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同時に学べる!世界史と地理 Vol.25 1953年~1979年の世界

アメリカとソ連の「にらみ合い」が続くが、国際関係が複雑化する時代


まだ世界には植民地がたくさん残っていますね。

歴史:おまたせ。この時代、ようやく植民地が独立していく。

よかった!

歴史:そうとも限らないんだ。

 そもそも植民地だったところがそのまま「ひとつの国」として独立するのは、とても難しい。その境界線は、地元の「文化の境界線」を無視してヨーロッパ諸国が勝手に決めたものだからだ。


ネガティブですね。
長い間、支配に置かれていただけあって、複雑なんですね。


歴史:複雑といえば、国際関係は前よりもっと「複雑」になる。



冷戦。


歴史:そう冷戦というアメリカとソ連のにらみ合い
 2度目の世界大戦が終わってからというもの、自由な競争を認め、地球上どこでも好きなように取引ができるよう状態を目指すアメリカと、その反対に自由な競争を禁止し、「貧富の差」をなくそうとしているソ連の「にらみ合い」が続いていたね。
 お互い核兵器を手にしてしまったがために、「直接対決」には「恐ろしすぎて」踏み込めない。
 そのかわり「子分」たちに、ライバル国の「子分」と戦わせ、自国の「理想」に従ってくれる地域をできる限り増やそうとしているよ。
 「理想」といっても、支配するための「口実」に過ぎないのだけれど。

世界のいろんな地域が、アメリカとソ連のいずれかの「正義」に従うかによって「色分け」されていったということですね。

歴史:そういうことだ。
 
 でも、この時代になると、その「正義」に従ってくれない地域も各グループに現れるようになる。

 そのきっかけとなったのは、ソ連に君臨していた強力な指導者の死だ。
 彼はほとんど「」としてあがめられるような存在(ということになっていたもの)だったから、「ロス」も大きかった。

 その一方で彼のせいで自由な意見をいうことができなかった反対派たちが、死後しばらくして批判を始めたんだ。

 そして訴える。
 「前の指導者のことが嫌いになっても、社会主義のことは嫌いにならないでください!」と。

 しかし、「なんだ、さんざん命令してきたくせに、前の指導者はそんな悪行をはたらいていたのか」と、東ヨーロッパでソ連の「子分」となっていた国々では不満が爆発する。


 さらに、中国も「ソ連を信じたのがバカだった。これからは中国流で社会主義を実現させる」とそっぽを向きはじめてしまう。

毛沢東は「大躍進」をスローガンに掲げ、独自でのパワーアップをねらった。


ソ連側の結束が乱れるんですね。

歴史:アメリカ側も一体感が崩れだす。
 ヨーロッパも日本も戦後の復興が進み、アメリカの会社を逆に脅かしはじめていた。
 
 そこで、アメリカとソ連は一時期「仲直りムード」(注:雪解け)に傾いていった。
 でも、長続きはしないよ。
 アメリカのすぐそばの島、キューバにソ連のミサイル基地が建設されていることがわかったからだ。

それ、やばくないですか? アメリカはどういう対応をしたんですか?

歴史:3度目の世界大戦「寸前」といわれたけれど、ぎりぎりのところで踏みとどまったんだ。

 でも、社会主義が広まるのを恐れたアメリカは、今度はベトナムの政治に首を突っ込んでいくこととなる。

 このベトナム戦争は、何も悪いことをしていないベトナムの人たちを巻き込み、国内外で批判を浴びた上、長引きすぎて財政が悪化してしまった。


 さらに貿易も赤字になり、追い打ちをかけるように石油の値段が世界的に跳ね上がって、経済をさらに圧迫した(注:第一次石油危機)。

どうして石油の値段が上がったんですか?

歴史:西アジアのアラブ人の国々が、いつまでも軍隊を置き続け、ユダヤ人の建てたイスラエルを応援するイギリスやフランスに対抗するために、石油の生産を減らして値段をつり上げたんだ。
 国民にユダヤ人を抱えるアメリカも、その標的になるよ。

ヨーロッパ諸国やアメリカは「試練のとき」を迎えていますね。

歴史:そうだね。
 困った先進国は、しだいに「お金の節約」法を検討するようになる。
 つまり、国民の福祉のお金を削り、会社どうしが自由に競争するのを応援するようになっていくんだ。国があれこれ手を出すとお金がかかるし、つぶれそうな会社にお金をかけて助けるよりは、競争を勝ち抜いた会社にたくさんもうけてもらったほうが良いと考えられたからだ。


アジアやアフリカの国々は貧しいままなんですか?

歴史:いきなりヨーロッパ諸国やアメリカに追いつくのは難しいよね。
 社会主義に魅力を感じてソ連と結びつく指導者もいたけど、ソ連の支配者の本音は「そこにある資源がほしいだけ」って感じだったから、「国民の幸せは二の次」になりがちだった。

地理:アメリカ側についた国々は、まずは一生懸命アメリカの技術をパクろうとした。
 輸入していた商品をまず自分の国でつくれるようになることが、工業化への「最初のステップ」だからだ。
 これを輸入代替工業化という。

歴史:でもそのためにはお金が要るし、効率よく工業化をすすめるためには、「強いリーダーシップ」で国をまとめ上げることも必要だ(注:開発独裁)。
 アメリカはそういった国の独裁者たちに、「工業化をすすめるため」「農業の生産を高めるため」ということで莫大なお金を貸したりあげたりした。 そのお金に依存したり、国民のために使われない例もよく見られたよ。

そうなると、世界中で自然破壊も進むのではないですか…?

地理:その通り。
 今までは工業化の進んでいなかった地域でも工場が建てられたり、道路ができたりするからね。
 農業の機械化もすすんで食料がたくさんつくられるようになるし、病院も建てられたり医療技術のクオリティも上がったりして、世界各地で「人口が増えまくる」のもこの時代(注:人口問題)。
 そうなると食べるものが足りなくなって畑や牧場も増えていくし、燃料にするために森が切り開かれ、化石燃料も掘り起こされていった。

化石燃料って何ですか?

地理:はるか昔の地球に生えていた植物や動物の残骸が、ながいながい年月をかけて圧縮されて、いろんな成分が抜けてしまったものだ。
 固体のものを石炭といって、液体のものを原油、気体を天然ガスという。
 これがよく燃えるんだ。

 石炭は世界のいろいろなところに分布している。だけど掘られまくった結果、2007年の時点で「このままいくとあと83年でなくなる」(注:可採年数)とみこまれているよ。ただ採掘技術が進むと、今までは取れなかったケースでも取れるようになっていく(注:次の時代になると、今まで取れなかった地層からも石油が掘れるようになっていった(シェールガス革命))。


石炭はなんのために使われるんですか?

地理:燃やして燃料のためにつかったり(注:一般炭)、固い鉄(注:鉄鋼)をつくるための材料としてつかわれる(注:原料炭)。

 日本、アメリカ、西ヨーロッパなどは、石炭に頼って工業化を達成したけれど、西アジアから石油を輸入するようになって以来、石炭から石油にエネルギーのもとが代わっていった(注:エネルギー革命)。


歴史:はじめのうちはみんな「無意識」であったわけだけど、しだいに「このままだと、いつか人間の使える資源はなくなるんじゃないか?」ということに気付く人も出てくるよ(注:成長の限界)。

 ちなみにコンピュータの開発も、この時期に進んでいく。
 もともとは爆弾を正確に飛ばすために軍隊で開発された技術だった。コンピューターとは「人間だったら考えられないほどのスピードで計算できる機械」のこと。
 これが次の時代になると、人間の社会を根本的に変えるほどのインパクトを発揮することになるよ。


世界は相変わらず「平和」とはいえませんが、結びつきはますます強くなっているようですね。

地理:そうだね。
 大型のジェット機が開発され、空の旅が「ふつうの人」にも楽しめるようになっていったんだ。
 各地で経済の復興が進むと、先進国を中心に海外旅行もブームになっていったんだ(注:マスツーリズム)。


人の移動のほかに、物の移動はどうですか?

地理:物を船で運ぶ標準規格が導入され、運ぶことのできる物量が飛躍的に増えたよ。

どんな規格ですか?

地理直方体の箱のサイズを定めて、そのサイズに合う船、クレーンや倉庫などの港の設備が導入されていったんだ。


 サイズを同じにしておけば、陸揚げ後にトラックにそのまま乗せれば、内陸輸送に連結できる。
 この「コンテナ」の発明によって、「海の輸送」と「陸の輸送」が地球規模で連結されることになったわけだ(注:物流革命。モーダル・シフト)。

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●1953年~1979年のアメリカ

アメリカ合衆国はソ連の仲が悪化していますね。

歴史:そうだね。
 でも、ソ連の最高指導者が亡くなったことがきっかけとなって、いったん「頭を冷やす」時間がもうけられた(注:雪どけ)。

それは良いことですね!

歴史:うーん…ただ、水面下で対抗関係は続いているよ。
 ソ連が先に「地球外にロケットを飛ばして、地球のまわりをぐるぐる回らせる機械」(注:人工衛星)を開発することに成功したからだ。
 これにアメリカの科学者たちはショックを受けた。
 爆弾を積めば、宇宙からの攻撃だって可能になるよね。


ついに冷戦は、地球外にまで舞台を広げたわけですね…。

歴史:その通り。
 人類の宇宙時代の幕開けだ。
 アメリカは躍起になって開発をすすめ、「月に人類を送る」ことに成功した。

 でも、大陸をこえる核ミサイルの開発はどんどん激化し、一時、ソ連とアメリカの間に核兵器を使った3度目の戦争が勃発するかしないかの「瀬戸際」にまで発展したんだ。

それはヒヤヒヤものですね…。

歴史:ギリギリのところで回避したんだけど、対立はつづく。
 アメリカの政治家は、「ソ連は自分の“子分”をドミノだおしのように増やしていく。どこかで止めないと、大変なことになる」と考えていた。
 
 「次にソ連の “子分” となるのはベトナムだ」と考え、ベトナムの社会主義国化を全力で阻止しようとした。

そんな理由で、そんな遠いところに連れていかれる兵士も大変ですね…。

歴史:国内では若者による戦争反対運動が激化した。
 戦場カメラマンが現地の悲惨な様子をレポートしたからだ。
 Tシャツを着て、フォークやロックを歌って愛と平和を叫んだんだよ。

 「大人はわかってくれない」と「上の世代の政治家」への反発が強まると(注:カウンターカルチャー)、「新しいアメリカ」をつくろうとする動きが活発になった。



 とくに、今までろくに発言権もなく苦しんでいたインディアンや黒人、それに女性たちが権利を求めて声をあげるようになったんだ。

(上)黒人(※ムスリム、(中)インディアン、(下)フェミニズム それぞれの権利を求めて


ベトナムでの戦争の行方は?

歴史:お金の使いすぎと国内外の批判を受け、大統領は撤退を決めた。

 でも、ベトナムから軍隊を撤退するなら、作戦の変更が必要だ。
 撤退したらベトナムは社会主義国になってしまうだろうからだ。

 そこで目をつけたのが、当時起きていた社会主義国の「仲間割れ」だ。
 ソ連が“子分”だと思っていた中国が、ソ連に対して反抗的になっていたのだ。

 当時の中国は、国際連合の常任理事国ではなかった。
 そこでアメリカは、中国に「常任理事国にさせてやるから、その代わりアメリカに協力してくれないか?」と誘ったのだ。

この発送の逆転を推し進めたのは、大統領顧問官だ。


でも、中国も社会主義国ですよね? アメリカは血迷ったんですか?

歴史:ソ連と中国を比べたとき、ソ連のほうが「より大きな敵」だと判断した。

 非常に現実主義的な選択だよね。
 中国と仲良くしておけば、中国との関係の悪いベトナムが社会主義国になっても、中国がなんとかしてくれるはずだと考えたわけだ。

歴史:――とまあ暗い話題ばかりだけど、この時期のアメリカ合衆国は、特に前半は「世界一の豊かさ」を謳歌(おうか)するよ。
 たとえばデトロイトという街では自動車の産業も盛んだ。「アメ車」が輝いていた時代だね。
 ビートルズ、マイケル・ジャクソンといったアメリカの文化は世界中の憧れの的となっていったんだ(注:パックス・アメリカーナ)。

地理:所得水準があがったことで休み(注:余暇)もとりやすくなった。
 巨大テーマパークであるディズニーランドもこの時期に建設されているし、「自動車がなければ何もできないような社会」が進んで(注:モータリゼーション)、自動車で直接買い物に行く郊外の自動車道路沿いのショッピングセンター(注:ショッピングモール)もどんどん巨大化していった。


生活水準が高くなっていったんですね。

地理:そうなると生活に余裕ができるから、カリブ海とかフロリダのリゾートとか、ロッキー山脈のスキーリゾートなんかも人気を博するようになっていった。

 でも、もちろん所得の格差もある。

 都市中心部では車やゴミなどで環境が悪化し、そこに所得の低い人たちが住むようになっていった(注:インナーシティ問題)。

 お金持ちはそんなところに住みたくないから、郊外に家を構える。
 となると、都市の中心部のことにはあまり関心を抱かなくなり、建物が古くなって、電気・ガス・水道・食料の輸送ルートが整備されていなくても放置されがちになってしまう。


どうしてそんな格差が生まれてしまうんですか?

地理:アメリカの場合は黒人や外国人への差別が関係していることが多いよ。

中央アメリカや南アメリカはどんな感じですか?

歴史:やはりアメリカの影響力がとても強い。
 カリブ海のキューバという島では、アメリカとつるんでいたリーダーを追放し社会主義の国をつくることに成功している。

だけど、その他の地域でそんなことが起ころうものなら、アメリカによる秘密作戦によって反抗したリーダーが「消され、アメリカに忠実なリーダーに「取り替え」られてしまうというようなことも起きたんだ。


 伝統的に軍隊の力も強い国が多く、国民の「人気とり」によって票を得ようとする政治家も多く、社会のゆがみは根本的にはなくならなかった。


強引ですね…。

歴史:アメリカの政治家たちは、「お金を貸し付けて産業を活性化し、社会が豊かになっていけば、あとは勝手にアメリカの側に立ってくれるはずだ」と考えていた。
 このときにこの地域の国々が借りた莫大な資金が、のちのち「返しきれないほどの借金」となって経済を苦しめることになるよ。

地理:南アメリカのブラジルでは軍人が政治家になって、開発をすすめようとしている。ターゲットになったのはアマゾン川流域の熱帯雨林だ。
 熱帯雨林を切り開けば、農業・林業だけでなく鉱産資源も手に入れることができるからね。


どんな資源が取れるんですか?

地理:ブラジルの南東部では質の良いで鉄鉱石がたくさんとれる。
 ここから大西洋沿岸まで運ばれると、アメリカや中国、日本へと輸出される。
 北部のカラジャスというところでも鉄鉱石はたくさんとれる。

 ブラジルはこれを国が運営し、鉄道(注:カラジャス鉄道)で積み出すことで国の収入を増やそうとしたんだ。

 首都も、ブラジルの中央部にあたるブラジリアという計画的につくられた都市にうつされているよ。なんと「飛行機の形」をした都市で、ブラジルの北部・北東部・中西部の開発のために首都を国土のだいたい真ん中に持ってきたのだ。

農産物もとれますよね?

地理:ブラジルはコーヒーが有名だね。
 でも、この時期には農業の機械化も進み、農業にはそんなに「働き手」が必要ではなくなっていった。
 それに引き換え、都会の工場やサービス業の「働き手」の求人は増えていく。

っていうことは、ますますたくさんの人が都会に移動するようになりますね?

地理:そうなんだ。
 でも、受け入れる都市に十分な家があるわけではないし、水道や学校が整備されているわけではなかった。
 田舎から都会にやってきた貧しい人たちは、今まで誰も住もうとしなかった急な斜面とか、湿った土地に自由に住みつき、集落をつくるようになっていった。こういうところをスラムというよ。

治安が悪くなりそうですね。

地理:都会の整備が追いつかないがゆえの問題だ(注:都市問題)。
 カタギで頑張る方法もあるけど、プロのスポーツ選手をめざせば「一攫千金」も夢じゃないということで、ますますサッカーが盛んになっていくよ。

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●1953年~1979年のオセアニア

オセアニアの地域の独立は進んでいますか?

歴史:なかなか進まない。
 小さな島が多いので、独立しても「やっていけない」ところも多かったんだ。

 ただ、イギリスもフランスも「植民地を維持する力」を失っていて、この時代の終わりごろになると独立に向けた動きが進んでいくよ。


産業を発展させるにも、国土が狭いんじゃ大変ですしね。


地理
:熱帯地域だから、生産できるとしたらサトウキビとかコプラとか。

コプラ?


地理:ココヤシの木の実からとれる「あぶら」だ。洗剤や石鹸、シャンプーの材料となる。
 アブラヤシ(下図)っていう木もやはり「あぶら」がとれる(注:パーム油)。

 「植物系洗剤」って銘打っているものは、たいていこういったものが原料だ。


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●1953年~1979年の中央ユーラシア

ユーラシアの草原地帯の多くは「ソ連」か「中国」の一部になっていますね。

歴史:そうだね。

 伝統的な言葉や文化を否定された人たちも多かった。
 
 「○○スタン」という名前の国がいくつかあるよね。

 この地域も、ソ連の指導者の都合によって「民族運動が盛り上がらないように」意図的に引かれた国境線だったから、おなじ国だからといっておなじ民族が暮らしているとは限らなかったんだ。

 中国でもチベット人やウイグル人、モンゴル人の権利は、かなり制限された状態になっている。

モンゴルって独立してませんでしたっけ?

地理:「外モンゴル」と呼ばれる北部は独立しているけど、南部の「内モンゴル」は中国の領域に入っているんだ。
 外モンゴルはソ連の影響下にあって、社会主義の国づくりを進めている。

 かつては「民族の英雄」だった遊牧民のリーダーの名誉は否定され、モンゴル語はロシア語と同じキリル文字で書かれるようになっている。

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●1953年~1979年のアジア

ソ連側に立つか、アメリカ側に立つか。
それをめぐってアジアは「巻き添え」を食らっていましたね。

歴史:朝鮮半島で大きな戦争が起きていたよね。
 北のほうをソ連、南のほうをアメリカがバックアップしていたんだった。

 しかし、ソ連の最高指導者が亡くなったことがきっかけで、朝鮮半島は休戦するよ。
 ベトナムでも、同じように北をソ連、南をフランスがバックアップしていたんだけど、こちらもフランス劣勢のまま休戦した。


「休戦」ってことは、決着はついていないってことですよね。

歴史:うん。実質的には「先延ばし」だ。

 ベトナムからはフランスが撤退したんだけど、そこへ今度はアメリカ合衆国が「社会主義を広めない!」という使命感から南側の政府をバックアップしたもんだから、その後アメリカは北の政府との泥沼の戦争に突進していく。
 最終的にあきらめて撤退するけどね。

アメリカかソ連側の「二者択一」意外に、チョイスはなかったんでしょうか?

歴史:「アメリカでもなくソ連でもない、第三の選択肢」を掲げる指導者も現れるよ。

 ソ連との関係が悪くなった中国が、インド、スリランカ、パキスタン、ビルマ(以上は元イギリスの植民地)、インドネシア(元オランダ植民地)と組んで、「アメリカ合衆国とソ連よ、いつまでアジア、アフリカを困らせるんだ!」とクレームをつけたのがはじまりだ。

 インドネシアでも、アジアやアフリカの植民地から独立した諸国が集まって、「わたしたちはアメリカにもソ連にもつかない!」と宣言した。


それでもアメリカ側についた国々には、何かメリットがあったんですよね?

歴史:経済的なメリットが大きい。
 たとえば、日本、韓国、フィリピンやタイ、シンガポールといった東南アジアの国々はアメリカ側についたよね。

 どの国も、国が大きな力を発揮して、一致団結した経済成長が図られていったよ。

 順番的には日本がトップランナーで、それを韓国やシンガポールが追いかけていったんだ。

 日本の場合は、こう。
 太平洋岸に鉄鋼の工場や石油化学コンビナートをじゃんじゃん建てる。
 復興のためには鉄鋼やアルミニウムといった、産業に欠かすことのできない基本的な素材(注:基礎素材型産業)の生産力をアップすることが重要と考えられたんだ。
 それが一通り発展すると、今度は自動車や電化製品・電子部品(コンピューターの頭脳の部分)を組み立てて輸出する産業(注:加工組立型工業)が発展していく。製品の研究開発は大都市の近くで、地方では「高卒の働き手」を中心とする工場が建てられることが多かった。

 愛知の豊田市のように、町そのものが特定の会社の関係会社や「下請け」の会社によって持っているところも現れた(注:企業城下町)。
 大企業でなくても、伝統的な工業(注:地場産業)を地方でがんばっているところもあるし、大都市の近く(注:住工混在地域)で高い技術力を発達させた中小企業の力も見逃せない。

 この経済成長の過程では、「独裁なんじゃないの?」って思える指導者もなかには現れるよ。
 社会主義を広めないためには、少々「手荒」(てあら)な指導者であってもやむを得ないと考えられたんだ。
 「アメリカのいうことさえきっちり聞いてくれればいい」というわけだ。


社会主義の側の国は、経済を成長させることはできたんですか?

歴史:例えば中国だね。
 「アメリカなんてすぐに追い抜いてやる!」と、農民たちを総動員して経済成長を目指したよ。
 農民の人口だけは負けないからね。
 でも結果は大失敗。
 名誉挽回をねらった指導者によって、長らく大混乱が続くよ。

 その間、日本ではアメリカのバックアップもあって、経済が「V字回復」している。
 その日本からの経済援助もあって、今度は韓国が経済成長していくよ。


この頃、西アジアはどんな情勢ですか?

歴史:ソ連が南に支配エリアを広げることをおそれ、アメリカ合衆国がいろんな作戦を実行しているよ。

 ソ連(ロシア)が南に下がってくるとしたら、もっとも「要注意」な箇所のひとつがトルコだ。
 トルコまで下がってしまえば、地中海に出ることができてしまうからね。

 そこで、トルコ、イラク、イラン、パキスタンにかけて、アメリカ合衆国を“親分”とする軍事同盟が結ばれたよ。

でも当時のアジアやアフリカでは、アメリカ側にもソ連側にもつきたくない!という国が増えていたんですよね?

歴史:そうそう。
 その筆頭格がエジプトだった。
 エジプトは、イギリス軍が依然として軍を配備していたスエズ運河の国有化を宣言。
 ヨーロッパ諸国の支援するイスラエルという国とともに、イギリスとフランスは「スエズ運河をとりかえすため」の戦争となった。
 これに対してアメリカやソ連が距離をとったため、戦争はエジプトに有利に働くよ。

 この結果エジプトの大統領の株は上がったけど、イスラエルは再び戦争を起こしてエジプトは領土をもぎ取られてしまった。


イスラエルに対する反発も起きそうですね。

歴史:そうだね。
 アラブ人の間ではアメリカに対する反発もエスカレートしていき、イラクでは革命によって王様が倒されアメリカとの同盟も解消されていた。
 そこでアメリカが“子分”として選んだのはイランの王様だった。

 一方、アラブ人の国々はイスラエルと、それをバックアップするアメリカ合衆国に対する「リベンジ」の計画をちゃくちゃくと進めていた。
 その結果思いついたのが、「石油の値段のつり上げ作戦」だ。

石油の値段を吊り上げる?

歴史:そう。
 西アジアは世界有数の産油地帯。
 当時は世界的に、「自分たちの国でとれた資源は、自分たちの国のもの!」という風潮が高まっていた。
 この地域の石油会社を伝統的に牛耳っていたのはヨーロッパやアメリカ系の企業だったけど、それに対抗するアラブ人による石油価格を決める組織もつくられていた。

 その組織が中心となって石油の値段をつり上げ、イスラエルとそれを応援する欧米諸国を困らせようとしたわけだ。

 こうして日本を含む欧米諸国は、これまでの「中東の安い石油」に頼った工業化による経済成長プランを、根本的に見直さざるをえなくなっていくよ。

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●1953年~1979年のアフリカ

アフリカはまだ「植民地」として支配されたままでしょうか?

歴史:ついに独立への動きが現実化するよ。
 まずはサハラ砂漠の北にある国々から始まって、奴隷貿易の盛んだったサハラ砂漠の南の方の地域も次々に独立していった。

ついにアフリカにも明るい社会が訪れそうですね!

歴史:「独立すれば、すべてがよくなる」。
 はじめはみんなそう思っていた。
 だけど、そんなに甘くない。
 だって、ヨーロッパ諸国だって「資源取り放題」「物売り放題」「核実験し放題」の植民地をやすやすと手放すと思う?

うーん…。でも、「独立」した国は誕生したわけですよね。それでも「首輪」がつながれているってことですか?

歴史:そう。「首輪」だ。
 例えば、新しい国をつくるといっても、その場所にはたくさんの民族がいたわけだ。
 植民地支配を受けていた時期には、「特別扱い」をされていた民族もいれば、ハブられていた民族もいたわけで。
 だから、どの民族も仲良く平等に新しい国をつくろうってことにはなりにくい。

 「独立の父」を出した民族は、独立後も新しい国の中で「特別待遇」を受けることもあって、それがもとでギクシャクすることにもなりかねない。
 「国の言葉」を何にするか、「国の文化」を何にするのかでもモメてしまう。
だからたいてい国の言葉は、もともと支配していたヨーロッパ諸国の言葉になりがちだ。

アフリカの人たちにヨーロッパ諸国の言葉がわかるのでしょうか?

歴史:生活に必要なレベルの会話程度なら話せる人もいた。
 でも、そもそもヨーロッパ諸国は本気でアフリカの人たちのために教育なんてする気はなかったから、専門的な力まではなかなか育たない。
 というわけで、結局新しい国の支配者は、もともと植民地時代にエリートだった特定の人たちに偏りがちだ。

ヨーロッパ諸国が特定の民族だけ「ひいき」するのにも「裏」があるんでしょうね。

歴史:その通り。
 例えばその場所が地理的に重要なポイントだったり、そこに大量の地下資源が眠っていたりといった具合に。

農業をさかんにすることはできないんでしょうか?

地理:この時代の終わりごろから、サハラ砂漠の南の端ほう(注:サヘル)では、「雨のシーズン」(注:雨季)が短くなる現象が起き、作物の生産が滞るようになるんだ。

サヘルに位置する西アフリカのセネガル


 それに加えて人口も増え、畑や牧場を増やすためや生活のために森林が伐採され、ますます砂漠化が進んでいった。

「生活のため」?

地理:電気やガスが普及していないから、料理をするにも木を燃やすしかないよね。

 人口が増えれば必要な薪(たきぎ)も増えるから、ますます森林は破壊されていくことになったんだ。

 そもそもサハラ砂漠の周辺は降水量が不安定だし、土地もやせている。
 米や小麦を食べるには輸入に頼るしかないし、もともと「利益中心」につくられたヨーロッパ諸国向けの農産物ばかりが育てられていたからね。農業の近代化(「緑の革命」)も図られていくことになるけど、それが必ずしもその土地の方法に合うとも限らない


うーん…独立したてのアフリカの国々も、地下に眠る資源を外国に売れば、もうけることができるんじゃないですかね?

歴史:うーん、そこがなかなか難しい。
 ヨーロッパ諸国があの手この手を使って、地下資源を自分の手にとどめようとしたからだ。

どうやってですか?

歴史:例えば、「援助」をした見返りに、地下資源をもらうといった形をとった。
 ヨーロッパ諸国にとっては、「なんのために」援助するかということは大切じゃない。「どのくらい資源を得るか」ということがアタマにある。だから、現地の人のことを考えない援助ばかりがおこなわれ、援助物資が支配者によって「横取り」されることも起こった。

それじゃあ意味ないですね…。

歴史:それに、物を売るっていっても、アフリカ側が販売価格を自分で決められるわけではない。
 価格を決めるのは、あくまでヨーロッパやアメリカの諸国だった。
 そこで、当然こんな主張も出てきた。

 「世界経済という「ゲームのルール」は,地球の北側(欧米)がつくったものだ。このゲームは,最後には北側が有利となるようなルールになっている。だから,いくらがんばっても南側(アジア,アフリカ,ラテンアメリカ諸国)は豊かになれないのだ」

なるほど。それじゃあ、いつまで経ってもアフリカは貧しいままですね。

歴史:貧しいままにしておいたほうが、ある意味「都合が良い」わけだ。
 でも、治安は安定していたほうが安定して資源が得られるから、それを締め付けるだけの強力な独裁者も現れやすい。

 ソ連とアメリカも「子分」をつくろうと必死だ。エチオピアでは長らく続いた皇帝が倒されたて、社会主義の国づくりが始まった。

 10年、20年も連続して大統領の座にとどまり続けるような人物すら現れる。

でも、それはひとえにアフリカの人たちの責任というわけではなさそうですね。

歴史:そうだね。アフリカは,植民地時代のモノカルチャー制度が残り,環境が破壊され,産業も未発達のまま。
 さらにさかのぼれば,大西洋の奴隷貿易によって,労働力がアメリカ大陸やヨーロッパに奪われたことも,傷跡として残っていると考えられる。
 こうした「力関係」をなおために、国際連合も動き出しているけど、根本的な解決には至っていない。

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●1953年~1979年のヨーロッパ

歴史:ヨーロッパにも、ソ連の指導者が亡くなったことの余波が出ているよ。

亡くなったってことは、ソ連の「子分」だった国では「お悔やみ」ムードになったんじゃないですか?

歴史:たしかに彼の死は多くの国にショックを与えた。
 だけど死後数年経って、彼の生前の「悪事」が明るみになるや、形勢は一変する。

自分のことを「神様」レベルの存在としてあがめさせ、敵対する人たちを追放・処刑していたんですよね。

歴史:そう。恐怖によって押さえつける体制をとったんだ。
 対抗する資本主義をつぶすためだという“正義”はあったわけだけど、どう考えても独裁者による暴走だ。

 これに関する秘密報告が徐々に明るみになると、今まで「子分」としてソ連の理想に従っていた国々からもさすがに不満が噴出した。

 「「純粋」に「夢の国」をつくりたいと思って従っていたのに、なんてひどいことをしていたんだ!」とか、「「しっかりした人」だと思っていたのに裏切られた!」とかね。
 ソ連の近くにあっても、もともと言うことを聞いていなかった国もあったわけだけど、多くの「子分」の国では政党は共産党しか認められず、いろんな面で我慢を強いられていた。

 ポーランドやハンガリーでは暴動が起きるし、中国や東ヨーロッパのアルバニア、ルーマニアも「これからは自分たちのやり方で「夢の国」をつくっていくからな」と決別することになった。

ソ連vsアメリカの対立っていう単純な構図ではなくなるわけですね。

歴史:となると、この時期に対立がエスカレートしていたソ連とアメリカは、「いったん頭を冷やそう」という歩み寄りをみせることになった。この「クールダウン」のことを「雪どけ」というよ。
 この時期にオーストリアは中立国として独立している。

「雪どけ」はしばらく続いたんですか?

歴史:根本的な決着がつかないまま、数年で終わってしまったんだ。
 きっかけは「親分」であるアメリカとソ連との対立の再燃だ。

 この時期になると、ソ連グループについた国々の中には「アメリカグループにつけばよかった…」と感じる人も出てくる。生活の自由度や豊かさに差が出はじめていたからね。
 ドイツのベルリンも東西グループに分かれていたけど、この時期には東から西に逃げる人を防ぐための壁までつくられた。
 さらにソ連の「子分」国家チェコスロバキアでも、自由を求める大規模な運動が起きたけど、ソ連は軍事力をつかって鎮圧しているよ(注:プラハの春)。

よその国なのに軍隊が出せるんですね。

歴史:ソ連グループの結束を乱す行動には、国を超えて制裁をくだすことができるという方針をとっていたんだ。強気だけど、焦りがあるね(注:ブレジネフ・ドクトリン)。

なんだか状況がどんどん悪化していますね。

歴史
:さすがにマズいと感じたヨーロッパ諸国の中には、「アメリカとソ連の事情でヨーロッパが混乱するのは避けたい。ヨーロッパの秩序を守る努力としくみづくりが必要だ」と考える指導者も現れてくる。

 たとえば、西ドイツの首相は東側のドイツをはじめとするソ連グループの国々と話し合う外交(注:東方外交)を続け、グループに関係なくヨーロッパの平和を守るための組織(注:CSCE)もつくられた。

 西アジアの国際関係が悪化し、石油の値段がものすごく上がってしまったこともあって、ヨーロッパの国々の中からは「アメリカやソ連とは別個のグループ」としてまとまろうという動きも加速した。
 現在のEU(ヨーロッパ連合)のもとになる組織に、この時期には植民地やエジプトの物流拠点を失いさすがに一カ国ではやっていけなくなったイギリスが加盟しているよ。


イギリスが「一匹狼」をやめてヨーロッパチームに参加(Brentrance)したのはこの時期なんですね。

歴史:さすがにもう限界だったわけだ。イギリスが輝いているのは、「若い世代」の支持を受けたロックバンドの四人組くらい。国内ではいろんな改革もおこなわれるけど、そもそも国民の福祉のためにお金を使いすぎだという議論も高まっていった(注:イギリス病)。
 福祉といえば北ヨーロッパの国々(スウェーデンやフィンランドやノルウェー)は世界最高レベルの「福祉の国づくり」を実現させようとしたけど、この時期にはほころびが見え始めている。

 ちなみにイギリスがヨーロッパチームへ足を踏み入れるのに反対した国があるけどわかるかな?

いままでの歴史を考えると…フランスですか?

歴史:その通り。筋金入りのライバルだ。
 植民地の矢継ぎ早の独立で揺れていたフランスでは、憲法そのものを変えてその問題を一挙に解決した軍人上がりの強力な大統領が人気を博した。
 原爆を持ったり、アメリカを中心とする軍事同盟から離脱したりと、イギリスにもアメリカにもハッキリとモノを言える指導者として、存在感を発揮したんだ。

 でもそのフランスでも「若い世代」の運動が高まり、大統領は失脚。その後は石油価格の爆上げによる影響に悩まされることとなる。

ところで、昔活躍したスペインやポルトガルはどんな状態になっていますか?

歴史:独裁者の支配がずーっと続いていて、もはや「大航海時代」のおもかげもなく、経済の停滞に悩まされていた。
 この時期にはようやく両国ともに独裁者が去り、スペインでは王様が復活しているよ。両国の植民地だった地域は、この時代にほとんどが独立している。


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