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奄美日記:地球の引力を感じる島


 

六月一日 木曜日
こわいという気持ち

 
 五時すぎに起き、東京駅まで湘南二号で出て、八重洲南口から成田空港行きのリムジンバス。道中のお供は河原理子さんの「フランクル『夜と霧』への旅」。めざすは三度目の奄美大島。ありがたいことに、仕事では二度目だ。離陸時、四歳ほどの子どもが「こわい!!こわいよ!!!」と両隣の父母にすがって全身全霊の大泣き。あまりにも悲痛なその声で小さな飛行機が今にも真っ二つに引き裂かれそうだった。私はすこし感動していた。その「こわい」という気持ちは、それを感じるということは、人生がくれるかけがえのない贈りものだからだ。

 私も小さいときからいろいろなことがこわくて仕方なかった。それは、でもわるいことではなかった。生きていることのまぎれもないしるしであったし、こわければこわいほど生きていることを実感できた。成長した今も心のどこかではいろいろなことがこわいままだが、こわくないようにふるまうことを習ってしまい、おぼえてしまい、人よりはぜんぜんできないけどそれでも「こわくないふり」をすることがすこしは板についた。そのことを思うと、手に握った松明にじぶんで息を吹きかけて消してしまっているようなさみしさを感じるときがある。こわいって、生きていることそのものだ。生きているということはこわいことなのだと思う。それなしではよろこびもほんとうのよろこびではなくなるような、そういう生きるを奥底から支えるような「こわさ」と私はずっとつながっていたい。

 台風二号接近中で条件付き運行だったが、なんとか滑り込み着陸。「数ある航空会社の中からピーチの翼をえらんでいただきありがとうございました」のアナウンスとともに、むせ返るほどの湿気にあふれた奄美の空の下へ掃き出される。ああ、この大地、この緑、この風。じぶんなんかどこにもいないと感じられるような圧倒的な世界の大きさ。


島とうふ屋


 お昼に島とうふ屋さんで湯葉春巻き定食セット。揚げ出し豆腐も追加。奄美にきたら、やっぱりまずはここ。味も食べごたえも心配りも最高なうえにお値段も良心的すぎるので大丈夫なのかなと思うが、原材料のほぼすべてがまわりくどい流通にのったものでできている都会の飲食店の価格設定がおかしいだけなのかもしれないと、ふと初めて思った。
 
 だんだん雨脚がつよくなってくる。素泊まりなので、台風上陸に備えてビックツーとまーさん広場で明日の分まで食材の買い出し。青や赤の鮮魚に巨大なタコ、南国らしいカラフルなフルーツ、あれこれ次々と手に取りたくなる土産物売り場に相変わらずパッケージもネーミングもおおらかな惣菜売り場。三度目にして初めてここに帰ってこさせてもらったんだなあと思った。

 夜は宿でパックごはん、なすの煮浸しの惣菜、納豆、島とうふ屋さんの湯葉ふりかけ、島バナナ。暴風に雨嵐。夜中なんどか目がさめる。



六月二日 金曜日
わたしは、しあわせです

 
 台風は通過したもよう。まだ雨風あり。名瀬のてつ子さん宅へ撮影へ向かう道すがら、タイヤがパンクした。助手席の私が思わず「あ、マングローブ」と声をあげたからだ。運転席の船川さんがつられてマングローブのほうを向いた直後、ごん、というにぶい音がして歩道の縁石にのりあげた。瞬時に軌道修正して数百メートル走ったものの、聞いたことのない「べこべこべこ」という異様な音がしてきて、もしや・・・とパンクに気づいた。はじめての経験だった。

 近くのコンビニに止めさせてもらい、レンタカー屋さんに連絡。スペアタイヤが積んであるので直せますか?とのこと。ところが探してもスペアタイヤはみつからない。再度電話して修理の人を待った。

 「ホイールにもダメージがあります。ここで直せるか、工場まで車ごと持っていく必要があるか、そもそも替えのタイヤが手に入るのか、確認してきます」としばらくしてやってきた作業つなぎを着たお兄さんは感情をあらわさずに言い、パンクしたタイヤを持ってどこかへ行った。前歯が欠けた人みたいに助手席側の前タイヤがひっこ抜かれたアンバランスな車の中で、ふたたび待つ。てつ子さんにも連絡を入れ事情を話すと、「こちらはいつでもいいので待っていますよ。歯医者に行った主人が帰ってくれば迎えにもいけるのだけど」と笑って言ってくれた。
 
 しとしと雨が降っている。この間ずっと、ふしぎと大したことになっているという感覚がなかった。レンタカー屋さんにも、修理のお兄さんにも、てつ子さんにも、それぞれ迷惑をかけている状況なのに、皆さんの態度にはそれをすこしもわるいことに思わせない空気感があった。淡々と起こることが起こっているだけで、とくべつなにも気負う必要がなかった。むしろこうなることで強制的に一時停止というか、ひと休みする時間をあたえてもらっている感覚にさえなった。都会の道路でおなじことが起こったとしたら、おなじ気持ちではいられないと思う。
 
 コンビニ内でしばらく時間を持て余してから車へもどると、いつのまにか帰ってきた修理のお兄さんが黙々とタイヤを付け替えていた。どうやらこの場で直るみたいだ。よかった。本体にちいさな傷もついてしまったみたいなのでレンタカー屋さんに報告すると、確認もしていないのに追加料金はいりませんという。じつは、奄美の方はきっとそう言うのではないかとどこかで思っていたが、ほんとうになんでもないことのようにそう言ってくれた。

 人のものをお借りしていてちょっとでも傷つけてしまった人が言うことではないかもしれないが、たしかにかすり傷がひとつついたところで、安全上の走行にはなんの問題もない。これが都会だすると、まちがいなく修理代かなにかを請求されるだろうし、私たちはそれを当たり前だと思っている。そもそも、都会ではあたりまえのように行う借りる人と店の人が一緒になって最初にする車体の傷チェックも、ここではしていなかった。都会のレンタカー屋がわざわざそうする理由もかんたんに想像できるが、そもそも都会ではトラブル防止という名目で起きてもいないことを問題にする癖が社会のあちこちについてしまっていて、それで疲弊することも多い。都会というか行きすぎた資本主義は、問題でもないことを問題にすることで商売が成り立っているんだなと思う。

 こうやってその輪からふっとはずれた場所にくると、肩の力がしゅうと抜ける。ほっとする。まちがったっていいと言われているような、ちょっとしたミスやうっかりを皆が許しあう世界。じぶんがだれかにちょっとした迷惑をかけられる人でいることが、だれかのちょっとした迷惑も迷惑と思わないで受け入れるおたがいさまの精神をつくる土壌になるからだいじなんです、という、このあとてつ子さんの口から語られる話まるでそのものを、このとき実感していた。

 
 無事名瀬に着き、てつ子さん宅で料理撮影とインタビュー開始。作ってもらったのは、豚飯、苦瓜と豚と卵の炒めもの、苦瓜の種のおやき、もずく酢。この辺りで育ったという新鮮な豚の肉に、はっとするようなうすいレモンイエローの黄身。薬を打っていない天然の卵はこういう色になる。気取らない家庭の味。あるもののよさを最大限いかしてつくる日々の生活の糧。豚を解体して得たラードで焼いた手づくりのちんすこうも、濃くて熱いルイボスティーと一緒にいただいた。ザクザク風味豊かでおどろく。歯医者から帰宅したお父さんとはプロ野球選手になったお孫さんの話で盛りあがる。

 インタビュー中、瀬戸内で黒糖を無農薬栽培している叶さんがやって来られたので、場所をリビングから茶室に移動。てつ子さんの迷いのない話ぶりに背筋が伸びる。こうしてだれが特別すくいあげることもないけれど圧倒的な光りをはなつ生の人間の真摯な語りを体ごと受けとめるとき、心の深いところが小刻みにふるえている。「私はしあわせです」とよどみなく話すその人のつよさややわらかさや潔さを目の当たりしているじぶんをなんて幸福な人間なのだろうと誇りにさえ思う。てつ子さん、ありがとうございました。

 宿へもどり、三十分だけ昼寝。元気はあるのに低気圧のせいか体は重たい。夕方、船川さんと宿のまわりを散歩。赤木名湾まで。奄美は車移動が基本だからじぶんの足で歩くととたんに景色の濃さが変わる。奄美の空気を満たしているつよい生命力が五感のどれもにぐっとせまってくる。手先足先からその得体のしれない「いのち」のなかへと吸い込まれそうになる。

 ウミガメいないかなあ、と海をのぞき込むも魚さえみえなかった。浜辺のアダンをみつけて心が踊った。田中一村がこの植物に魔力のように惹かれ夢中で絵に描いたのもわかるなあと思う。小さな神社や川のそばをぐるっとまわり、宿のとなりの居酒屋がじゅまるの樹へ。島たこやイカなど地産の刺身をいただく。お店の方がウミガメの産卵がみられそうな場所とあさっての満月の日にサンゴの上を歩ける場所をおしえてくれた。閉館ぎりぎりで近くの銭湯へかけこむ。一日の終わりに熱いお湯につかれたらあとはなにもいらない。宿のフリースペースで船川さんと小一時間話し、就寝。


 
六月三日 土曜日
やさしいせかい


 宿から歩いて数分の京子さん宅で取材撮影。家の裏がさとうきび畑。太陽が燦々と葉を照らす。葉は青々と風にそよぐ。撮影前にどうぞと、京子さん手づくりの奄美の郷土菓子ふくらかんとふなやき、長命草のお茶を出してくださった。ふくらかんは小麦なのでたべられなかったが、ふなやきは甘さひかえめでもちもちでおいしかった。京子さんは撮影のためにとても入念に準備をしてくださっていて、おかげでスムーズにすすんだ。京子さんはなんどもなんども味見をしながらひとつの料理をつくった。京子さんの細やかさや丁寧さや真面目さが端々から伝わってきた。すごいものを見ている、とうれしかった。


 
 メニューは豚飯、つわと切干大根の煮物、ピーナッツ豆腐、あざみの佃煮、もずくの寒天寄せ、野草の天ぷら、漬物と苦瓜と卵の炒め物の小鉢。デザートに苦瓜とハンダマのゼリー。天ぷらはハンダマ、長命草、島らっきょう、あおさと小えび。お店のフルコースをいただいているみたいに豪勢だった。盛り付けもうつくしい。京子さんの思いが隅々まで染み込んだ味。京子さんはインタビューでもたくさん話してくれて、やさしく笑ってくれた。料理のことなら断れないからと引き受けてくれた京子さんは、じぶんに厳しく、人にやさしい人だった。

 奄美にくると「やさしい」とはこういうことだとよくわかる気がする。うまく言えないが、それは人のためになにかをするというわかりやすいことではないし、じぶんなど差し置いておいて、というのもちがう。ほんとうのやさしさとは、むしろ自分をないがしろにしないこと、あるいは自分をけっして偽らない覚悟からはじまるものなのではないかと、そうしてはじめて人にやさしくあれるのではないかと、奄美にいると思う。京子さん、ありがとうございました。

  
 撮影後、京子さんを紹介してくれた佐々木さんに会うために大和村へ。笠利から一時間ちょっとのドライブ。聞き上手で話し上手の船川さんのおかげで話が尽きない。佐々木さんは大切なすもも畑を案内してくれた。パートナーの奥山さんのお父さんの畑を継いで、休みの日にふたりで農作業をしている。昨年ダンボール一杯に送ってくださったすもものふるさとにこうして足を運べたことがうれしい。どこまでもつづく海を見下ろす絶景の山の急斜面で、惜しみない太陽と雨の力をうけて育った無農薬すもも。立っているだけで汗がふきだしてくる暑さも忘れ、もいだその場でがぶっとまるかじり。ふたりがたっぷりの愛情を注いですももの世話をしているのをみてしあわせな気持ちになった。

 日が落ち始めたので、奥山さん宅でシャワーをお借りし、名瀬にある優歩という地元の魚介やおいしい一品料理がたべられる店へ連れていってもらった。車中、そういえば名瀬って「なぜ」だと思っていたけど「なせ」という人もいるのでどっちがただしいですか、と奥山さんに聞くと「わかんない」。どっちも言うし、そういえばいちども気にしたことがないらしい。どっちでもいいし、どうでもいい。町のなまえにだって正解はない。どこにも正解がないせかいは、やさしい。

 ハージン、ネバリ、夜光貝、かつおの腹皮などの地産の魚介や野菜料理、お香みたいにほそく切った芋の揚げたの、なにもかもおいしかった。奥山さんの話し方がおもしろすぎて、佐々木さんは相変わらず思慮深くて、船川さんは人の話を聞くのがうまくていつも全力でその場を楽しんでいて、すてきな人たちだなあと思った。名残惜しさをのこしつつ、代行で帰る。


 
六月四日 日曜日
引力の島

 くすだファームの楠田さん宅へ、てつ子さんを紹介してくださったお礼を渡しにいく。楠田家にお邪魔するのは初めて。庭には豊かな植物たち。奄美の植物はどこをみてもエネルギッシュだけど、楠田家のはより生き生きしている。まだ青いパッションフルーツが屋根の上に下にいきおいよく繁殖しているのがきれいだった。ころんと丸くて大きくて、ヨーロッパの昔の貴族がしていそうなイヤリングみたい。

 三年ぶりの楠田さん、相変わらずおもしろくてやさしくて、でっかい人。ジャイアンがほんとうはやさしくていい人なら、大人になったジャイアンは楠田さんみたいな感じだと思う。最近は字が見にくいらしく老眼鏡をかけているそうだが、百均で週に二、三回買うくらいすぐになくしてしまうらしい。奥さんの敬子さんが、きれいなうすピンク色の酵素ジュースをだしてくださった。おいしかった。楠田さんはこれを野菜や果実の切れ端からできているので生ゴミジュースと呼んでいる。

 海の実景を撮りたいと話したら、楠田さんが見晴らしのいい場所へつれていってくれた。満月なので潮が思いきり引いていて、丸い湾全体にサンゴがむきだしになっている。みえない力が、ふとみえそうになる。目でではなく、体でそれを感じられそうになる。というかきっと今感じている。これが引力なのだと。目線を落とすとヤドカリや小さな魚がたくさんいた。みんな元気そうだった。楠田さん、ありがとうございました。

楠田さんちのサネン(月桃)

 
 奥山さんが「これだけは見て帰ったほうがいい」という「ハブに愛まSHOW」をみに、原ハブ屋へ。生きているハブを初めて見た。どことなくアインシュタインに似た進行役のおじいさんがあまりに早口で言っていることの八割くらいわからなかったが(船川さんはほぼわかったそう)、ものすごいエンターテイナーなので一挙手一投足をみているだけで面白かった。ショーのさいごに夜行性のハブの捕獲現場の再現をしてくれた。電気を落とした真っ暗の天井に蓄光シールの星が所狭しと光るなか、白衣から捕獲服に着替えたおじいさんはあっというまにハブをつかまえてご満悦だった。

 味の郷かさりでお土産を追加購入し、飛行機にまに合うかどうか微妙だったけど近くのアジア料理店OHANAに入る。メニューはカレーや肉系がほとんどでたべられそうなものがなかったので、お店の方に相談させてもらったら、さみしいからと野菜の素揚げをつけたえびチャーハンを出してくださった。

 飛行機は離陸時間が三十分遅れていたので間に合った。体感三十分ほどのフライトを経て、コロナであんなことになっていたのが信じられないくらいすっかり世界中のひとであふれ返った空港から、成田スカイアクセスと東海道線を乗りついで帰宅。

 奄美、なんどでも帰りたくなる島。四度目もきっとそう遠くないうちに。






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