東北地方の石造物⑨:善応寺自然石板碑(蒙古の碑)



名称:善応寺自然石板碑

伝承など:蒙古の碑(元寇戦死者供養塔)

所在地:宮城県仙台市宮城野区燕沢 善応寺


JR仙台駅から一駅の東仙台駅にほど近い宮城野区燕沢の善応寺には、「蒙古の碑」と通称される変わった曰くを持つ石造物がある。

東北地方によく見られる自然石板碑で、鎌倉時代中期の弘安五年銘があるが、その銘文は省書や古異体字などが多く使われており、一見すると奇妙で謎めいた感じがする。

この独特の字体と、弘安の役の翌年に造立されたことから、無学祖元が元寇戦死者の供養塔として建てたと言う伝承が後世生じ、江戸時代にはすでにそう認識されていたと言う。

とは言え、実際に元寇との関係は不明であり、銘文の文字に関しても古くから偽刻説がある。

ちなみに、こうした伝承のため、1941年には時の蒙古連合自治政府主席であった徳王が板碑を見学に訪れ、それを機に板碑が善応寺の境内に移されたと言う。

現在板碑の傍らには、徳王が植えたと言う松がある(三枚目)。


なお、仙台市内には同じような形式で弘安の年号を持つ板碑が、善応寺以外にも二箇所あり、伝承があるかないかを問わず一律「蒙古の碑」と呼ばれている。

そのうちの一箇所が仙台大神宮の境内(仙台藩伊達家の重臣・茂庭周防の屋敷跡)にあるが、こちらは善応寺の板碑に比べてやや小振りで造形もシンプルである。


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