中部地方の石造物㊹:将軍塚層塔(伝・平維茂の墓)



名称:将軍塚層塔

伝承など:平維茂の墓

所在地:長野県上田市別所温泉 将軍塚


上田電鉄別所温泉駅から温泉街へ歩いてしばらく行った観光用駐車場の一角に、将軍塚と通称される層塔がある。

層塔が建っている墳丘は奈良時代の円墳であるが、層塔は平安時代の武将・平維茂の墓と伝承されている。

維茂は平将門の乱を平定した平貞盛の養子で、後に鎮守府将軍となったため「余五将軍」(余五は彼が貞盛の十五番目の子であることに由来する)と呼ばれた人物である。

維茂が信濃守であった頃、信濃の戸隠に住む鬼女(盗賊の首領とも)紅葉を朝廷の命で討伐した際、別所温泉の北向観音に勝利を祈願し、紅葉を討ち果たすも自身も傷を負い、この地で没したと伝承され、層塔はその墓であると言う(これには異説もあって、同じ上田の霊泉寺温泉にある霊泉寺は、維茂が開いた寺院と伝わり、維茂は紅葉との戦いで被った傷を温泉で癒やしたと言う)。

ただし、層塔は鎌倉時代後期の作であるため、伝承とは合致しない。

この鬼女退治の伝説は、謡曲『紅葉狩』のベースになり、江戸時代以降に普及したものであり、将軍塚を維茂の墓とするのも、そうした説話が広まっていく中で生じた伝承であろう。

上田市の塩田平周辺には、鎌倉時代の層塔が多く存在しているが、その中でもこの将軍塚層塔は最も古い時期の作と考えられる。

欠損が激しいが、そうした点で貴重な石塔である。


将軍塚と同じ塩田平に点在する層塔の一つが、上田市中野の住宅街の一角にある「西行塚」である。

画像3

伝承によれば、歌人として名高い西行が旅の途中でこの地に庵を結び、後年村人が西行を慕って造立したものだと言う。

伝承はともかく、この西行塚の層塔も他の塩田平の層塔と同じく鎌倉時代後期くらいの作であろうか。

ただし、この層塔は破損・散乱していたものを1955年に地元の石工が研究者の設計に従って復元したもので、当初のパーツはごく一部である。


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