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<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編

#4 三日目(2) 2021年3月22(月)

メモ書きの説明

紀伊半島旅、三日目の午後から夜にかけてのメモ書きに、少し説明を加えて、日誌風の文章にした。

梶取岬灯台の撮影を終えて、岬を下りた。途中で<落合博満・野球記念館>の案内板がまた目に入った。なぜこんなところに?と今度は思った。 いま調べると、ここ和歌山県太地町は、落合博満の故郷らしい。なるほど!

長い坂を下り切ると、右手に、閑散とした漁港がある。ハンドルを右に切って、中に入る。広々とした係船岸壁に車を止めた。坂の途中から見えた、赤い防波堤灯台が、すぐ近くに見える。だが、手前の高い岸壁に邪魔されて、写真にならない。

周りを見回すと、沖の方に小島があり、そこに何やら小さな灯台が立っている。さらに目を細めると、はるか沖合にも、同じような小島があり、その上にも、同じような形の灯台が立っている。400ミリ望遠では勝負にならない。ポーチにくっ付けているデジカメを構えて、光学800ミリズームで見てみた。たしかに灯台だ。ま、言ってみれば、ミニ灯台だ。それも二つも。長閑な海景に心が和んだ。

で、この光景をもう少しちゃんと写真に撮っておきたいと思い、場所を移動した。要するに、多少なりとも高い位置からがよろしいのではないか。漁港を出て、少し坂を上り、道路際の駐車スペースに車を入れた。外に出て、重い400ミリ望遠カメラを肩に掛け、えっちらおっちら、坂を登り始めた。車で上がった時は、坂の傾斜など全然気にならなかった。だが、いざ自分の足で登るとなると、この坂はかなり急だ。それに長い。

要するに、平場の漁港から、岬の上へと上がる坂だ。半分くらい登って、息が切れた。もういいだろう。海側には歩道がないので、崖際のガードレールに体を寄せて安全を確保した。そして、海を見た。お~、いい景色!小島のミニ灯台もちゃんと見える。ただ、距離があるだけに、写真的には、なかなか難しい。

新兵器?のデジカメの光学1600ミリズームでも撮ってもみた。だがこれは、解像度があらすぎて、モノにならないことが、帰宅後にわかった。でもこの時は、なんとなく撮れたような気がしていて、六万円で買ったデジカメが役にたった、と気分良く坂を下りた。そうそう、この坂の山側には歩道があり、車を気にすることなくゆっくり歩けるのだ。ぶらぶら行くと、歩道上に鯨がデザインされたマンホールがあった。立ち止まって、つくづく見た。<ご当地マンホール>だな。面白いと思った。

<1:30 このまま 串本町のホテルへ行くか それとも もう一度 梶取灯台を撮って そのまま潮岬灯台の夜の撮影に入るか迷う とにかく まだ時間はある 梶取は二回目 さして時間はかかるまい ということで梶取へ行く 明かりの様子がさきほどとは全然違う 撮りにきてよかった>。

付け加えることがあるとすれば、午前中に比べて、観光客や、犬の散歩をする人が目に付く。次から次へとなので、画面に入り込んでしまう。だが、これはいつものことで、致し方ない。頓着せずに撮った。あとは、きれいに刈り込まれた芝生の上に、大量の糞が、一塊ずつ、ところどころにあった。黒くてコロコロしていたから、これはヤギとか羊とかのものだろう。しかし、辺りに、そうした動物の姿は見えない。意味が分からなかった。

が、そのうち、どこからともなく作業服を着たおじさんが現れて、箒と塵取りを使って、糞をきれいに取り除いていた。今思えば、この公園に隣接するホテルのような、老人ホームのような、きれいな建物と関係があるのかもしれない。そこで飼っている動物を散歩させに来た、ということかな、となると、作業服のおじさんは、その施設の従業員なのか、いや、あの作業服は町役場の臨時職員のようでもあった。ますます訳が分からない。

だが、とにもかくにも、この灯台は、よく整備された、見通しのいい、素晴らしい場所であることに変わりはない。天気もいいし、桜もちらほら咲いていたし、立ち寄ったことに、十分満足していた。

<3:00 いちおう潮岬灯台へ向かう が 途中で気が変わって ビジネスホテルに荷物をおき 撮影に行くことにした なにしろ ホテルは灯台へ行く前に 目の前を通るのだ>。メモ書きの最後のほうが、日本語として成立していない。ようするに、ホテルは灯台へ向かう途中にあるので、寄ったとしても時間的に問題はない、という意味だ。

<3:30 ホテル着 チェックインして 荷物を部屋にはこぶ 受付の女性の応対はよい 自分より一回りくらい若いだろうか やや四角張った面立ち 美しいタイプ 自分の好みかもしれない ま そんなことはいい>。JR串本駅近くの、場末のアパートのような、このビジネスホテルについては、あとで記述することにして、先に進もう。

<3:45 灯台までは15分 (灯台付近はマップ)シュミレーション済みなので (迷わず)有料駐車場に入り ¥300払う 夜おそくまで置いておくが大丈夫かと聞く 耳が遠いいのか 二回ほど聞き返される 75歳(くらいの)後期高齢者のじいさん(だった)>。潮岬灯台の根本に到達するには、ここに車を止めて、小道を百メートルほど歩くようだ。ただし、敷地が狭いので、写真的には難しいだろう、と調べはついている。それに、今日のところは、灯台に夕陽を絡めて撮るつもりなので、灯台には背を向け、道路を歩いて、東側の見晴らしスポットへ直接向かった。

<4:00 撮影開始・・・>。この見晴らしスポットは、正式には<
和歌山県朝日夕陽百選(潮岬)>と言って、夕陽が見える観光名所だ。道路際に位置していて、断崖際には柵がちゃんと設置してある。海と灯台に向かって、木製のベンチがいくつかあり、先端の方には小さな東屋が立っている。道の向かい側にはホテルなどが見える。
 
<陽はまだ高い ゆっくり(撮影)ポジションなどをさぐる 五時すぎても陽が高い 五時半ようやく陽が傾きはじめる と いきなりバイクの音 じじいが三脚をうしろにくっつけて写真を撮りにきたようだ 一瞬 あいさつして 夕日の落ちるポジションを聞こうとおもった だがやめた 白髪の意地の悪そうなじじいだ>。<そのうち ミケ(猫)がどこからともなくあらわれる 人になれていないようで 近づくと逃げていった すこしたって ベンチに座っていると ミケが目の前を走りぬけていった 道路のむこうに民家がある そこでかわれているのだろう>。

<じじいの友達がきた 大きな声でしゃべりはじめた 6:00 もうひとり じじいの知り合いがきた。要するに 夕陽を撮りにくるのが日課なのだろう 6:15 水平線近くに雲があり日没は(見え)ない じじたちは帰っていった そのあとのブルーアワーもたいしたことなかった 灯台の光線 あかりが見えはじめる7:00頃までねばる 寒い 防寒対策は十分にしてきた ただしダウンパーカでなく ダウンベストを持ってきてしまった それでも十分あたたかかった>。

見晴らしスポットには街灯がない。すでに真っ暗だ。写真も、十二分に撮ったし、引き上げよう。額につけたヘッドランプの明かりを頼りに、滑らないように、転ばないように、慎重に歩いて、道路に出た。そのままガードレールに沿って少し歩いて、駐車場に着いた。広い駐車場には、自分の車しか止まっていなかった。料金徴収の小屋も無人だった。

朝っぱら動き回っていたわりには、疲れてもいなかったし、なぜか、さほど腹も空いていなかった。途中で、何か食べたのだろうが、今となっては思い出せない。あたりはうす暗く、人の気配もない。だが、どことなく腹がすわった感じだ。怖くもなく、寂しくもなかった。いわば、平常心だ。いや、限り無く<自由>だったのかもしれない。

追 
読み直してみると、夕暮れの潮岬灯台の撮影をしていながら、その記述がほとんどない。肝心なものが抜けていませんか?おそらく理由はこうだ。<肝心な物=灯台>は、写真に山ほど撮ったわけで、記述する必要性を感じていない。どのような位置取りで、どのようなカメラ操作をして撮ったのか、そんなことは、今となっては、思い出すのも、記述するのも億劫だ。百歩譲って、写真の勉強、写真の腕をあげるという意味では、<記述>も多少役に立つかもしれない。だが、最近はその情熱も下火になっている。
 
もう一つは、灯台撮影時の文学的記述だ。これは、<旅日誌>の執筆当初から、かなり頑張って挑戦してきた事柄だ。だが、苦労が多い割には、たいして面白くならない。風景描写や情景描写、さらには、内面心理の動きや感情の色彩を記述することは、自分にとっては、かなり難しい。至難の業、といってもいい。ありていに言って、小説家のようには書けない。ま、書けたら面白いだろうなとは思うが、目指すところはではない。穴をまくってしまったわけだ。

もっとも、撮影記録にしても、文学的記述にしても、衒いなくすらすら書ければ、書くことにやぶさかではない。だが、脳髄から絞り出さねばならない情況では、やはり、シカとして通り過ぎたほうがいいだろう。でっちあげた文章ほど、胸糞悪い物はない。・・・最後の文章は削除したほうがいい。<あのブドウは酸っぱい>。自己正当化の、最たるものだ!

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