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【小説】地震かと思ったら心臓が動いているだけだった

イラストを描いていた。自己表現なんかじゃない。ただのイラストだ。それでも、適当に描いていた筈の人物が、いつの間にか彼女に似てくる。今日の昼に会った彼女。付き合ってなんかいない。友達ですら、ないだろう。なのに、僕は、そう。彼女の事ばかり考えている。だからイラストにも描いてしまったのだ。あまりにも分かりやすい自分の事が、僕は嫌いだ。

 絵を描き出したのは、小学生の時だった。あの時、大きな地震があって、今思えばかなりぼんやりとしていた僕は、小学校のグラウンドみたいに現実がぬかるんでいくのを、何も考えないで、ただ記憶に溜め込んでいった。そうして自分のものになった記憶を、あってはならないものなのだと感じたのは、それから一年後くらいだったと思う。怖かったのではない。とても大きなものが自分の内側にあって、僕を圧迫している気がした。苦しかった、というのが近いかもしれない。僕は漫画の世界に逃げた。これといった理由はない。たまたま僕は、漫画を入手しやすい環境にあったのだ。漫画の世界に、僕の記憶はなかった。それが僕を釘付けにした。でも、漫画は無限にある訳ではない。手元にある漫画を読み終わってしまって、母親が新しいものを買ってくれなかった時、僕はイラストを描いた。

 つまり僕にとって、イラストは現実逃避だ。自己表現でも何でもない。それなのに、朗らかなショートカットの彼女は、お昼ご飯を食べに友達と教室を出て行って、僕はその様をイラストにしているみたいだ。これは非常に重要な問題なのか、はたまた、取るに足らない恋煩いなのか。こんなにちゃんと冷静に、自己分析できているのに、僕の気持ちが晴れないのは、こんな風にずっと、うじうじと悩んでいたいからなのか。現状維持は、詰まる所、悪化するよりマシなのだ。

 僕は一人暮らしの地べたに体育座りして、タブレットを膝に置いていたのだけれど、イラストを描いたりもの思いに耽っていたら、都合三時間も、その姿勢を保ってしまっていたみたいだ。僕は姿勢を変える為に足を組む。そして背中をソファにもたれ掛け直す。溜息をついて、デジタルペンを手に取る。気持ちを入れ替えて、イラストをまた描き出そうとしたら、揺れているのを感じた。

 地震か? 僕はキッチンにぶら下がっているハサミを見る。それは、少しも揺れていない。僕は目を閉じる。自分の鼓動に合わせて、体が揺れている。そうこれは僕の心臓の拍動。僕が元気でいる証。

 あの地震から暫くして、小学校で授業を受けていたら、同級生の誰かが「あっ、地震」と言った。それで授業が止まって、皆が凍り付いたのだけれど、待てど暮らせど、地震なんて来やしなかった。僕は俯いたと思う。誰も何も喋らなくて、僕は隙間を埋める為に、苦笑したかもしれない。それと被るようにして、ようやく先生の発した、「皆、不安だから」という言葉と、僕を含めた他の同級生全員の相変わらずの沈黙。僕はそれを忘れはしない。

 僕は呼吸を整える。鼓動でペン先が動かないようにする。それから線を引く。彼女の姿を、描けるように。

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