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旧公衆衛生院研究

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内田ゴシック建築の私的な解釈
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#旧公衆衛生院

妄想に終わる

妄想に終わる

内田祥哉先生がお亡くなりになられた。享年96歳。
旧公衆衛生院を設計された内田祥三先生の二男で、親子二代の建築家である。
個人的に接点はなかったが、存命中に旧公衆衛生院の空間を通して、ご自身と父親の建築思想、解釈を伺ってみたいと妄想していた。(たわけた妄想)
幼少期から住われていた麻布の家は父親の代名詞でもある"内田ゴシック"でデザインされた洋館だったが、ご自身が設計された杉並の家は、正反対と言っ

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旧公衆衛生院 週末研究27 用途変更

旧公衆衛生院 週末研究27 用途変更

週末研究27回目
旧公衆衛生院施設は保健衛生の研究、教育を目的として開設された。
現在は港区の複合施設として運営されている。旧講堂、旧院長室、旧次長室は、開設当時の空間が保存公開されているが、他の部屋は用途変更され使用されている。

復原の考え方を全ての空間に用いることが、文化財の観点からすると重要となるが、多目的に利用できる公共施設として捉えると、利用対象は限定される。そのために、開設当時の設を

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研究は続く

研究は続く

旧公衆衛生院の建物研究は、半年が過ぎた。
時間をかけ、空間と対峙することで、思想を感じることが少しでもできればと続けているが、疑問は深まるばかりである。

戦前戦後、困難な時代を超えながら毅然と佇む姿。そこには、社会背景と密接な関係がある。

設計者・内田祥三の思い、姿勢を、文献、資料からではなく空間から推察する。

研究は続く
#旧公衆衛生院 #内田祥三 #推察

旧公衆衛生院 竣工の時代

旧公衆衛生院 竣工の時代

大河ドラマ" いだてん " で、ナチスドイツ、ベルリンオリンピック、韓国併合、満州国、日中戦争勃発の頃の社会情勢を映している。

旧公衆衛生院が竣工したのは、昭和13年。
日中戦争が始まった翌年である。
時代背景は同じ。少なからずシーンが被ってくる。

文責 関原宏昭
#旧公衆衛生院 #日中戦争 #時代背景

面取りに含まれるメッセージ

面取りに含まれるメッセージ

旧公衆衛生院の柱には、角の面を取ったものと、そうでないものがある。
また、面取りは上部下部とも途中で止め、三角のデザインが浮かぶように施されている。

旧公衆衛生院の開設の目的は、保健衛生に関する研究と保健師の教育にある。

面を取った空間は、研究・教育を想定した専門的な場と考えられる。三角のデザインは向学と土台が表現されている。

面を取ってない空間は、一般的な場と考えられ、交流やプライベート

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ドームをイメージして

ドームをイメージして

旧公衆衛生院の中央ホール

やはりドームをイメージして描かれたのではなかろうか。
中央に近づくにつれおり上がる。

先日東京ドームに行った時、ドームの考え方、多様性が目に付いた。自然空間を人工的に構成する思想から生まれたものである。

同様に中央ホールを眺めていると、単なる円形ホールの天井装飾であるはずがない。
冠のように周りを取り囲む尖った装飾との連動性からして、ゴシック建築のドームと相通じるも

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昭和10年代への旅 その後

昭和10年代への旅 その後

旧公衆衛生院

この館には昭和10年代の設え、機能が現役のまま生きている。痕跡は数限りなく残っている。
80年以上前の空間が現存していることは、奇跡かもしれない。

もちろん、復原のための修理、公共施設としての設備追加、改修はされているが、既存建物の状態が良好だったからこそ今の輝きがある。

昔を知る高齢者の方々が来館されるのは不思議ではないが、レトロな雰囲気マニアの若者が、コスプレをしてやってく

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空想対話自習中〜教育施設として

空想対話自習中〜教育施設として

旧公衆衛生院は学校施設としてRC造で建設された。英語表記では、The Institute of Public Healthとされている。

当然のことであるが、部屋は教室、研究実験室として作られている。全ての部屋に教育への思想が盛り込まれている。

先日、数年前にRC造で建設された某中学校を訪問する機会があった。建物目的は同じ学校施設である。こちらも教育への思いが盛り込まれていた。

しかし、違い

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空想対話11〜建築余談

空想対話11〜建築余談

旧公衆衛生院をとおして建築家・内田祥三との空想対話11〜建築余談

ロックフェラー財団は関東大震災後、復興援助の一環として公衆衛生専門家の育成・訓練機関の設立について打診、日本政府がそれを受け公衆衛生院を設立に至る。
社会情勢が不安定になる中、軍需資材が優先され鉄部材も統制が行われながらも、資材調達及び施工は特例的に行われる。(商工省令 鉄鋼工作物築造許可規則 :通例では1棟50t未満)

旧公

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空想対話10〜外観デザイン

空想対話10〜外観デザイン

旧公衆衛生院をとおして建築家・内田祥三との空想対話10〜外観デザイン

「内田先生、ゴシック建築の観点からすると安田講堂(1925)は色濃く残っているように見受けられますが、旧公衆衛生院(1938)は多くの経験を重ねられた後の作品、いわば"内田ゴシックの最高峰"と言っても良いのではないでしょうか?(ちなみに竣工時、先生は51歳)」

「我が家からもよく見えました。」

「最も脂が乗った頃です

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空想対話9〜基本構想

空想対話9〜基本構想

旧公衆衛生院をとおして建築家・内田祥三との空想対話9〜基本構想

「内田先生が手がけられた建造物全ての建築思想は何よりも安心、安全かと考えますが、やはり関東大震災(1923)を経験されたことが大きいのでしょうか?」

「関東大震災を経験したのは38歳の時でしたでしょうか。」

当時、先生は安田講堂をはじめとする東京帝国大学内の建造物数棟を手がけられており、設計思想へ大きく影響を及ぼしたことと

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空想対話8〜空間デザインの基軸

空想対話8〜空間デザインの基軸

旧公衆衛生院をとおして建築家・内田祥三との空想対話8〜空間デザインの基軸

「前回、ゴシック建築と内田ゴシックの根本的な違いは、思想の違いにあり、研究、教育への情熱から空間創造につながっている。ディテール云々ではないと生意気にも述べましたが、しかしながらデザインの基軸は天に広がるイメージなのでしょうか?(うらはら)」

「想像することは自由です。」

「とすると、旧公衆衛生院のデザインはドーム

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空想対話7〜大自然の中の旧講堂

空想対話7〜大自然の中の旧講堂

旧公衆衛生院をとおして建築家・内田祥三との空想対話7〜自然の中の旧講堂

「内田先生、旧講堂ですが私も1999年に何度か災害リスクの研修会で机に座らせていただきました。」

「そうなのですね。」

「当時は申し訳ないですが古いなあ、との印象しかありませんでした。しかし今回、時間をかけて空間の勉強をさせていただくと教育に対する壮大なメッセージを盛り込まれているのですね?」

「これも詳しく聞かせて

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空想対話6〜気配りの内装仕様・細やかな施工・徹底したデザイン監理

空想対話6〜気配りの内装仕様・細やかな施工・徹底したデザイン監理

旧公衆衛生院をとおして建築家・内田祥三との空想対話6〜気配りの内装仕様・細やかな施工・徹底したデザイン監理

「内田先生は防災、構造設計が専門と認識していたのですが、旧公衆衛生院を拝見していると、気配りの内装仕様、細やかな施工に驚きました。失礼しました。
そして、徹底したデザイン監理。やはり現場には厳しかったのでしょうね?」

「さて、どうでしたでしょうか。」

■気配りの内装仕様
全ての居

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