
 これはその後に世界中の乾燥エリアに広まっていく。衛星写真で見るとUFOの「着陸基地」みたいに見えるね。

世界恐慌の影響を脱するために、アメリカの大統領はほかにどんなことをしたんですか?
歴史
:大統領は、ほんとうにアメリカの景気がよくなるには、世界中の国が「自由にスムーズに貿易できる」ようになることが必要だと考えた。

どうしてですか?

歴史:当時、イギリスやフランスでは不況を乗り越えるために、アメリカの製品が入ってくると高い関税をかけて「ブロック」しようとしていたんだ。
 それに対して大統領は「お前らずるいじゃん」と非難した。

 さらにソ連の動きも気がかりだ。
 「国」や「貧富の差」もない「理想の国」をつくろう!という考えを“正義”として掲げるソ連や、その協力国には、アメリカ合衆国でつくった商品を売り込むことができなかった。そのソ連の存在を承認することで、関係の修復を図っている(注:善隣外交)。

 それに日本の動きも気がかりだ。
 中国や東南アジア、太平洋に進出する動きがあったからだ。


じゃあ、アメリカは日本の拡大に対して、すぐさま行動(戦争)を起こしたんですか?

歴史:とっても「慎重」だ。アメリカの国民は戦争を望んでいなかったからだ。

 でも、日本のハワイ空襲で「風向き」が180度変わる。
 アメリカ本土が外国に攻撃されるという異常事態となった以上、大統領は日本との開戦に踏み切った。
 日本はドイツとイタリアと同盟を結んでいたから、こうして自動的に「東アジア・太平洋の戦争」が、「ヨーロッパの戦争」に「連結」されることとなったわけだ。

 アメリカは開戦直後にイギリスとの間に「戦後の世界はこうしよう」という見通しを発表。のちに、イギリスのチームにはソ連も加わったのだが、ドイツを倒すためにはソ連の力を頼って「挟み撃ち」にする必要があったため、仕方がなかったのだ。

アメリカとソ連って、考え方が「間逆」じゃないですか。

歴史:だよね。
 そのことが、戦後に大事(おおごと)になっていくんだよ。

 最終的にアメリカはフランスからドイツを追い出し、ドイツはソ連とともに占領した。
 日本には恐るべき新型兵器の原子爆弾を一般市民の上から投下し、その直後に日本は降伏受け入れを認めた。

人類最初の核実験。


中央アメリカや南アメリカは、この時代にはどのような状況になっていますか?

歴史:アメリカを震源とする不景気の波が押し寄せ、仕事を失った労働者も増加した。

 アメリカは混乱する国内をまとめてくれる指導者が求め、軍事力と広い土地を持つ有力者がリーダーに選ばれた。
 彼らは、労働者に仕事を与えたり社会保障を充実させたりすることで、「票集め」をしようとしたので、国のお金の「使いすぎ」が「国の財布」(注:財政)の赤字を招くこともあった。

 戦争が始まるとほとんどの国はアメリカの側に立ったけど、アメリカに対して批判的なグループも各地で成長している。
 例えば、アメリカの“お隣”メキシコでは、大統領が中心になって石油や鉄道を「国のもの」にしている。「自分の国のものは、自分の国のもの」という考えだ(注:資源ナショナリズム)。
 「開発」を優先するか、国民の「平等」を優先するか、各地で意見が割れるけど、アルゼンチンやブラジルでは強力なリーダーシップを発揮して、工業化を進めようとする指導者が現れている。

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●1929年~1945年のオセアニア

歴史:オセアニアも、この時代の世界大戦と無縁ではなかった。
 日本が「絶対に確保すべきエリア」に設定した中に、オセアニアの大部分が含まれていたからだ。

 戦況が不利になると日本の占領していた地域は、今度はアメリカが代わりに占領することとなるよ。

オーストラリアやニュージーランドはどうなっていますか?

歴史:「自治領」という特別なポジションが与えられていたけど、この時期にイギリスは、イギリスの国王への忠誠と引き換えに、この2つの地域に自国と「ほぼ対等なポジション」を与えている。
 つまり「イギリス・グループ」(注:イギリス連邦)に所属することを条件に、「国」としての独立が認められたわけだ。
 直接支配するのも大変になっていたけど、切り離してしまえば経済的に不利になる。そのはざ間でくだされた結論だ。

先住民の待遇はどうなっていますか?

地理:オーストラリアにはアボリジニー、ニュージーランドにはマオリという先住民がいたよね。
 どちらにおいても後からやってきたイギリス系の住民と「同じ生活」を強いる政策がとられている。

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●1929年~1945年の中央ユーラシア

中央ユーラシアの大部分はソ連の支配下に入っていますね。

歴史:ソ連の実態は、「ロシア人の国が、“社会主義”を正義に掲げ、他民族を支配するためのグループ」だったから、実際にはロシアの支配下に入っているといっていい。

 平等に資源をあつめて平等に配るといっておきながら、実際にはアンバランスだ。

中央ユーラシアでは何か資源がとれるんですか?

地理:豊富にとれる。
 まず、カスピ海の沿岸では石油が掘れる。

 特にカザフスタンは資源大国で、亜鉛鉱、ウラン(核兵器の材料となる)、銀鉱、クロム鉱、銅鉱、ボーキサイト(アルミニウムの原料)、マンガン鉱などは今でも世界のトップ10に入っている。

クロムって聞いたことないですが。

地理:耐熱合金、磁石、電池に使用するものだ。マンガンも電池に使われる。どちらもレアメタル(希少金属)といって埋蔵量が限られているレアな金属だ。

でも、これだけ広い領土を支配するのは大変ですよね。

地理:そうだね。
 多民族国家にならざるを得ない(注:その逆は「単一民族国家」という)。
 表向きは、「すべての民族は平等」っていうんだけどね。
 ソ連と協力しているものの独立した国をつくっていたモンゴルも、この時代にはソ連と一緒になって日本の進出と戦っている。

 中国の支配下にあったウイグル人(イスラーム教徒がほとんど)やチベット人、一部のモンゴル人も、この時期に自分たちの国をつくろうとする運動が活発になっているよ。

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●1929年~1945年のアジア

○1929年~1945年の東アジア・東南アジア

日本はどうして中国と戦争することになったんですか?

歴史:国内の経済問題を、国外に領土を求めることで解決しようとしたんだ。
 世界中が不況になっても、植民地をたくさんもっている国はなんとか早期に立ち直ることができたのに対し、日本は長期にわたり痛手を負っていた。

 その頃の中国は、一応「中華民国」という国が全国を支配していたけど、それに従わないグループとの「内輪もめ」が続いていた。
 従わなかったのは、ソ連とも連絡し「労働者の国」をつくろうとしていたグループだ。

 「中華民国」のリーダーは、まずは国内の反対派をやっつけることを優先しようとしていた。
 日本が、北のほうに満州国という国をつくり、さらに中国の本土に侵入しようとしても、中国での「内輪もめ」は依然として続いていたんだ。

中国側は「一致団結」できなかったんですか?

歴史:ぎりぎりのところで両者の説得が成功し、ひとまず「内輪もめ」はやめて、日本という「共通の敵」と戦うことにしたよ。
 日本軍はただただ広い中国に引き込まれて、多くの死傷者を出しながらも決着のつかない「泥沼」にはまりこんでいく。

地理:日本軍はこの戦争の途中に黄河の堤防を破壊している。
 その結果、黄河の流れが南にそれて、この時期には黄河が淮河に合流する流路をとるようになった。

たしかにこの時期の歴史地図では、黄河の流れが南にそれていますね。


地理
:黄河はものすごい水量だから、歴史的に何度も氾濫を起こしてきた。そのたびに河口の位置も変遷してきたんだ。
 川がさまざまなコースを通ることで、土砂が降り積もっていった平らで湿っぽいエリアのことを「氾濫原」といい、河口には「三角州」ができる。

こういう「川によってつくられた平らな土地」(=平野)を沖積平野という。そうではなくて、「岩盤が長い時間をかけて削られて平らになった土地」を構造平野という。日本は地球の歴史からみれば「できたばかり」(=新期造山帯)なので、沖積平野が多い。


 中国では黄河の下流部のことは伝統的に「九州」といった。いくつもの「三角州(デルタ)」に分かれているという意味だ。

歴史:日本の指導者の中には「ひとまず戦争はやめよう」という人もいたけれど、結局は「さらに南に移動して、東南アジアを占領しよう」という考えが優勢になった。

どうしてそんなことを?

歴史:本音は、戦争が長引いたので安定的に資源を確保したかったからだ。
 でも、それでは占領される東南アジアの人たちも納得しない。

 当時の東南アジアはヨーロッパ諸国の植民地となっていたけれど、現地の人たちにこう呼びかけたんだ。
東アジアから欧米勢力を追い出した後で,日本が中心になって新しい東アジアを建設しよう!

 こうして日本は、フランス(当時はすでにドイツに占領されていた)、イギリス、オランダ、アメリカの植民地に進出し、これらの国と戦争状態に入ったんだ。

日本はアメリカとだけ戦ったと思っていました…。

歴史:でも日本は現地人による政治をいつまでたっても認めようとせず、戦争の終わりごろには日本を追い出そうとする運動が各地でさかんになった。
 このとき日本と戦った組織の指導者が、多くの国で戦後にヨーロッパから最終的に独立するときの指導者となっていくんだ。

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●1929年~1945年のアフリカ

アフリカはまだ植民地から抜け出せないんですか?

歴史:まだ植民地のポジションのままだ。

 世界恐慌で経済がやばくなっていたヨーロッパ諸国は、アフリカの植民地の資源を頼りに、自分の国の経済を立て直そうと必死だ。
 独立を保っていたエチオピアも、イタリアの植民地となってしまう。

イタリアはどうしてエチオピアに進出したんですか?

地理エチオピアの位置を見てみて。
 ここを押さえて海へと進出すれば、紅海の貿易ルートを確保することができる。
 実際に海側のソマリアの一部分も、イタリアが確保しているね。
 高原地帯ではコーヒーの栽培も盛んだ(コーヒーの原産地と呼ばれるカッファ地方)。

エチオピアのコーヒー生産地帯辻理グループのサイトより


歴史:植民地の入り乱れる北アフリカ一帯は、ドイツ・イタリア側とイギリス側によって激戦地となった。
 最終的にはイギリス側が奪回しているよ。

アフリカの人たちはどんな生活をしていたんですか?

地理:専門的な仕事に就くことのできるひとはごく一部で、ほとんどの人が農業に携わっていた。
 例えば、「チョコレート」で有名になったガーナは、植民地の時代にイギリスによってカカオの大農園があちこちにつくられ、そこで現地の人が働いた。もちろん無理やり働かせた例もある。
 すると、もともと「主食」として食べられていた農産物をつくるところは、次第に北へと移動していくことになったんだ。

でも北って、サハラ砂漠のある乾燥エリアですよね?

地理:そう。
 降るとしても季節が限られている場合も多い。
 そもそもサハラ砂漠の周辺は降水量が不安定だし、土地もやせている。
 米や小麦を食べるには輸入に頼るしかないし、もともと「利益中心」につくられたヨーロッパ諸国向けの農産物ばかりが育てられていたからね。

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●1929年~1945年のヨーロッパ

歴史:さて、この時代、ヨーロッパでまたまた「大戦争」が起きる。


 背景には、世界中で契機が悪化したことを受け不安に感じた人々の心理が、暴力的な指導者を国のトップにつかせてしまったという面もあるかもしれない。


どことどこが戦争を起こしたんですか?

歴史:「1度目の世界大戦」で莫大な賠償金を課せられていたドイツが、同じく国際的にハブられていた「ソ連」と組んで、国際連盟を引っ張っていたイギリスやフランスに挑戦したんだ。
 「いじめられっ子どうしが組んで」戦争を起こした形だ


でもソ連って労働者の国をつくろうとしていたわけですよね。どうしてドイツなんかと組んだんですか?

歴史:ドイツは当時、世界的不況の影響をもろに受けて物価が急上昇し、街には失業者があふれかえっていた。
 そんな中、「悪いのは賠償金を課しているイギリスやフランスだ!」
 「敵はドイツの中にいるユダヤ人だ! ユダヤ人が富を牛耳っている!」(注:反ユダヤ主義
 「ドイツ人が生き残る道はただひとつ! イギリスやフランスに「押し付けられた条約を破棄して、領土を回復させることだ!」と、過激な主張をアピールする政党が政権をとったんだ(注:ナチ党)。


それは大変です。

歴史:ソ連ははじめこのドイツの拡大傾向を警戒した。

だって、ドイツが東に領土を拡大すれば、必ずやソ連のほうに進出してくるはずだからだ。
 それにドイツはイタリアと組んで、スペインでも同じような考えを持つ指導者をサポートした。当時のイタリアでは、ドイツと同じように「国民の権利を制限して、国の力を強める」ことで、強い国をつくろうとするリーダーが独裁体制を固めつつあったんだ。

 ソ連は世界中の人たちに叫んだ。「このままでは、自分の国のことばかり考えて、平和をぶち壊す組織がのさばってしまう。細かい主義や信条の違いは「おいといて」、人間の自由を壊す「ファシズム」に反対する運動を世界中で起こそう!」と主張した。


ソ連の「仲間探し」はうまくいったんですか?

歴史:フランスとスペインでは、共産党がほかのグループと協力して、「ファシズムに立ち向かう政府」(注:人民戦線政府)が樹立された。

地理フランスの新政府では、労働者向けの政策(注:労働者は必ずバカンス(長期休暇)をとらなければならないという法律)が行われたけど、しばらくして路線の対立から政権は崩壊。

歴史:スペインも、そのまま内戦へともつれ込んでしまう。

 でも結果的にソ連はなんと、ドイツとタッグを組むことを選ぶことになるんだ。


え…ソ連は「ファシズム」反対派だったんですよね? どうしてその「ファシズム」を掲げるドイツと組むなんてことが?

歴史:もちろん当時の人たちもびっくり仰天(注:日本政府も)。
 ソ連はイギリスとフランスのことを警戒していたからだ。
 イギリスとフランスがドイツに甘いのは、「ドイツを使って、ソ連をつぶそうとしているんじゃないか」と疑ったんだ。

 そこで、「ドイツと組む」という世界があっと驚く方針転換をしたわけだ。

ソ連とドイツの「パートナーシップ」は、長続きしたんですか?
歴史
:いや、長くは続かない。
 ドイツが南東方向に領土を広げようとしたことに、ソ連が反発したんだ。
 結局ドイツとソ連との間には戦争が勃発し、ソ連はイギリス側に立ってドイツと戦うことになった。

「ソ連がイギリス側に立つ」っていうのも変な話ですね。

歴史:「ドイツが敵」っていう「一点」のみでの提携だ。
 国の運営の方法をめぐっては、決して一致はしていない。
 あくまで現実主義的な選択だ。

 戦いはもはや「なんでもあり」。
 一般市民をねらった空襲や、特定の民族や障害者の抹殺をねらった無差別大量殺人などもおこなわれた。

イタリアもドイツも結局負けたんですよね?

歴史:そうだね。順次負けていく。
 イタリアが降参し、フランスがドイツから解放され、その後ドイツも降参した。

フランスはどうやって解放されたんですか?

地理アメリカやイギリスの連合軍がノルマンディー海岸から上陸したんだ。
 ノルマンディー海岸には切り立った崖がずーっと続いている。
 打ち寄せる波によって削られてできた崖(注:海食崖)だ。

Photo by Veronika Nedelcu on Unsplash

 ドイツはまさかこの地点から連合軍が上陸するとは思っていなかった。
 ロンドンに移動していたフランスの亡命政権のリーダーも、直前までこの作戦について知らされていなかったほどだ。
 連合軍も、ドイツに作戦計画を見破られないように、あたかも正真正銘の作戦であるかのような「ダミーの計画」を進めるほどの用意周到さである。

歴史:ドイツが降参する際には、「なにも条件はつけません。どんな形の処置になるのかは、戦勝国のみなさんでご自由にお決めください」という形の無条件降伏がとられた。
 まさに、勝者こそが「正義」というわけだ。

敵がいなくなってしまったら、イギリスとソ連の間には対立も生まれますね。

歴史:その通り。 
 すでにアメリカも交えて、ドイツが滅びる前から「戦後の世界をどうするか」ということについて話し合いが持たれていた。

ドイツが降伏する3ヶ月前におこなわれた会談の記念写真。


 基本的にドイツを追い出すことができれば、そこの住民は喜ぶよね。
 だから、ソ連がドイツを追っ払えば、そこの住民はソ連に頭があがらなくなる。
 ユーゴスラビアのように自力で解放できたところでは、ソ連のいうことなんか聞かないっていう態度がとれるわけだけれど、東ヨーロッパのほとんどの国々では、ソ連のいうことを聞かざるをえなくなっていったわけだ。

大戦中のユーゴスラビアが舞台。


イギリスやアメリカにとってはいや~な展開ですね。

歴史:だよね。

 ソ連の勢力圏が西に広がるわけだもんね。

 結局、ドイツは西をイギリスやアメリカが占領、東はソ連の占領下に置かれた。

地理:このとき東側のドイツとポーランドの国境は、暫定的にオーデル川とナイセ川を結んだラインに設定されているね。

ポーランドの位置がちょっと東側にズレていませんか?

地理:それがロシアの思惑だ。
 ドイツ、ポーランド、ロシアの間には東ヨーロッパ平原が広がっているから、もともと明確な地形的境目がない
 かつてモンゴル人もポーランドまで遠征しに来たこともあったよね。

 実質的にロシアの勢力圏がポーランド側に広がり、それにともなって「復活することになったポーランド」の勢力圏もドイツ側に広がる形となったわけだ。

表紙の地図の「赤い部分」が、ドイツから取り上げられてポーランドの領土となった。


歴史:実はバルカン半島も、秘密裏にイギリス側とソ連側で勢力圏が決められていたんだよ。

イギリスとソ連の間には、ヨーロッパの「取り分」に関する取り決めが存在した(注:パーセンテージ協定)。

 でもイギリスは今度の戦争で本格的に「へとへと」。
 ソ連の軍事力に立ち向かうためには、もはやアメリカの力を頼らざるをえなくなっていくよ。

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