九州地方の石造物⑩:泉蔵寺五輪塔(伝・大内盛見の墓)

※以前公開した記事を改稿の上、再投稿したものです。



名称:泉蔵寺五輪塔

伝承など:大内盛見の墓

所在地:福岡県糟屋郡粕屋町酒殿 泉蔵寺


福岡県粕屋町の泉蔵寺は、JR酒殿駅から十分ほど歩いた住宅街にあるが、同寺は大内盛見の菩提寺で、境内には盛見の墓とされる五輪塔がある。

盛見は室町時代前期から中期にかけて防長を中心に西国に勢力を張った守護大名であり、応永の乱で戦死した大内義弘の弟で、兄の死後に兄弟間での家督争いに打ち勝ち大内家の家督を継承したが、永享三年に九州筑前の所領を巡って少弐満貞・大友持直と争った末に筑前怡土郡にて戦死した。

泉蔵寺の墓は、家臣が盛見の首を持ち帰り、この地に堂宇を建立して供養したものだと言う。

しかし各部の特徴からすると、五輪塔は伝承よりも古い時期のものと思われる。

私は2011年に泉蔵寺を訪れた際、地輪が低く水輪がややずんぐりしていると言う特徴から、盛見が戦死した室町時代中期よりもずっと古い時代のもので、鎌倉時代中期から後期の作と推定した(ただし空風輪は別石)。

今回改めて泉蔵寺を訪れて五輪塔を見た所、確かに各部に注目するとそうした特徴は見られるものの、全体的な印象としてはやや小ぶりで、鎌倉時代の五輪塔とするには若干の違和感があった。

また、九州地方の石塔を取り上げた書籍等では、この泉蔵寺の五輪塔に言及しているものはなく、各部の特徴は地方色と捉えるべきであって、実際には鎌倉時代より下る作かも知れない。

何とも判断が難しい石塔であるが、ただ伝承にある室町時代中期よりは古い作と考えられ、鎌倉時代末期から南北朝時代の作と見るのが無難かも知れない。

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