雑記:壬生寺周辺

壬生狂言で知られる京都市中京区の壬生寺は、幕末に活躍した新選組ゆかりの寺院でもある。

境内の池にある島は「壬生塚」と呼ばれ、その中には歴代住職供養塔と言う宝篋印塔がある。

江戸時代の石造物が多い境内において、ひときわ古い石造物であり、非常に端正な塔であるが、やや小ぶりであるので南北朝時代から室町時代頃の作であろうか(宝篋印塔には平安時代の僧で開山とされる快賢らがまつられている)。

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壬生塚の中には、他にも新選組隊士の墓や近藤勇の胸像などがある。

隊士の墓は、かつては別の場所にあったが1971年にこの地に移され、初代局長の芹沢鴨ら初期に粛清された隊士らの墓である(なお、石塔自体は度々再建されており、当時のままではない)。

また、近藤勇の遺髪塚と言う板碑型の石塔もある(下の写真三枚目)。

なお、かつて壬生塚は境内から自由に行き来出来たが、現在は島に行く際には別途拝観料がかかる。

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壬生寺に隣接している八木邸(下の写真一枚目)は、新選組の最初の屯所があった場所で現在内部は有料で公開されており、また八木邸と向かい合う前川邸も屯所として使われていた。

現在も旧前川邸には長屋門(下の写真二枚目)などが現存し、一部は公開されている。

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壬生寺から阪急電鉄の四条大宮駅方面に少し歩いた所にある光縁寺にも、京都で没した新選組隊士の墓がある。

新選組の幹部であった松原忠司(四番組長)や山南敬助(総長)らの墓(下の写真右端)も同寺にあり、壬生塚とともに新選組のファンが多く訪れる。

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新選組の屯所はその後度々移転したが、最後の屯所は現在のJR京都駅西北のホテル・ハトヤ瑞鳳閣からその西方の明王院あたりにあり(不動村屯所)、ハトヤ瑞鳳閣の前には石碑がある。

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明王院の前を南北に走る道が油小路通りであり、塩小路通りを渡った北側にある本光寺のあたりが、新選組の内部抗争によって伊東甲子太郎が暗殺され、またその後で伊東一派と新選組が斬り合いに及んだ場所である。

伊東甲子太郎は、本光寺の門を入ってすぐ左側にある題目石塔に寄りかかって絶命したと言う(下の写真は2016年に撮影したものであるが、現在石塔には覆屋が作られている)。

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