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「男系男子は明治以降」「夫婦同氏は明治から」と考える人に見えていないこと

 皇位継承者が男系と決まったのは明治以降というような意見があります。

 しかし、これには落とし穴があります。確かに、法的に男系男子に皇位継承権があることが定められたのは明治時代です。しかし、日本の皇室は、近代的な意味でいう法律という概念が生まれる前から日本に存在してきました。伝統は、しばしばはっきりとした形で示されません。日本の天皇が男系継承であるべきということが明言されたのは明治になってからですが、天皇の位が男系継承というのはずっと続けられてきました。宮内庁の「天皇系図」を見ても一目瞭然です。

 「男系継承は明治から」と主張する人は、唯物論者なのです。言葉ではっきりと定義された物にのみ価値を置いているのです。

 これは、「夫婦同姓は明治から」という主張とも通じます。

 そもそも、江戸時代までの「姓」「氏」「苗字」は別概念です。明治になって意味がほとんど同じ物として認識されるようになったのです。少なくとも江戸時代の「姓」とは、天皇から与えられるもので血統を表し、一生変わることはありません。一方、苗字は自由に名乗ることができ、親兄弟で違うこともしばしばありました。このロジックで言う「伝統」だと、明治以前の「姓」「氏」「苗字」の概念も復活させようという意味になるんじゃないでしょうか?

 また、日本が夫婦別姓だったという根拠として用いられる北条政子については、実は以下の様な事実があります。

 北条政子の「北条」は苗字で、姓は「平」です。「夫の姓は名乗れない」とは、姓が一生変わることがないということと関係あります。一方、前述のように家の名である苗字は血統を表しているわけではないので、別の一族である夫の苗字を名乗ることができるというわけなのです。

 また、法的に決まりがあったわけではないですが、実際には夫婦で同じ苗字を名乗る習慣は明治前から存在していました。↓こちらのリンク参照

 こちらにも少し書きました↓

 庶民も公式に名乗れないだけで、苗字を持っていた人も少なくなかったようです。

 言葉ではっきりと言及されたものに価値を置くという考え方は、明治以降に西洋から流入した唯物論的なものの見方です。日本にはもともと、当たり前のことであってもわざわざ言葉で言い表さないという考え方がありました。これを踏まえずに明治より前の歴史を語ることで、日本の歴史を正しく考察することは難しくなるのではないかと思います。