北関東の石造物㉛:松岸寺五輪塔(伝・佐々木盛綱夫妻の墓)

画像1
画像2
画像4
画像5

名称:松岸寺五輪塔

伝承など:佐々木盛綱夫妻の墓

所在地:群馬県安中市磯部 松岸寺


佐々木盛綱は所謂「近江源氏」佐々木氏の出身で、他の兄弟らとともに源頼朝が伊豆に配流されてた頃から側近として仕えた人物である(その弟の佐々木高綱は、宇治川の先陣争いで名高い)。

盛綱は平家滅亡後に頼朝から数ヶ国の守護職を与えられるが、頼朝の死後に出家して上野の磯部に隠棲したと言う。

安中市磯部の松岸寺には、盛綱夫妻の墓と伝承される五輪塔があり、また周辺は館跡で、東隣の普門寺は盛綱の祈願所と伝わるなど周辺には盛綱縁の地も多い。

松岸寺の五輪塔二基は、現在覆屋に収められているが(写真一枚目)、格子越しに拝観は可能であり、向かって右側の完形の五輪塔(写真三枚目)が盛綱の墓と言う。

鎌倉時代後期の典型的な五輪塔の特徴をよく備えており、どちらの五輪塔も地輪に正応六年銘があり、これは群馬県内の在銘五輪塔としては最古の例である。

二代将軍頼家の時代に越後で起こった城資盛の乱に際しては、盛綱は幕府の命にて参戦しているが、『吾妻鑑』によればこの時に盛綱は磯部から出陣したとある。

乱後、盛綱の子孫の中には越後に土着して加地氏を称したが、別の子孫は磯部に土着して磯部氏を称したと言う。

そのため、この松岸寺の五輪塔も磯部氏が造立した盛綱の供養塔と言う可能性もあるが、銘文は造立の年月日しか刻まれていないため、伝承の真偽は不明である。

いづれにせよ、鎌倉後期の銘文を持つ完形の五輪塔として貴重な石塔と言える。


#群馬県 #安中市 #磯部 #松岸寺 #五輪塔 #佐々木盛綱 #鎌倉時代 #石塔 #歴史 #日本史

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?