中部地方の石造物㊻:古安曽五輪塔(伝・安曽甚太夫の墓)


名称:古安曽五輪塔

伝承など:安曽甚太夫の墓

所在地:長野県上田市古安曽


上田市中心部から別所温泉に至る上田電鉄別所線の塩田町駅の南方には、「未完成の塔」と呼ばれる鎌倉時代の三重塔のある前山寺があるが、その前山寺と山を挟んで東向かいにある古安曽には安曽甚太夫の墓と伝承される二基の五輪塔がある。

この五輪塔がある場所は大変わかりにくく、前山寺の入口を東に進んでしばらく行った所にあるため池の手洗池の脇を南に入り、そのまま安曽岡山の山中に至る農道を進むとゆるやかな傾斜地に出るが、そのあたりに建っている。

農道はかなり道幅が狭いために、軽トラックなどの小型の車両でないと傾斜地まではたどり着けないので、車で行く際には山の登り口に止めて歩く方が賢明である(仮にたどり着けたとしても、車を切り返すのが難しいだろう)。

五輪塔は小ぶりであるためなかなかわかりにくいが、近くには上田市の設置した大きな説明板があるため、それを目印にすると良いだろう(案内板に向かって右側の小高い所に建っており、農道からは五輪塔の空風輪が見える)。

二基並んだ五輪塔のうち、向かって右塔は鎌倉時代後期の作と推定される。

地輪や火輪が古様を示しており、後期でもかなり中期よりの1280年~1290年代の作であろう。

左塔はやや下る時期の作で、空風輪が欠損して別の石を載せている。

この五輪塔は、塩田流北条氏の家臣・安曽甚太夫の墓と地元では伝承されているが、安曽甚太夫と言う人物については未詳である。

姓からするに、在地豪族であろうか。

塩田流北条氏は鎌倉時代にこの地を領したため、塩田平には北条氏ゆかりの寺院があり、同市舞田の金王五輪塔や上田原の個人宅に所蔵されている五輪塔(「中部地方の石造物①」参照)など、鎌倉時代中期に造立された塩田流北条氏関係と思われる五輪塔があるが、この古安曽五輪塔はそれらに次ぐ造立年代のものであり、塩田流北条氏との関係をうかがわせる。

少なくとも、塩田流北条氏がこの地を領していた時期に造立されたことは確かと言える。

中世の五輪塔が多い上田市の中でも、かなり古い部類に属する石塔として貴重である。


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