北関東の石造物㊷:観音寺五輪塔

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名称:観音寺五輪塔

伝承など:なし

所在地:栃木県足利市山川町 観音寺


足利市山川町の観音寺境内の須長家墓地内にある五輪塔は、近年足利市指定文化財となった石塔である。

この五輪塔は、墓地内の最も奥にあり、墓地内には他にも石塔が隙間なく並んでいることもあって、現状では全景を撮影することが難しい。

現状は空風輪が欠損しているが、火輪に露盤を持ち、水輪に仏像(大日如来)を刻み、地輪の四面には梵字が刻まれていることや、反花座のある基壇を持つ珍しい石塔である。

五輪塔の造立年代は、近隣に類似の石塔が見られないため比定が難しいが、同じ天神山凝灰岩製の石塔であることや、刻まれた仏像などの共通点から、足利市内の大岩毘沙門天(最勝院)の層塔(建長八年銘)と同時期の鎌倉時代中期と推定し、造立には足利氏が関与しているのではないかとする意見もある。

また、千葉県東金市の願成就寺の五輪塔(「南関東の石造物②」参照)との共通点も指摘されている。

ただ、他の足利市内に残る鎌倉期の五輪塔とは全く異なる形式であり、かつ北関東でも類似の例がないため、この石塔を鎌倉時代中期とすることについては俄に首肯し難い。

足利市内の五輪塔とは似ておらず、却って遠方の願成就院の五輪塔と共通点があることに敢えて注目するなら、あるいは元来この五輪塔は観音寺にあったものではなく、全く別の場所(南関東か?)にあったものが後年須長家に伝わったのかも知れない。

そうでないにしても、観音寺境内からは鎌倉時代後期の永仁の年号を持つ板碑が出土しており、そのことからすればこの五輪塔も鎌倉時代後期の作と見た方が無難ではないだろうか(元々観音寺にあったと考えた場合であるが)。

いづれにせよ、類例がない孤立的な事例であるため、年代の推定が非常に難しい石塔である。

あくまで素人判断であるが、他の鎌倉前期~中期の五輪塔に比べると、形がだいぶ整っているような印象を受け(例えば「北関東の石造物㊽」で取り上げた鶏足寺五輪塔のように、関東における鎌倉時代中期以前の五輪塔は、技術的な問題もあってか全体的に荒削りで「端正でない」のである)、その点からも鎌倉時代後期の作のように思える(後は、類例がない石塔を、形式未確立の時期の例として古めに見積もる意見には、どうも賛同出来ないのである)。


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